マインドコントロール()とは、他人の思想や情報をコントロールし、個人が意思決定する際に、特定の結論へと誘導する技術 を指す概念である。マインドコントロール論、マインドコントロール理論とも呼ばれる。「マインドコントロール」の存在について、心理学的にも医学的にも宗教学的にも議論されたが、理論的学問的な根拠はなく、虚構や似非科学とも言われ、一般社会で言われる心理操作(マインド・トリック)ないしはコマーシャルメッセージと同じ手法であると結論づけられている。マインド・コントロール論は、脱会者と支援者の証言がもとであるため、データ的に偏りがあるとされる 。暴力等の強制力を用いる洗脳とは異なる。1970年代のアメリカにおいて、「マインド・コントロール理論」が生まれ、信者と利害関係にある反カルト(アンチカルト)集団が、「信者の奪回・脱会を促進するという自らの行動を正当化するため」に、「対抗的ドグマ」として用いられ,当初から価値中立的な使用はされなかった。まったく別人のようになった理由は、複数の解釈が成り立つものであり、心理操作のみが要因とは言えない。1970年代後半-80年代にかけて、社会心理学的操作理論としての「マインドコントロール理論」についての議論が尽くされた結果、カルト的な行動支配とは限らない、一般的な心理操作技術であるという結論に達した。つまり、マインドコントロールは、通常の心理操作、すなわち、消費社会におけるコマーシャルと同じ手法を指す。統一教会の信者の奪回・脱会を目的とした弁護士らからなる反カルト集団により、概念が持ち込まれた。反カルト集団の代表弁護士紀藤正樹によると、1992年の統一教会の合同結婚式に参加した山崎浩子が、翌1993年に婚約の解消と統一教会から脱会を表明した記者会見で、「マインドコントロールされていました」と発言したことと、同日発売の、元統一教会員による『マインド・コントロールの恐怖』という本により、“マインドコントロール”という言葉が広く認知されるようになった、としている 。1995年にオウム真理教事件が起こると、マスコミや反カルト運動家は、犯罪を犯した信者の心理状態を示す格好の言葉として使用した。さらに、信者の裁判で、一部の反カルト集団の心理学者が心理鑑定の際に、「マインド・コントロール論」を根拠としたため、教団側がマインドコントロールを行っていたと、社会的に認知されてしまった。また、一部の弁護士による法的戦術として、被告の信者が「マインドコントロールされていた」と主張し,「通常の判断能力が欠損しており、責任能力をかけていた」などの弁護がされた。そのため、反社会的宗教団体が信者を動員して犯罪をなした理由として、ジャーナリズムにより宣伝され、世論に根付いた。理論的な根拠がないにもかかわらず、社会的に概念が受け入れられている背景としては、現代国家において、「消費者の欲望を喚起して需要を掘り起こすコマーシャリズムの戦略」が常にとられているために、「いつの間にか誰かに操られているのではないか」という感じる体験は特殊でないためとも言われる。自己暗示の一つとして能力開発への応用することや犯罪抑止やタバコやアルコール等を含む薬物依存の治療などに効果的だと考える動きもある。基本的人権には「信教の自由」があり、これは当人が如何なる信教を支持しようとも、それは当人の自由であるという理念が存在する。ただ、これがマインドコントロールの問題では、反カルト集団の弁護士は、当人の価値観が操作され、健全な判断能力を失っていると主張する。この場合において、信教の自由と当人の保護という問題の狭間で、議論も見られる。統一教会の裁判では、反カルト団体の裁判戦術として、同団体がマインドコントロール手法を用いているという訴えがなされ、脱会説得をめぐり、当人の自由意志が「信用できない」「責任能力がない状態」等の主張がなされた。当人の主観(→客体)とっては「不当な拉致監禁や人権に対する侵害」となり、一方の当人がマインドコントロールされているとみなしている側にとっては「保護と説得による霊感商法からの離脱」となる。当人が信教の自由を訴え、第三者がマインドコントロールを主張する場合には、憲法で保障されている権利侵害にあたる可能性もあるため、慎重な判断が求められる。
出典:wikipedia
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