『FNS27時間テレビ』(エフエヌエスにじゅうななじかんテレビ)は、1997年以降の『FNSの日』の通称であり、1年に1度夏に生放送されている日本の長時間特別番組。その年のメインコンセプトテーマに沿った内容となる。2005年以降は放送時間が25 - 26時間になることもあるが、本項目では便宜上、回数が多く通称として使われる「27時間テレビ」としている。「27HTV」と略されることもある。タイトルは日本テレビ系列『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』を真似たもの。制作著作はフジテレビではなく、テレビ大分を除くFNSフジネットワーク(または「フジネットワーク27社」)となっている。オープニングは、フジテレビが河田町からお台場に引っ越したということから、スタジオではなく社屋前の海に浮かぶ船上の生中継からスタート。松本は、乗り物酔い持ちのため「吐きそう」「なんでこんな船の上からするの。」と何度も言っていた。7時台と9時台に台風情報を放送した。オープニングの後に放送する予定だったナゴヤドームでの中日-巨人戦が台風のため中止(ナゴヤドームでプロ野球の試合が中止されたのは初めて)になり、急遽ヤクルトの野村克也監督、古田敦也、ドゥエイン・ホージー両選手(いずれも当時)が招かれ、オールスター戦のダイジェストとヤクルト選手などの名珍場面を放送した(神宮球場のヤクルト戦も中止だった)。また、「お台場GAME BATTLE」のみ出演の予定だった「ビーチボーイズ」の俳優陣(反町隆史・竹野内豊・広末涼子・稲森いずみ・マイク眞木)が中継に登場した。後の「お台場GAME BATTLE」も当初は屋外の特設会場に1万人の観客を招いて行なう予定だったが、公開放送を中止。さらに、特設会場で使われる機械が故障。急遽、出演者が仮設のテントの中で「ぷよぷよ」対決を行うことになった。プロ野球は福岡ドーム(当時)以外の4試合も中止となり1試合しかなかったため、「プロ野球ニュース」も内容を変更、前年に引き続き「居酒屋あぶさん」からの中継を継いで「緊急討論・巨人は優勝できるか?」を放送した。「LOVE LOVE あいしてる」スペシャル内で中居正広がKinKi Kidsに電話をかけた。深夜企画ではお色気企画も復活し、ブレイクする前のココリコ、雨上がり決死隊、ネプチューン、オセロやチュパチャップスなどが出演した。ココリコはこの年以降「27時間テレビ」に連続出演している。浜田が志村けんと、大箱根カントリークラブにて早朝ゴルフ対決。前年に引き続いて「全国フリースロー選手権大会」を開催。決勝はお台場の特設会場。優勝は福島テレビで、最終戦のドリームマッチでもデニス・ロッドマンに勝利。MAX、T.M.Revolution、SPEED、Every Little Thing、GLAY、PUFFY、華原朋美、西城秀樹が特設野外ステージでスペシャルライブを行った。(天候は前日と変わり晴天)。「大決戦!日本列島エエヒト怪獣ツルベVSワガママ怪獣ヒトシ」では、互いに同姓同名の素人(中継で登場)と組んで対決。「さんまのスポーツするぞ!」ではさんま・今田・東野・ナイナイのさんまチームがロッドマンとフリースロー対決をし、岡村と東野が決め2対1でさんまチームが勝利。松本vsロッドマンのビリヤード対決終了後、ダウンタウンとさんまの共演もあった。「めざましテレビ 達人SP」にて、武道家の玉城厚志が「1分間の瓦早割り」に挑戦、それまでの世界記録の191枚を89枚更新する280枚の世界新記録を樹立した。静岡、大阪、愛知、岩手、福島の5ヶ所からも達人が登場した。夕方は「川端健嗣アナウンサー・篠原ともえのザ・ヒューマンデラックス」を放送。長時間の出演で疲れ切った状態で、西川貴教とトーク、KinKi Kids・吉田拓郎の中継が行われた。漁船が続々と到着。放送エリアで唯一海のない(他の内陸県は広域局エリアに属するか、フジテレビ系列局がない県だった。)長野県からは笹船が乗ったトラックに乗って登場した。提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは宇田麻衣子、春日由実、桜井堅一朗、深澤里奈の男性1人、女性3人の計4人だった。唯一の男性アナの桜井アナは何故か総合司会のダウンタウンの2人に弄られっ放し状態になっていた。今回の27時間テレビの瞬間最高視聴率は東野幸治と篠原ともえが担当したコーナー「プリプリプリティ」で22.1%だった。この事が翌年の27時間テレビでも東野が登場した際にも、壁に「ウェルカム最高視聴率男」と書かれた張り紙が貼ってあった。 SMAPの中居正広を総合司会に据え、当時若者を中心に人気だった「サタ☆スマ」をベースに放送された。進行役はフジテレビの西山喜久恵アナウンサー。この3回は、荒井昭博総合プロデューサー、坪田譲治総合演出、構成鈴木おさむの3氏が製作を指揮していた。また、「笑っていいとも!増刊号」が2部構成で放送された。「ドミノを27時間以内に立てられるか」という企画が始まり、翌年から北広島市で連続して行われた(北海道文化放送が中継)。“倒れない車ドミノ”は特徴的。タイトルは当時放送されていたバラエティ「プレゼンタイガー」で2つの候補の中から決定したもの。もう1つの候補は「FNS1億2700万人のファイナルアンサー笑う27時間TV」だった。以上、「とっても安上がり(の賞金放出)」で終了した。この年、初めてFNS27時間テレビの冠が付き、これ以降FNS27時間テレビと冠がつくようになった。1月の時点でサンケイスポーツ内で主な企画を発表し賛否両論を巻き起こした。その直後から「みんなでハモネプ」(「力の限りゴーゴゴー!!」の「ハモネプ」コーナーの27時間テレビ版)の出場者募集及び予選会を「めざましテレビ」の中で放送し、各局の代表を決定。優勝したのは、新潟総合テレビの音楽一家の日下ファミリーだった。画面の左上に「"July6&7 J.T.O/Japan Tokyo Odaiba 27Hour-TV START!"」と書かれていた。ハモネプ全国大会の決勝戦が7月7日だった事から「七夕ファイナル」と銘打った。「あの素晴らしい日本をもう一度」プロジェクトと題し、27時間内で物を作ったりや各地を清掃する企画が北海道富良野市から宮崎県西都市まで全国11ヶ所で展開された。尚、★印が付いている局はさだまさしとくずがライブを実施(後述)。テレビ長崎「あの平和な世界をもう一度」(オープニングライブとして★)、全長20メートルの特製鐘楼船と世界190カ国の平和を願って190個以上の灯篭を作り、改めて「世界平和」をこの原爆被災地の長崎から日本全国の皆さんに問いかける、という企画。大村市と長崎市から中継。山本耕一アナウンサーが進行役を務めた。テレビ宮崎「素晴らしい歴史遺産をもう一度」 : 地元の古墳周辺が草だらけになってしまったので、草を刈って遠いご先祖様に喜んで貰おうという主旨に。西都市の西都原古墳群から中継、高橋巨典アナウンサーが進行役、地元出身の0930がサポーター役で応援した。テレビ新広島「子供達が集まる学校をもう一度」★ : 全校児童がたった2人の小学校にジャングルを作る。三良坂町(現在の三次市)から中継、石井百恵アナウンサーが進行。岡山放送「あの素晴らしい伝統をもう一度」★ : 香川の名物讃岐うどんをこの年に因んで2002杯再現させる。香川県善通寺市から中継、上岡元アナウンサーが進行役。関西テレビ「あの美しい川をもう一度」(東海への★で大阪空港) : 「道頓堀川を27時間でどの位、綺麗にするか?」の挑戦。ペットボトルで作ったイカダなども登場した。また、1985年の阪神タイガース優勝時に投げ込まれたカーネル・サンダース像の救出作戦も行われた。大阪市中央区の道頓堀から中継され、桑原征平アナウンサーが進行役。福井テレビ「あの素晴らしい森をもう一度」 : ダストポットを230個作って県内の小学校に送るプロジェクト。そして230個である一文字を作った。和泉村からの中継、桑原達秋アナウンサー(桑原アナの息子が登場し親子共演が遂に実現した)が進行役、芸能界一の自然派タレント・清水国明がプロジェクトのリーダー役で登場した。東海テレビ「あの素晴らしい故郷をもう一度」(関西から★で二元中継) : 廃線になった駅舎を掃除したり飾り付けをして現役当時の電車を迎える。谷汲村(たにぐみむら)(現揖斐川町)から中継、庄野俊哉アナウンサーが進行役。主役となる赤い電車(名鉄モ750形)の重量を庄野がオープニングで25tと言い間違い、地元の人に翌日の朝の大本番前に35tと訂正される場面があった。石川テレビ「美しい物を作りたい/芸術の心をもう一度」 : 金沢城を舞台に繰り広げる芸術の祭典。石川県金沢市の金沢城公園から中継、小谷あゆみアナウンサーが進行役。フジテレビ「あの綺麗な海岸をもう一度」 : 葉山、逗子、七里ヶ浜、江の島、鵠沼、辻堂、茅ヶ崎、大磯の8ヶ所で「湘南海岸クリーン大作戦」を展開。逗子では同時進行でシーグラスアートを作った。島田彩夏アナウンサー、奥寺健アナウンサーが進行役、スペシャルゲストに加山雄三・佐藤藍子・TUBEを迎えた。一部海岸ではクリーン大作戦を行う前にきれいになっていた。実際は2ちゃんねるでの呼びかけで集まった有志による清掃活動の結果であったが、レポーターはその裏をとらずに「ライフセーバーによる活動」と誤放送した(2ちゃんねるの歴史#2002年も参照)。仙台放送「あの活気ある街をもう一度」★ : 100台の自転車を漕いで人力でバッテリーに蓄電。どれだけのバッテリーが蓄積するのか、更にフィナーレにそれをイルミネーションとして一気に放出するという挑戦だった。宮城県仙台市の繁華街から中継、柳沢剛アナウンサーが進行役を務めた。北海道文化放送「あの感動をもう一度」(ラストライブとして★) : 22年間に渡って放送したドラマの『北の国から』が同年9月放送の「北の国から 2002遺言」で最後を迎えるのを前に、ドラマの舞台となった五郎の石の家周辺を草取りするという内容だった。富良野市から中継。加藤寛アナウンサーが進行役。このプロジェクトは、『とくダネ!』スペシャルでも放送した。「みんなでハモネプ全国大会2002」の決勝リーグ進出チーム・発表タイムでは、名倉が9組目の進出チームを発表し段取りをうっかり忘れていたみのが名倉の前に出たために名倉に突っ込まれるハプニングがあった。みのは名倉に向かって笑いながらも謝った。「全国縦断27時間テレビ ドリームさだまさし夢ライブ2002」 : さだまさしらが、さだの故郷・長崎をスタートし、広島(後述のクイズ$ミリオネアSPの途中に中継)→香川→岐阜&大阪(さだらは台風のため岐阜にヘリが飛べず大阪国際空港止まり)→宮城→北海道・富良野&旭川空港(さだとくずの3人は雨天のため富良野にヘリが飛べず旭川空港止まり)→東京/さだのコンサート会場→東京/くずのスタジオの順に、ライブを行った。宮城では山口の相方が・北海道では宮迫の相方がそれぞれ応援にまわった。長崎から広島へ移動する時に長崎空港でヘリコプターに搭乗する予定だったが台風並みに風が強まりヘリコプターでの移動が不可能(飛行許可が出ない)となり、急遽、通常報道専用で強風の影響を受けにくい高度で飛行可能なフジサンケイグループ所有の小型ジェット機「オーロラ」を羽田空港から派遣(報道用なので24時間体勢で待機している)し、同機で広島へ。(これ以降ヘリでの移動が危険なため、長距離移動には同機を使用)。浜崎あゆみがライブ会場の福岡・海の中道海浜公園から生出演した。スペシャル・ドラマは「東京物語」、出演は宇津井健、八千草薫、松たか子の3人。前年のクイズ$ミリオネアに引き続き、この年の「さんま・中居の今夜も眠れない」でも明石家さんまが大竹しのぶに生電話(原因:中居正広が大竹しのぶにプロポーズすると書いた為)。また、ミリオネアの延長でこのコーナーの時間は縮小されるはずだったが延長されてしまい、F1予選の中継に間に合わせるためその後に放送の「真夏の爆笑ヒットパレード」が大幅に短縮された。この年から土曜夜・日曜朝・昼・夕方に定時ニュースが入るようになった。『めざましテレビ』、『とくダネ!』を日曜日にも関わらず放送。「めざまし調査隊スペシャル」(日曜11時頃に放送)の中では、爆笑問題が、「真夏の爆笑ヒットパレード」の時間を大幅に擦り減らされた元凶・犯人である明石家さんまを捕まえて大激怒しその後、みのもんたや久本雅美さらに八木亜希子も入れての入り乱れての大乱闘へと発展していった。中居とみのが「珍プレー」のナレーションに生放送で挑戦した。特に中居が挑戦したのは本家・みのも難しいと認定するじっくり映像だったが中居はその映像を読み切り、みのから太鼓判を押された。当然みのも「珍プレー」のナレーションに生でチャレンジした。「みんなでハモネプ全国大会 〜Road to 上海〜」 : 野村雅子先生と佐藤裕美ちゃんの再会で先生が我を忘れて強く抱き締めたシーン。みのは感動したが名倉は「潰されそうですよ!」と裕美ちゃんを庇(かば)った。その後に地元・岩手からの応援中継で裕美ちゃんの大親友・めいちゃんが登場して「粘土、忘れ物だよ!」と発言。裕美ちゃんや先生達は泣きながら爆笑したが、みのにとっては強く抱き締めたシーンと合わせてダブルで号泣した。決勝戦でみのが決勝リーグでの事に逸早く触れて「泣かせられたよ」と発言(メンバーは全員笑った)。ところが裕美ちゃんはさくらちゃんと喧嘩をして謝らないまま転校してしまった過去があり、東京の裕美ちゃんに地元・岩手のさくらちゃんが謝って「ずっと友達だよ」と仲直りした場面で、みのが「おいおい、また泣かせるのかい」と一言。決勝進出した3チームの決勝戦用の曲が披露された後にみのもんた暴走。3組のファイナル・パフォーマンスが終了した後にみのは、審査委員(秋元康・島倉千代子・野口五郎・麻丘めぐみ・犬飼将博の5人)を「鬼の様な審査委員だね」と批判した。決勝ゲストの久本雅美は笑って誤魔化すしか方法はなかった。F1世界選手権第10戦イギリスGP予選競馬中継はマーメイドステークスを石巻ゆうすけの実況で生中継。その後、マーメイドステークス発走直前に行われた七夕賞を高橋雄一の実況で録画放送。前年度と同じく「笑う犬」より、堀内健演じる「お兄やん」が日本全国ホリケンサイズを行った。提供クレジットを読み上げた新人アナウンサーは中野美奈子、渡邉卓哉、中村仁美の女性2人・男性1人の計3人。中村アナが提供読みを全て終えた後に泣いてしまい、中野アナももらい泣きしていた。須田哲夫アナウンサーが新人アナを紹介した。詳細は以下を参照。※お台場でやった回もあれば、通常放送で借りていたスタジオアルタでやった回もある
出典:wikipedia
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