松山バレエ団(まつやまバレエだん)は、1948年に、日劇のバレリーナであった松山樹子と、彼女のファンであり、当時内務省の役人であった清水正夫(東京大学大学院修了/日本大学卒業)によって、東京・青山の幼稚園を借りて設立されたバレエ団。所在地は東京都港区、正式名称を「公益財団法人松山バレエ団」という。総代表・清水哲太郎は、故清水正夫と名誉芸術監督・松山樹子の長男。また、団長・森下洋子は清水哲太郎の妻。東京都港区南青山にある「Museion(ムーセイオン)」という名称の稽古場である。Museionとは、ギリシャ神話に出てくる、学問と芸術を司る9人の女神であるムーサ(ミューズ)の霊感を受けた知性に関する土地のことを指す。基本内装は白壁と鏡張りであり、各稽古場には女神の名前が付けられて、カリオペー、タレイア、クレイオー、エウテルペー、メルポメネー、ウーラニーア、エラトー、ポリュヒュムニア、テルプシコラーとなっている。中でもテルプシコラーは舞踏、合唱の神ということもあり、稽古場の中でも主要な大稽古場になっていて、この部屋だけは黒の壁と鏡張りになっている。本校をはじめ多くの支部を持つ。運営母体は財団法人ではなく、株式会社ザ・ジャパン・バレエである。«支部/関連スタジオ»松山バレエ団は白毛女の舞台化に尽力したことでも知られる。白毛女の舞台化は中国でも高く評価され、日中友好運動において重要な貢献をはたした。文化大革命期においても松山バレエ団はたびたび訪中し、日中友好につとめた。このため清水正夫らは日本共産党から批判された。
出典:wikipedia
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