鳩山 幸(はとやま みゆき、1943年6月28日 - )は、日本の政治家鳩山由紀夫(元総理大臣)の妻。夫の由紀夫が理事長を務める東アジア共同体研究所の評議員。元星組娘役のタカラジェンヌで宝塚歌劇団卒業生。宝塚歌劇団47期生。自身をライフコーディネーター(ライフスタイルの伝導師)と呼んでいる。息子は工学者の鳩山紀一郎。中華民国(現:中華人民共和国)、上海にアメリカの市民権をもつ楠瀬幸雄、秀子の二女として生まれる、。昭和19年(1944年)、戦況の悪化から、母と一緒に日本に疎開し、高知県で生活を始める。その後、神戸市に引越し、神戸海星女子学院に編入した。学生時代のあだ名は、変わり者を意味する「black sheep(黒い羊)」。引揚げ後、一家は高知に疎開した。近所の住民によると「みんな着物やモンペを着ていた時代に、お母さんの秀子さんはハイヒールを履いているからビックリしました。幸ちゃんも当時から華があり、フランス人形みたいにウエストがキュッとしまったワンピースを着ているんです。家には英語の本が山積みで、ご夫婦の会話が英語だったのをよく覚えています。台所をキッチンと言ってましたし、和式のトイレを洋式に改造して、座って用を足していました。私はそれが気に入って、便所を借りていたんです(笑)。こんな田舎に来るような人たちではないと言われていましたね」という 。高知を1年あまりで離れて、母・秀子の実家、神戸坂口通にあった「諏訪山ホテル東館」の脇に建てられた一軒家に移った。戦後間もない中、楠瀬家のライフスタイルは、日本人ではなく外国人そのものだった。間もなく、幸の父、幸雄は単身渡米した1959年、神戸海星女子学院高等学校1年修了で宝塚音楽学校に入学。宝塚歌劇団47期生。1961年、宝塚歌劇団入団。翌1962年に星組に配属。同期に初風諄、羽山紀代美らがいる。若みゆきの芸名で娘役として舞台に立った。宝塚時代の愛称はコンちゃん。宝塚入団時の成績は66人中47位。その由来は喜劇役者の大村崑の物真似ばかりしていたからである。在団中の1964年に宝塚歌劇団創立50周年を迎えている。翌1965年、フランスのパリ公演メンバーに那智わたる、甲にしき、如月美和子らと共に選抜され、9月18日から20日までパリ市内のアルハンブラ劇場で公開試演会、9月21日から10月17日まで同劇場で33回の一般公演を行った。若みゆきを含む、タカラジェンヌたちが全員着物姿でパリ市内見物をしているカラー写真が現存する。1967年8月に宝塚歌劇団を退団。1969年12月頃には渡米しており、サンフランシスコの日本料理店「蝶蝶」でマネジャーをしていた男性と結婚するが出奔する形で離婚し、1975年に鳩山由紀夫と再婚した。鳩山由紀夫との出逢いについて、鳩山幸の回想によれば「たまたま日本に里帰りした際に知人から紹介された。その後、2人は偶然にも同じ飛行機に搭乗して再び出逢い、それから1年後にもう一度2人は偶然、サンフランシスコのダウンタウンですれ違った。運命的な出逢いだった」とされる。当時の夫が『週刊文春』や『週刊新潮』に経緯を明らかにしたところによれば、以前に、幸を日本料理屋を経営していた元夫に紹介した知人から、スタンフォード大学に留学していた由紀夫の世話を頼まれ、面倒をみることとなり、幸も由紀夫と知りあうこととなる。近所から若い男が留守宅に通っているなどの噂を聞かされ、幸に悪い噂があるから気をつけるよう話したが、幸からは真実を打ち明けられなかったので深刻に受け止めなかったが、ある日突然、書きおきを残して幸は元夫の前から消え、それ以降は一度も音信がないとしている。2人の失踪後に、一度だけ、由紀夫の母が挨拶に現れたと述べている。この再婚に対して、一部の女性週刊誌などにおいて「略奪婚」と報じられた。なお、由紀夫は幸との結婚について略奪婚であることを公言している。結婚後、「政治家の妻」として精力的に活動する一方、料理関係の書籍を出版している。2007年、宝塚歌劇団退団後40年ぶりに舞台に立った。2009年に夫・由紀夫の内閣総理大臣就任に伴い、宝塚歌劇団卒業生初のファーストレディになった。また、離婚歴のあるファーストレディも彼女が初めてである。内閣総理大臣夫人となってからは、ベストジーニストと日本ジュエリーベストドレッサー賞を受賞したり、首相官邸で日本ユニセフのために歌の収録をするなど、華やかなパフォーマンスで注目を集めたが、私的に韓流スターたちを首相官邸に招いて手料理で接待することに批判も集まった。また、東京国際映画祭で首相と手をつないで歩いて夫婦円満ぶりをアピールしていたが、鳩山由紀夫総理大臣の辞任には最後まで反対し、由紀夫は「説得するのに大変だった」と嘆いたという。国際的には、奇抜な発言(後述)が話題となり、米国の時事週刊誌タイムが選ぶ「最もはじけたファーストレディ」で1位となった。韓流に深く傾倒しており、「若さの秘密は韓国ドラマを見ていること」「韓国語は、話すととても気持ちがいい」などの発言をしている。2009年9月14日を皮切りに、首相公邸などで私的に頻繁に韓国の俳優イ・ソジンと会っている。イは、永住外国人への地方参政権(選挙権)付与を求める在日本大韓民国民団(民団)の広報大使を務めている。産経新聞は、首相周辺から「特定の外国の人とばかり会うのは誤解を招きかねない」と懸念する声が出ている、と報道した。また来日する韓国の芸能人のほとんどと率先して会っており、その舞台に首相公邸などが使われていることは、「公私混同の極みである」という問題は、中国など外国メディアでも報じられている。2010年3月23日、参議院予算委員会において、自民党所属の参議院議員山本一太が、3月17日に首相公邸で行われたイ・ソジンとの会食を取り上げた。「お気に入りの韓流スターを公邸に招き、手料理をふるまったのは日韓親善を考えた外交政策だったのか?それとも個人的趣味だったのか?」の質問に対して、鳩山は「妻の自主性に任せているので、これ以上のことは私にはわからない」と答弁した。山本は「国民の生活状況は苦しい。母親から12億円もらっても気がつかないという首相同様、庶民感覚からずれている。総理官邸のKYカップルと呼ばれてもしかたがない」と批判した。マクロビオティック食の提唱者として、料理研究本を出版している。「食事の際にはキムチを欠かさない」など韓国文化に深く傾倒している。「(イ・ソジンの母が作った白キムチを食した後)このキムチを作る方法を学びに韓国に行かなくては」と由紀夫に訪韓を懇願したり、2010年に開催された「日韓交流お祭り」では韓国の民族衣装を着てキムチの美味しさをアピールするなど、キムチに対するこだわりは特に強い。夫の服装は彼女がしばしば選んでいるらしく、BBQパーティで着ていたハート柄のワイシャツや総理就任時に着けていた金色のネクタイとハンカチなどは彼女のチョイスであるとされる。ちなみに、風水で知られるDr.コパは、この金色のネクタイとハンカチについて、『金色は鳩山由紀夫氏が物事の中心に立てる様にしてくれるラッキーカラー』という趣旨の発言している。2010年1月27日、「第21回国際宝飾展IJT2010」(主催:リード エグジビション ジャパン、日本ジュエリー協会)において、「第21回日本ジュエリーベストドレッサー賞」の女性部門特別賞を授与された。翌28日の参議院予算委員会において、自民党の世耕弘成参議院議員から「大不況で国民が苦しみ、首相自身に政治資金だけでなく、所得税の疑惑がある中で、こうした賞を受けるべきだったのか」と批判された。「宇宙人に誘拐されて金星に行った」、「私はトム・クルーズが前世で日本人だったと知っている」、「太陽をちぎって食べている」などと発言した(ただし、これは自身が光合成を行うことの比喩表現である)。夫の総理就任が確実になり、多くのメディアがこれらの発言をとりあげた。トム・クルーズの話はサイエントロジーや新世代スピリチュアルとの関係で語られた。「日本の次期ファーストレディは、『はじけた』女性」、「日本の新しいファーストレディは金星人ではない、行ってきただけ」などと評された。「前世で一緒だったトム・クルーズと映画を競演したい」と発言している。NYではNUTSとも呼ばれており在米日本人ブログでも取り上げられた。その言動から「キャラ作りをしているのでは?」との質問に対して、「キャラ作りは昔から好きです」と答えている。
出典:wikipedia
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