新潟県第6区(にいがたけんだい6く)は、日本の衆議院議員総選挙における選挙区。1994年(平成6年)の公職選挙法改正で設置。旧新潟4区と同じエリアである。中選挙区時代は長らく自民党と社会党が議席を争う接戦区として知られ、自民党は小選挙区移行にあたり、前の選挙で当選した総務庁長官などを務めた高鳥修、後に自治大臣などを務める白川勝彦と2名の現職議員がいたため、コスタリカ方式を採用することとなった。小選挙区移行後初の選挙では、高鳥が小選挙区、白川が比例北陸信越ブロックの単独候補として立候補し、社会党出身の弁護士でこの選挙では無所属として立候補した筒井信隆(上越市出身)を破ったが、筒井はその後民主党に参加してからは安定した支持を得るようになり、2000年の第42回衆議院議員総選挙では高鳥に代わって小選挙区で立候補した白川を破り、当選。その後、白川は自民党を離党したためコスタリカ方式は解消となった。2003年の第43回衆議院議員総選挙では高鳥修が政界引退を表明し、後継候補として秘書を務めていた息子の修一が立ったが、自民党の公認を争った新潟県議会議員の風間直樹が無所属で立候補した影響もあり、筒井に及ばず共倒れで落選(風間はその後民主党へ入党し、2007年の第21回参議院議員通常選挙比例区公認候補として当選)。以降、2005年の第44回衆議院議員総選挙では修一は比例復活で当選したものの、筒井が安定した支持をもとに長らく選挙区を制してきた。しかし、2012年の第46回衆議院議員総選挙では民主党への強烈な逆風が響き、高鳥が初めて小選挙区で当選し、筒井は比例復活もできずに落選した。その後、筒井は政界引退を表明し、2014年の第47回衆議院議員総選挙では、新潟県議会議員であった梅谷守を筒井の後継候補としたが、高鳥が再び勝利し、梅谷は議席を獲得することが出来なかった。
出典:wikipedia
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