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赤頭

赤頭(あかあたま)は、鳥取県に伝わる伝説の人物である。「赤頭」を「あかがしら」と読む高知県に伝承される妖怪も存在するが両者に深い関係は見られず、別種のものである。鳥取県西伯郡名和村に伝わる伝説に登場しており、非常に力自慢の男。その怪力は米俵(こめだわら)を12俵まとめて運ぶほどだった。昔、赤頭が観音堂でひと休みしていたところ、4、5歳程度の男の子が現れ、観音堂の柱に五寸釘(ごすんくぎ)を素手で刺しはじめた。その力もさるものながら、今後は素手で釘を抜き取ったかと思うと、やがて釘を刺す、抜くを繰り返して遊び始めた。しかも、よく見ると素手どころか、使っているのは指1本のみだった。赤頭は「子供に負けるか」とばかりに自分も釘を刺すが、怪力自慢の彼でも、両手で釘を刺すのがやっとで、抜き去るのは到底無理だった。男の子はその情けない様子を笑いつつ、どこかへと去っていった。赤頭の死後、村の若者たちの何人かは、彼にあやかって怪力を授かろうと彼の墓に集まるようになった。ところが夜になると、墓のもとにいる者たちの背中に大変な重みが伝わり、とても我慢ができなくなった。その様子はまるで、目に見えない重石のようなものが背中に乗せられ、何者かがそれを背中に押しつけてきたようだったという。『名和村郷土誌』およびそこから再録をした荻原直正『因伯伝説集』(1951年 鳥取県図書館協会・発行)に採取されている。『因伯伝説集』の「赤頭」の項目には同様に怪力を持った人物の伝説として、鳥取県高草郡にいた三田七蔵(通称は三田七)が竹やぶをかるがると根こそぎ抜いて、畑地にしたという話も併記されている。昭和後期の妖怪に関する図鑑や書籍には、赤頭が出会ったさらなる怪力の男の子のほうが「赤頭」という名の妖怪であると紹介しているものも存在したため、「赤頭」が妖怪として表現されることがあった(なお、人を驚かすだけで傷つけたりはしない等と解説されており、実際の伝説に登場した怪力の男の子の性質そのままの場合が多く、単なる誤解による名称化である)。2000年代以後は、実際の伝説における記述が紹介されるようになっており、混乱は解消している。力自慢の大人が子供と力比べをして、敵わなかったとする話は、一見して創作話のようにも聞こえるが、突然変異体として、ミオスタチンが欠如した子供の場合、一般の大人より筋力が勝る(遺伝子ノックアウトのマウス実験も参照)。そのため、現実にありえない話でもない。「あかがしら」と読む。土佐国吾川郡生賀瀬(現・高知県同郡いの町)に伝わる妖怪。赤い髪が太陽のように輝き、あまりに眩しくてふた目と見られないほどという。2本足で歩くが、その足元は笹やカヤなど草むらに隠れてよく見えず、人に危害を加えることもないという。江戸時代末期から明治時代初期にかけての作と見られる妖怪絵巻『土佐化物絵本』には「勝賀瀬の赤頭」として記載されており、「山北の笑い女」「本山の白姥」と並んで土佐の3大妖魔の一つとされる。勝賀瀬(現・いの町勝賀瀬)である者がこれに出遭い、朝日に向かったかのように再び見ることができなくなり、赤頭のもとを立ち去った後で眼病を患って失明しかけたが、手当てを受けてようやく治癒したという。江戸時代の妖怪絵巻『百鬼夜行絵巻』にも「赤がしら」という妖怪の絵が描かれている。同絵巻には名前と絵が記載されているのみで、どのような妖怪かは判明していない。赤い髪という特徴が土佐の赤頭と似ているのではないかとの指摘も存在するが、推測の域を出ていない。

出典:wikipedia

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