山田 勝己(やまだ かつみ、 1965年10月22日 - )は、TBS『SASUKE』のSASUKEオールスターズの1人。兵庫県加古郡播磨町出身。クイックマッスル(3分間腕立て伏せ)全国選手権準優勝。鉄工所アルバイト。身長175cm、体重75kg(2012年12月時点)。愛称は「浪速のターミネーター」「ミスターSASUKE」など。1996年、TBS『筋肉番付』のクイックマッスル全国選手権に出場し、準優勝となる。これがきっかけとなり、その後のSASUKEにも1997年の第1回から出場(当時31歳)。完全制覇まで残り約30cmまで迫るなどの優秀な成績を収め、ゼッケン100番を与えられるなど一躍SASUKEを代表する選手となる。しかし、自宅にSASUKEを模したセットを製作して練習に熱中したことにより、2000年2月にボンベ配送業の仕事をリストラされる。その後は妻の実家の鉄工所でアルバイト、野球場でビール売りのアルバイトで生計を立てている。一般人でありながら、CM・ドラマ・バラエティ出演、ゲームキャラクターとしての起用、野球場のビール売りでのキャラクター化、多数のイベント出演など、活躍の場は幅広い。近年は『オールスター感謝祭'12秋 超豪華!クイズ決定版』(2012年9月29日放送)に回答者として出演したり、『水曜日のダウンタウン』(2016年2月現在5度出演)に頻繁に出演するなど、他番組にも積極的に出演している。現在は「山田軍団・黒虎」というチームを結成し、指導者としての道を歩んでいる。山田は「コーチという生温い形は嫌なんで、師匠と弟子のように厳しく精神面も技術面も鍛えていきたい」と語っている。名前の由来は後述の「浪速のブラックタイガー」という愛称がモチーフとなっている。「クイックマッスル全国選手権準優勝」という肩書きで初出場した第1回は、1stをクリアするも、2nd五連ハンマーでバランスを崩して脱落。なお、今大会のみ「山田勝巳」という誤表記であった。第2回は自身唯一のダイジェスト扱いであり、前回クリアした2ndスパイダークライムで脱落。山田の番で不運にも雨が降っており、水滴による影響を実況者が指摘していた。その後、失敗したスパイダークライムおよびスパイダーウォークのセットを自宅の庭に自費で製作。これが自宅に作った最初のSASUKEセットであった。第3回は大会前に13kgという大幅な減量をして迎えた。減量中は空腹のあまり一時は不眠症になるほど追い込まれたという。本大会では1stを9.4秒残して危なげなく突破。2ndウォールリフティングでは3枚目の壁を最上段まで持ち上げ、その後片手で支えた後にゴールまでゆっくりと歩み寄るという驚異的なパフォーマンスを披露した。3rdも難なく突破し、ファイナルステージに進出。5m地点まで一切足を使わずに登り、10m地点までは快調に登るも、残り約30cmでタイムアップ。後のインタビューでは「最初から足を使ってたほうが良かったかもしれないですね」と語った。山田は大会後、友人から借りたクレーン車を使い、命綱もつけずにファイナルステージを再現し練習。さらに自宅のセットで5kgの錘をつけながら練習を続けた。第4回は初のゼッケン100番となり、初めて両親を会場へ呼び寄せた。今回は8kg体重を増やしての挑戦となった。2ndウォールリフティングでは前回と同様のパフォーマンスを見せた。なお、2ndは全体を通して非常に速いペースで進み、3枚目の壁を上げた時点で10秒残っていた。しかし、3rdプロペラうんていでタイミングが合わず、1本目から2本目への移動で2度失敗。さらに3本目への移動でも1度失敗し、大幅に体力を消費した。その後、新設された難関クリフハンガーの2個目の空白で力尽き、涙を流した。山田のトレーニング量は日に日に増していき、それが災いしたため2000年2月にボンベ配送業の仕事をリストラされるという憂き目にあう。第5回、第6回の肩書きは無職。第7回以降は鉄工所アルバイトとなっている。第5回は秋山和彦の完全制覇によりリニューアルが施され、竹田敏浩、山本進悟の2人のみが1stをクリアしているという状況での挑戦。今大会多発していたローリング丸太の後半で脱線事故に遭い、丸太ごとマットに叩き付けられたが、着水しているか微妙だったため、そのまま先へ進んだ。新設されたジャンプハング、そり立つ壁もクリアし、1stのゴールボタンを押した。その後、スローVTRで着水していないことが確認され、3人目の1stクリア者となる。しかし、続く2ndスパイダーウォークで突如左足を滑らせてリタイア。自宅に初めて作ったSASUKEセットであるスパイダーウォークでのリタイアということもあり、落下後のインタビューでは「スパイダーウォークは得意中の得意と言ってもいいくらいなんですけどね」と神妙な面持ちで語っている。第6回は家族の反対などもあり、ラストチャレンジとして出場。オーバーワークで万全の体調ではなかったものの、1st、2ndを危なげなく突破。3rdでは初の最終競技者となる。第4回でリタイアしたクリフハンガーを難なく突破し、最終エリアのパイプスライダーまで進出。思い切り体を振って両足での着地に成功はしたものの、右にバランスを崩して一回転し、コース外へ転落してのリタイアとなる。その後のインタビューで山田は、古舘伊知郎実況の「諦めるか、あるいはまだこのSASUKEチャレンジ、ファイナルステージ成功目指して続けるか。どっちですか? 今の心境は」との問いに、「やらせてください…」と答えた。この山田の脱落は筋肉番付のスタジオでも物議を醸し、レギュラーの中山エミリは「(着地地点に)柵をつけてあげてください」とスタッフに呼びかけている。第7回は初めて妻と子供を会場へ呼び寄せた。1stは全体的に慎重なペースで進み、そり立つ壁に到達した時点でのタイムが前回と比較して10秒以上遅いペースとなった。さらに前回前々回クリアしていたそり立つ壁で2回失敗してしまったことが原因となり、ロープクライムでのタイムアップで自身初の1stリタイア。妻もタイムアップと同時に泣き崩れてしまう。また、出場者の中で唯一だった初出場からの6大会連続1stクリアの記録も途切れた。第7回後に引退を決意。これはレギュラー番組だった『筋肉番付』でも大きく取り上げられ、多くのファンに見守られての挑戦となる。第8回は、台風接近で大雨の中、何度も中断しながらという最悪のコンディションで行われた。山本進悟、秋山和彦のリタイア後、ゼッケン100番での挑戦となった。50人がリタイアを喫したスタートエリア・五段跳びは古館に「100人中1番と申し上げてもいいでしょう」と実況されるほどスムーズに突破。快調なペースでそり立つ壁まで到達するも、雨の影響で滑りやすくなった壁に助走の段階で滑ってしまい、計2回失敗。残り時間10秒で動きを止め、タイムアップとなる。雨の影響で最も滑りやすい左側のコースを選んだことが敗因であり、確認のため真ん中のコースを選択すると一発で成功という皮肉な結果となった。その後、パフォーマンスとしてゴール地点まで行き、拍手の止まない観客席に無念の表情で礼をした。大会終了後はSASUKEと無縁の生活を送り、子供と過ごす時間を増やした。しかし、SASUKEを諦め切れなかった山田はスタッフに手紙を出し、「もう一度チャンスを下さい。親として夫として失格かもしれないけど、一度しかない人生、そう簡単に夢を諦めるわけにはいきません」と、引退を撤回した。引退撤回して挑んだ第9回は、大会前に精神面を鍛えようと四国の山中(徳島県:星谷寺、不動の滝)を訪れ、滝に打たれた。体重を7kg落とし、仕上がりも順調だった。そり立つ壁で1回ミスをするも2回目でクリアし、余裕を持って1stをクリア。続く2ndで、先に挑む挑戦者達がスパイダーウォークの下り部分で滑り苦戦。長野誠に滑ることを確認した山田は、地下足袋にあらかじめ滑り止めスプレーをつけ、スパイダーウォークにたどり着くまでにゴミがつかないようにそれを粘着テープで覆うという加工をした。山田は序盤を無難に突破し、スパイダーウォークに到達。ここで山田は地下足袋の裏の粘着テープをはがす予定であったが、テープが上手くはがれず、さらに手にも滑り止めスプレーをつけるかで悩んでしまったため、挑戦前に17秒のタイムロス。問題の下りの部分は全く危なげなくクリアできたが、この17秒のタイムロスがたたり、結果的に最終エリア・ウォールリフティングの2枚目でタイムアップとなる。山田はその後のインタビューで「テープ貼ったのが間違いでした」と語り、考えが裏目に出る格好となった。第10回は延べ人数1000人目の挑戦者としてゼッケン1000番をつけて出場。1stでオールスターズが4人連続で失敗し、979番から21人連続リタイア、1stクリア者も計4人という中での挑戦となった。そり立つ壁を一発で成功させ、新エリアのターザンロープも落ち着いて対処し、1.7秒を残して1stを突破し、雄叫びをあげた。2ndでは、前回タイムロスを喫したスパイダーウォークも落ち着いてクリアし、2年ぶりの3rdに進出。最終競技者となった山田は初挑戦のランブリングダイスやランプグラスパーを難なく突破し、最終エリア・パイプスライダーまで進出。勢いを殺してジャンプをし、右足をかけてゴールにしがみ付くも、後方にバランスを崩して転落。直後のインタビューでは、古舘の「山田さん、まだ整理がついていないのは分かるんですけど、今後どうしますか」との問いに、「これだけは言えることなんですけど、俺には…、SASUKEしかないんですよ」と涙して語った。その後「自分の気持ちが続く限りはずっと挑戦を続けたいっていう気持ちは、今でも持っているし、きっとこれから先ずっと変わらないと思うんです」と続けている。また、このパイプスライダーで脱落したシーンは2008年に『サスケマニア』で募集された「SASUKE名場面BEST10」で視聴者から多くの票を集め、第6回のパイプスライダー脱落シーンと共に第3位に選出された。第11回は1stで95番から5人連続クリアしていた中、トリを務めた山田も1stを危なげなく突破。2ndではオールスターズを含む6人連続クリアという状況だったが、前回クリアしていたバランスタンクで後方に体が傾いた際に右足を踏み外し落下。オールスターズ唯一の2ndリタイアとなった。第12回は、大会前に鹿児島県の最福寺に訪れ、「護摩行」と呼ばれる荒行を行った。この護摩行とは、3mもの火柱の前で、およそ2時間もの間、「不動真言」のお経を唱え続ける修行で、体感温度は300℃を超えると言われている。山田は「不動真言」を唱え続け途中わずかに後退する場面があったが2時間、修行が終わるまで炎の前から離れることはなかった。今大会は前回ファイナリストの長野誠にゼッケン100番を譲り、自身は初のゼッケン98番での登場となる。1stは特にミスもなかったが慎重なペースがたたり、残り0.72秒というギリギリのクリア。2ndではスタートエリアのチェーンリアクションにおいて安全上の理由から手袋の着用が義務付けられており、挑戦前には「手袋すぐ脱げるのかな」とスタッフに語りかけていた。山田の番となり、チェーンリアクションは問題なくクリアし、スパイダーウォークへ突入。ここでは手袋を脱がなければいけないというルールとなっており、競技中にスタッフも「山田さん!手袋外して、手袋!」と呼びかけていたが、集中のあまり山田は手袋を脱がずにそのまま突入。3.65秒を残してゴールボタンを押したものの、前述のとおりスパイダーウォークでは手袋を脱がなければいけないというルールとなっており、それに反してスパイダーウォークで手袋を脱がなかったため、失格の裁定が下る。本放送は上記のシーンまでしか放送されなかったものの、その後の模様が後日『ZONE』で放送された。この後山田はスタッフのもとへ歩み寄り「手袋を脱がなければならないとは聞いていたが、それをしない場合失格になるとは聞いていない」とクレームをし、次の挑戦者であるヨルダン・ヨブチェフの挑戦前に2ndの再挑戦を行った。タイムアップギリギリまで追い込まれ、3枚目の壁に足を挟まれながら中指でゴールのボタンを押したものの、タイムアップの判定。山田はボタンを指差し、「押したんですよ!」と主張しメカニカルトラブルではないかと再クレーム。ゼッケン100番長野の挑戦が終わった後再々挑戦する事となった。2nd再々挑戦は体力を使い果たしたのか、ブリッククライムの上段で落下。スパイダーウォークでタイムアップとなる。その後、スタッフの制止を振り切ってゴールへと進み、右腕一本で片側のゴールゲートを破壊し、勢い余ってゴール地点の下に転落している。その後正式な判定として「最初の挑戦時の手袋を外さなかった事による失格」という裁定が下された。山田は今大会1stクリア者11人中、唯一の2ndリタイア者となった。山田は涙を流し、「長野誠が俺の分までやってくれると思います。本当は一緒に行きたかったですけど申し訳ないです」と語り、長野も涙を流した。2015年現在、最後の2nd進出となっている。この大会の2nd脱落シーンは2008年に『サスケマニア』で募集された「SASUKE名場面BEST10」で多くの票を集め、「山田勝己 手袋失格事件」として第10位に選出された。第13回はSASUKEトライアルで10.58秒を残して12位になり、出場権を獲得はしたものの、第12回のこともあり、自ら初の欠場という道を選んだ。「今は家族との時間を大切にしたい」とも語っていた。放送を見た後には「自分は出なかったのだなぁ、と痛感して涙が出てきましたよ」と語っている。2大会ぶりの出場となった第14回は、過去8大会(SASUKEトライアルを含めると9回)で一度も失敗したことのなかった1stジャンプハングでリタイア。第15回は、1stクロスブリッジ通過後にバランスを崩しコース外へのリタイア。40代になってから初めての大会となった第16回は、全くミスもなく1stを進んでいったのだが、慎重なペースが仇となり、ゴール目前でタイムアップ。収録後のインタビューで「もう終わりなんですよ。今回で終わりというのは決めていたんで」と語り、引退したいという気持ちを口にした。その後の模様は『BODY』で放送され、CM出演によるイベントでのファンの声援などで気持ちが動き、引退を撤回した(本大会以外の出来事も参照)。第17回直前には、白鳥文平宅で3rd中心の練習を行い、万全の体調で挑んだ。この大会はいつも以上に緊張が山田を襲い、自分の出番までまだ2時間もあるにも関わらず、両腕に滑り止めスプレーをつけるという常軌を逸した行動に出るなど、明らかに平常心を失っていた。3年ぶりのゼッケン100番となり、そり立つ壁まで危なげなく進んでいく。しかし、足が全く前に進まず、4回目の挑戦で壁を乗り越えるもタイムアップとなる。山田は「緊張で立ってるときから足が震えていた」と語った。序盤のペースは長野も舌を巻くほどで、「めちゃめちゃ良かった。もう(エリア間は)バッチリだった」と語っている。また、今大会は山田に憧れてSASUKE出場を決意した長野誠が史上2人目の完全制覇を達成。オールスターズ全員でのファイナル進出を目標にしてきた彼に対し「皆で(ファイナルに)行ったら面白ないやろと思ってましたが、やっぱり皆でっていのが今回長野に教えられたかな」と心境の変化を語っている。長野誠の完全制覇によりリニューアルされた第18回はゼッケン争奪マラソンで、73番という早めのゼッケンを選択。過去出場した16大会中で最も早い出場順となる。また、今大会は初めてスパッツ姿で挑んだ。ジャンピングスパイダーやそり立つ壁の進化版・グレートウォールなども問題なく突破したものの、慎重なペースが仇となり、再びゴール目前でタイムアップ。今大会の1st突破者は6人のみであり、数少ない最終エリア到達者のうちの1人であった。これで3大会連続のタイムアップとなる。第19回はポールメイズでポールを上手く動かすことができず、大幅にタイムロス。残り10秒の警告音の中、ジャンピングスパイダーで落下した。第20回は大会前の2月に自宅の練習セットで顔面を負傷するアクシデントに見舞われた。ゼッケン1999番で出場し、ジャンピングスパイダーで一度はついたものの、その直後に右足を滑らせ転落。第21回は身体の調子が万全ではなく、スタート前から肩や足にテーピングを巻いての挑戦となった。ジャンピングスパイダーをクリアするが、着地の際に足をさらに負傷。負傷した足でハーフパイプアタックをクリアするも、そり立つ壁でタイムアップとなる。後のインタビューでは「もう一回ベストの状態でSASUKEに挑んでみたいですね」と語っている。また、今大会は弟子の宮城拓也(当時22歳)を「SASUKEトライアル2008夏」に推薦。出場者80名中第1位で通過し、大会にもゼッケン48番での出場。大会前には山田の自宅のセットで練習を重ねたものの、1stジャンピングスパイダーでの脱落となった。第22回は大会前に難病の子供から手紙が届き、1st突破を誓ったものの、再びジャンピングスパイダーでリタイア。また、今大会は弟子入りしてきた俳優の中尾明慶がゼッケン88番で出場。大会前には山田の自宅のセットで練習を重ねたものの、前述の宮城同様1stジャンピングスパイダーでの脱落となった。第23回は出場した大会の中で最も登場の早いゼッケン71番での出場。そり立つ壁を4度目の挑戦でクリアするも、残り10秒の警告音の中、スライダージャンプの綱を掴み損ねて頭から転落した。後のインタビューでは「もう一度半年頑張って、次が最後のつもりでやりたい」と語った。第24回、「1stステージをクリアできなければ最後のつもりで」という決意で臨むも、そり立つ壁にて無念のタイムアップ。タイムアップ時は大の字で天を見上げていた。その後の番組中のテロップにも「山田勝己 引退」と表記される。山田は引退こそ明言していなかったものの、この大会をもって「最後のつもりでやりたい」と語っており、第25回大会は欠場となる。第26回大会を前にして、山田は第9回大会同様スタッフに「もう1回挑戦したい」という内容の手紙を送り、出場することが決まった。今回は最大の鬼門のそり立つ壁を攻略すべく腰に20kgの錘をつけ徹底的に下半身をいじめ抜いた。1stは脱落者の多かった新エリアのローリンクエスカルゴを突破。その後のジャンピングスパイダーで一度は張り付くも、直後にバランスを崩して転落した。第27回は、大会前に自宅のそり立つ壁の高さを20cm上げて練習を重ねた。本大会ではそり立つ壁に左手をかける場面が何度かあったものの、クリアすることはできずタイムアップとなる。そり立つ壁を両手で叩き、悔しさを全面に表す場面も見られた。1年半ぶりの開催となった第28回は「オールスターズ最後の戦い」と釘打たれ、秋山、山本が引退した。山田は引退こそ明言しなかったものの、本番前には「どこかでケジメをつけようというのは自分の中である」と語った。第20回以来となるゼッケン99番での登場となり、前日に怪我をした左足を引きずりながらの挑戦となるものの、脱落者の多かったローリングエスカルゴ、スピンブリッジの数少ない成功者となる。2連そり立つ壁に到達した時点で残り時間20秒を切ってしまい、クリアは絶望的となったものの、タイムアップ音と同時に1つ目の壁を乗り越え、会場は歓声に包まれた。数年ぶりに壁を登った山田自身も前回とは対照的に苦笑を浮かべていた。インタビューでは「こんなだらしない結果で、いつもリーダーとしてもだらしなくずっとやってきましたが、分かってほしいのはオールスターズはSASUKEが大好きで、ずっと十何年間一緒に戦い続けてきて、いいメンバーに巡り会えて、俺すごい幸せで。ちょっと足怪我してしまったんですけど、でもスタートに立ちたくて立ちたくて、1年半待ってたんで、次のSASUKEがどうなっていくか、楽しみでありどうなるのか分からないですけど、選手としてか指導者なるのか分からないですけど、SASUKEが何十年続こうが、見届けていきたい気持ちがあります」と語っている。また、漆原裕治を始めとする新世代へのメッセージとして、「まだまだ若い子に伝えなアカンことがいっぱいあって、もっともっとSASUKE好きになって、もっと練習して、落ちたらもっと悔しがって泣いてくれたらいいと思います。それが俺の願いというか、思う気持ちはあります」と語り、地面に座り込んだ朝一眞が目に涙を浮かべるシーンもあった。第16回から40代を迎えたこともあり、2015年現在14大会連続で1stリタイアを喫している。第29回は欠場したが、山田軍団・黒虎を率い、1st STAGEを徹底解説、さらには3rd STAGEのデモンストレーションを担当。約10年ぶりの3rd挑戦となった。アイアンパドラーで若干苦労したものの、結果的にはクレイジークリフハンガーの2本目の終盤でリタイアとなった。第32回では、YouTubeで公開された1stからFINALまでの各エリアの解説を担当した。FINALではセット横の階段からゴール地点への登頂を行い、初めて頂上からの景色を眺めた。この際山田は「どこかチャンスがあるならば、必ず戻ってきます」と、復帰への意欲も見せていた。初出場から6大会連続1stクリアの記録を保持。第12回までは10回1stを突破しており、常連組の中でも抜群の安定感を誇っていた。クリアした10回のうち4回(第5、6、9、10回)がクリア者一桁の大会であり、クリア者の少ない大会で活躍する傾向が強いことが特徴。最優秀成績は過去3度(第3、6、10回大会)経験しており、長野誠(8回)、漆原裕治(4回)に次いで3位(2015年現在)。1stの難関エリア・ジャンプハングを得意としており、2000年春から2003年春(第5回-第12回、SASUKEトライアル)まで9回連続でクリアしている。第14回に初の失敗を喫したものの、その後の大会は全てクリアしている(2015年現在)。1stの難関エリア・そり立つ壁は40代を迎えた第16回大会以降鬼門エリアとなっている。そり立つ壁が初登場した第5回では、このエリアでの脱落者が続出したが、山田は本放送における成功者5人のうちの1人となっている。初挑戦の第5回からSASUKEトライアルを含む第16回までに10回挑んだそり立つ壁は計8回2回目までに成功させており、比較的得意としていた。その後は40代を迎え、足腰に衰えが見え始めたこともあり、第18回(グレートウォール)、第23回以外の大会はリタイアを喫している。第12回までは12回中6回2ndでリタイアしており、鬼門となっていた。特にスパイダーウォーク関連のリタイアが多く、2ndがリニューアルされた第7回以降は3度進出するものの、その内の2度はスパイダーウォークが原因でのリタイアである。大リニューアルが敢行された第18回大会以降も1stジャンピングスパイダーに4度屈するなど、未だ鬼門となっている。3rdでは進出した過去4回中3回最終エリア・パイプスライダーまで到達している。第6回時のインタビューでは「1st、2ndに自信あっても3rdに自信がなかったら出ないほうがいい」と語っており、自信を持っていたことが伺える。パイプスライダーでは片方が順手、もう片方が逆手という特徴的なグリップをしており、当初は山田のみが行う手法だった。初挑戦の第3回ではスタート直後からバーが傾いでしまったことにより、古舘伊知郎から「このグリップの仕方はどうだったのか?これは、考え外れた戦略でありましょうか」と実況される場面もあった。第6回のコース外転落について古舘伊知郎は「振り子のように横に振られるから、反動がついて落ちやすくはなる」と本放送で解説している。しかし、第8回のヨルダン・ヨブチェフが山田のような順手・逆手の手法でパイプスライダーを成功。さらにその後オールスターズを中心に順手・逆手の手法が普及し、何人かの成功者が出たことにより、順手・逆手の手法は主流のものへと変化していった。専用のBGMがテーマソングとして存在する。学生時代は野球、陸上を行っていたほか、ソフトボールで全国大会出場という経歴を持つ。背筋力は240kgである(第3回の3rd実況より)。スポーツ引退後、25歳からトレーニングを再開し、SASUKEと出会う。後に山田は「学生時代は人より運動ができたため、できない人の気持ちを理解することができなかったが、SASUKEは挑戦する度に落ち続け、非難を受けたことが挑戦を続ける理由の一つになった」と述懐している。愛称は「浪速のターミネーター」、「浪速のブラックタイガー」、「漆黒の通天閣」、「人生SASUKE」、「職業SASUKE」、「無冠の帝王」、「ミスターSASUKE」など。かつては「完全制覇に最も近い男」とも呼ばれていた。「浪速のターミネーター」とは、山田がアーノルド・シュワルツェネッガーに似ていることから、当時の実況者であった古舘伊知郎が『クイックマッスル全国選手権』出場時につけた最初の愛称である。「浪速のブラックタイガー」という愛称も生まれ、後に結成した「山田軍団・黒虎」はこの愛称を参考に命名した。古館が降板した第13回以降は「ミスターSASUKE」と呼ばれることが多くなり、SASUKEに出場した際の肩書きに表記されることもある。自宅にSASUKEのセットを初めて作成した人物である。山田の影響により、現在は多くの出場者が自宅にSASUKEのセットを作成して練習している。また、多くの有力選手が山田の活躍に影響されてSASUKE挑戦を志している。1996年『筋肉番付』内で開催された『クイックマッスル全国選手権』本選出場を目指し、大阪府の予選会に参加。激戦区と呼ばれた大阪大会を212回という記録を残して1位通過し、本選出場権を獲得した。『クイックマッスル チャンピオンシップ』の王座挑戦権も獲得し、当時無敗のチャンピオンであった朝野公平と対決。朝野275回、山田249回で王座奪取はならなかった。1996年9月7日、『クイックマッスル全国選手権』本選に大阪府代表として出場。会場には身重であった妻と長男、当時の職場の同僚などが応援に来ていた。本選では1回戦を250回、2回戦も同じく250回の記録を残して準決勝進出。いずれも対戦相手の回数を見てペース配分を行い、余力を残しての勝利であった。準決勝の相手は無敗であった朝野公平を破り、最高記録307回を記録した秋山和彦。当時はセンサーが用意されておらず、秋山が低い姿勢の腕立てをしたとして2度の警告(1度につき10秒間のペナルティー)を受ける。終盤まで快調なペースで秋山を引き離すが、残り15秒から秋山が猛烈な追い上げを見せ、結果は両者298回。審議となり、秋山が2度の警告をうけていたため、山田が決勝へ駒を進めた。山田は後のインタビューで「(まさかここまで来るとは)思ってなかった。298回なんか練習でもしたことない」と語っている。決勝は岩手代表の伊藤忠夫との勝負となるが、準決勝での激闘により充分な体力は残っておらず、結果は伊藤300回、山田243回で惜しくも準優勝に終わる。山田はこの後悔し涙を流している。準決勝で記録した298回は秋山(307回)、伊藤(300回)に次いで大会第3位の記録である。山田はこの大会での活躍をきっかけにSASUKE出場を果たしている。2006年、お台場マッスルパークにて秋山和彦と10年ぶりの腕立て勝負が行われた。10年のブランクを感じさせない両者は、秋山253回、山田222回で幕を閉じた。この勝負は『サスケマニア』にて放送された。1997年12月27日、『筋肉番付スペシャル!!』として東京湾アクアラインで行われた『MUSCLE RECORD 9ミニッツ』に近畿代表として出場。ルールは3分間腕立てして1分間休憩、これを3ラウンド繰り返すというもの。大会では644回を記録し、682回を記録した伊藤忠夫に次いで準優勝となる。2000年10月、過去の成績優秀者のみを集めた『三色筋肉決戦大会』に出場。ルールは1分毎に腹筋、背筋、腕立て伏せをするというもの。9月に行われたSASUKE第6回大会のパイプスライダー落下時に腰を強打したため、出場が危ぶまれたものの、体調を回復させ、三色筋肉用のセットを自宅に作成して練習に励んだ。本番前には「クイックマッスルからずっと数えてみても準優勝ばっかりで、SASUKEに関してもあともう少しで落ちているんで、俺の中では一番じゃないと意味がない」と意気込みを語った。本選では212回の自己記録を持つ高田聖一との勝負になり、山田214回、高田192回で勝負を制し、暫定1位となる。その後、賀出泰崇(172回)との勝負を制した伊藤忠夫(233回)に抜かれ、またしても準優勝となった。この模様は『ケイン・ザ・マッスル』内で放送された。2001年、『筋肉番付』内の1コーナーである筋肉行脚にて秋山和彦と対決を行った。全体を通して秋山に遅れをとる形となったものの、腕立て残り10秒で猛烈な追い上げを見せ逆転。結果は山田202回、秋山200回で山田の勝利となった。後ろにNo.1決定戦の垂れ幕が下がっていたため、収録されたのは『スポーツマンNo.1決定戦』時だと思われる。2001年、『筋肉番付』で池谷直樹との三色筋肉対決も行われた。腹筋でのカウントミスが多発し、池谷に10回以上遅れをとるペースで最後の腕立て伏せに突入。猛追したものの腕立てでもカウントミスが多発し、結果は池谷212回、山田201回となった。フジテレビの『海筋肉王』にも2005年4月から2006年7月にかけて出場。個人戦、ペア戦含めて過去4回出場している。個人戦第2弾に初出場。予選会では1分間腕立て伏せ152回の記録を作り、秋山和彦(164回)に次ぐ第2位の成績となった。1stキャノンボールでリタイアとなる。ペア戦では第1弾に長男の優雅と参戦。1stバンブロード挑戦途中でタイムアップとなるも、上位15名が2nd進出となるルールであったため、2nd進出。最終エリア脱出ロード挑戦前でタイムアップとなるも、最後まで登りきった。終了後のインタビューの際に鼻血を出すハプニングもあった。また、この放送は本田技研工業・ステップワゴンの1社提供であり、番組中のCMにも出演した(ワゴンの中でぬいぐるみを抱いて寝ている姿で出演)。個人戦第3弾では前回リタイアしたキャノンボールをクリアするも、慎重なペースが仇となり、最終エリアであるキャプテンキャビンのゴール付近でタイムアップとなる。最後の出場となったペア戦第3弾は1stパーレイでタイムアップ。2001年発売のGB専用ソフト「筋肉番付GB3〜新世紀サバイバル列伝〜」に山田勝己をモデルにした「ミスター・ボンベ」というキャラが隠しキャラとして登場。当時、ボンベ配送業をしていたためにつけられた名前である。パワーとスタミナの値が高く、特にパワーは全登場キャラの中でトップクラスである。2001年発売のGBA専用ソフト「筋肉番付〜決めろ!奇跡の完全制覇〜」に初めて実名で登場し、パッケージにも出ている。パワーとスタミナの値が高いキャラクターとなっている。2001年発売のPS2専用ソフト「筋肉番付〜マッスルウォーズ21〜」の「マッスルシアター」で一定の条件を満たすことにより、第6回までの大会のダイジェスト映像を視聴できる。2002年発売のニンテンドーゲームキューブ専用ソフト「マッスルちゃんぴよん〜筋肉島の決戦〜」に山田勝己をモデルした「やまださん」というキャラで登場。2006年発売の体感ゲーム「SASUKE&筋肉バトルスポーツマンNo.1決定戦」のイメージキャラクターとなり、「4倍楽しい!」のキャッチフレーズでCMに出演。番組側は第16回終了時に山田が引退を決意していたため、出演するか否かは本人の気持ちに委ねたが、山田を出演を快諾した。事実、CMスタッフは収録直前まで山田が引退を決意していたことを知らされていなかった。山田は参加したイベントで多くのSASUKEファンからの励ましに触れ、引退を撤回した。このイベントでは得意の腕立て伏せも披露している。TBSの『水曜日のダウンタウン』に頻繁に出演しており、SASUKE企画だけではなく、演技やカラオケにも挑戦している。
出典:wikipedia
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