市谷本村町(いちがやほんむらちょう)は、東京都新宿区の町名。住居表示実施済み地域であり、「丁目」の設定がない単独町名である。新宿区の東部に位置し、牛込地域の南東部にあたる。町域の北は新宿区市谷薬王寺町及び市谷加賀町、東は同区市谷左内町及び市谷八幡町にそれぞれ接する。町域の南東部は旧江戸城外堀を境に千代田区五番町に接し、町域の南は靖国通りを境に新宿区本塩町・四谷坂町・片町に、西は外苑東通りを境に同区市谷仲之町に接する。町域内は、防衛省をはじめ公的な施設が大半を占めている。防衛省以外に西部の防衛省薬王寺門脇に、警視庁第五機動隊と警視庁特科車両隊がある。南西部は中央大学市ヶ谷キャンパスがある。北部は、財務省や国立印刷局等の関連施設などが置かれる。南部の靖国通りと外堀通りに挟まれた区域では、各種ビルや商店のほか、少数の住宅がある。江戸時代、町域内の主体的な部分には尾張徳川家上屋敷があった。屋敷跡一帯は明治時代以降、陸軍士官学校が置かれていたが、1937年の陸軍士官学校の移転に続いて1941年9月には陸軍予科士官学校も朝霞(振武台)に移転。同年12月8日から15日にかけて、陸軍省、参謀本部(大本営陸軍部)、教育総監部、陸軍航空総監部が、三宅坂一帯からこの陸士跡地に移転してきた。また、このように陸軍中枢が集積していたこの地を「市ヶ谷台」とも総称していた。戦後、極東国際軍事裁判(「東京裁判」)が旧陸士講堂で行われた。以降この地は現在まで自衛隊の陸上・海上・航空それぞれの駐屯地・基地として用いられた。また2000年になると、旧防衛庁がこの地に移転し、2007年には防衛庁が防衛省に昇格するなど防衛省市ヶ谷地区の再編が行われた。1970年に三島由紀夫が旧陸士講堂から自衛隊員に決起を促し、割腹自殺を果たした場所としても知られている(「三島事件」)。1984年に従前の町名町界を継承する形で住居表示が実施された。町域内には鉄道駅はないが、東部では各線の市ケ谷駅が、西部には都営新宿線の曙橋駅及び都営大江戸線牛込柳町駅がそれぞれ利用可能な範囲にある。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。