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河内本

河内本(かわちぼん)は、源氏物語の写本のうち、大監物源光行とその子源親行(いわゆる河内方)が作成したとされるもの、およびそれを写して作成されたとされるものをいう。「河内本」という呼び名は光行・親行がともに河内守を歴任していることに由来する。源光行とその子源親行が協力して、当時乱れに乱れていた源氏物語の本文を正すために作られた。その当時伝来していた21部の源氏物語の古写本を集め、「数度の校合」と「重校」によって「殆散千万端之蒙(疑問を解消することが出来た)」という。源光行によって1236年(嘉禎2年)2月3日に始められ、源光行の没後、源親行によって1255年(建長7年)7月7日に一旦これを完成させたとされる。集められた古写本の中で源光行がもともと持っていた写本と以下の7つの写本を特に重要視していたとされる。これら以外にも、平瀬本奥書などによって香本・花本・俊本・武衛本・江本・山本・馬本といった写本を参照していたことはわかるものの、これらの写本がどのような由来を持ちどのような本文を有する写本であったのかはほとんど不明である。この本は源光行の没後、源親行によってほぼ完成され、定本として家に伝えたとされることになったが、その後も親行の子源義行、孫源友行等が代々加筆して伝えたとされている。源光行・源親行がともに河内守を歴任しているため河内本の名称が冠せられている。鎌倉時代から室町時代前期にかけて重んぜられ、その後も大きな影響力を持った本文である。この「河内本」を書写した諸本の系統を「河内本系」と呼ぶ。校勘に校勘を重ねて「殆散千万端之蒙」にいたったとされる。つまり河内本とは、もともとあった本文に積極的に手を加えて新たに作り出された意味の通りやすい混成本文であったとみられる。河内本は南北朝期・室町初期までは青表紙本よりもむしろ盛んに用いられていたが、室町中期、宗祇・三条西実隆の頃から、定家の青表紙本を尊重すべきことが強調され、それ以後河内本は研究者の目にほとんど触れなくなり、近代まで世に埋もれてしまうこととなった。しかしながら河内本衰退後に有力になった青表紙本や青表紙本の系統に属するとされる絵入源氏物語や湖月抄などの江戸時代の版本の本文は河内本の影響を大きく受けていると見られる。これは、青表紙本にはしばしば意味の通らない箇所や別の部分の記述と矛盾するように見える記述があり、該当部分の河内本を見ると意味が通るような記述になっていることが多いために、河内本にそって青表紙本に訂正を加えることがあったからだと見られる。最も良質な青表紙本の写本であると言われている大島本でも本来の本文に対して河内本に基づくと見られる多くの訂正の跡を確認することができる。主要な写本として以下のような写本があり、そのうちのいくつかは複製(影印)刊行されている校異を収録した本として、次のようなものがある。

出典:wikipedia

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