LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

第四航空戦隊

第四航空戦隊(だいよんこうくうせんたい)は、日本海軍の部隊の1つ。航空母艦を主力とする機動部隊。解隊と再編成を繰り返した部隊。初代第四航空戦隊は1937年(昭和12年)12月1日に編制、日本海軍は鮫島具重少将を第四航空戦隊司令官に任命する。水上機母艦2隻(能登呂、衣笠丸)からなる部隊である。旗艦はおもに「能登呂」が務めた。1938年(昭和13年)4月28日、「衣笠丸」は特設運送艦に類別変更。徴傭船となる。6月26日、鮫島少将は第四航空戦隊旗艦を「能登呂」から球磨型軽巡洋艦1番艦「球磨」に変更した。初代第四航空戦隊は8月1日附で解隊、将旗は「球磨」より撤去される。鮫島少将は第十三戦隊(球磨、第11掃海隊、第2砲艦隊)司令官に補職され、「球磨」に第十三戦隊の将旗を掲げた。「能登呂」は第三航空戦隊に編入された。1941年(昭和16年)4月10日、空母「龍驤」を旗艦として新編。新任司令官は桑原虎雄少将。9月1日、第一航空艦隊を構成する部隊として再編される。同日附で桑原虎雄司令官は第三航空戦隊司令官へ転任、それまでの三航戦司令官角田覚治少将が四航戦司令官となる。同年9月12日内示の昭和17年度海軍戦時編制によれば、第四航空戦隊は空母「龍驤」と隼鷹型航空母艦2隻(隼鷹、飛鷹)および第3駆逐隊(汐風、帆風、旗風)を予定していた。だが、この編制を実施する前に、日本海軍は太平洋戦争に突入した。太平洋戦争開戦時の主な艦艇は空母2隻(龍驤、春日丸)と第3駆逐隊(汐風、帆風)が所属していた。開戦劈頭、第四航空戦隊(龍驤)はフィリピンの戦いに参加。12月13日、「春日丸」(後日大鷹と改名)は呉鎮守府所属となり、第四航空戦隊から除かれる。「龍驤」は引き続き南方作戦、蘭印作戦、スラバヤ沖海戦、セイロン沖海戦等で活躍した。1941年(昭和16年)12月22日、剣埼型潜水母艦1番艦「剣埼」改造空母「祥鳳」が竣工、第四航空戦隊に編入される。零式艦上戦闘機の配備が間に合わず、九六式艦上戦闘機を搭載していた。1942年(昭和17年)2月1日、「祥鳳」は第四航空戦隊所属のまま南洋部隊(指揮官井上成美中将/第四艦隊司令長官、旗艦「鹿島」)に編入。第四航空戦隊(龍驤)とは別部隊に所属して作戦に従事。「祥鳳」は南洋部隊所属のまま、5月7日の珊瑚海海戦において撃沈された。一方、セイロン沖海戦を終えて内地に戻った第四航空戦隊(龍驤)に隼鷹型航空母艦1番艦「隼鷹」が編入され、所属空母は2隻(龍驤、隼鷹)となる。第四航空戦隊は第二機動部隊を編制し、アリューシャン作戦等に参加した。ミッドウェー海戦での敗北をきっかけにした第三艦隊の新編に伴い、四航戦は1942年(昭和17年)7月14日に解隊。所属空母2隻(隼鷹、龍驤)及び角田少将は、再編された第二航空戦隊に所属した。1944年(昭和19年)5月1日、伊勢型戦艦2隻(日向《戦隊旗艦》、伊勢)と第六三四海軍航空隊にて、世界でも類を見ない航空戦艦による航空戦隊として編成される。四航戦司令官は松田千秋少将。6月19日-20日のマリアナ沖海戦には参加しなかった。本海戦で第二航空戦隊は空母「飛鷹」を喪失、7月10日附で解隊される。残存の空母「龍鳳」は第一航空戦隊に、「隼鷹」は第四航空戦隊にそれぞれ編入、四航戦は3隻(日向、伊勢、隼鷹)となった。7月20日には、高松宮宣仁親王(昭和天皇弟宮、軍令部大佐)が四航戦の射出訓練を視察している。8月上旬、戦闘第163飛行隊、戦闘第167飛行隊を順次第634空海軍航空隊に編入。8月10日、第一航空戦隊を雲龍型航空母艦2隻(雲龍、天城)で再編し、それに伴い「瑞鶴」は第三航空戦隊に、「龍鳳」は第四航空戦隊に編入。四航戦は4隻(日向、伊勢、隼鷹、龍鳳)となった。搭載予定の航空隊が両艦に一部配備されて訓練していた際に台湾沖航空戦が発生し、九州・フィリピン方面に転用されてしまったために、実戦における航空戦艦の艦載機運用の実績は無い。捷一号作戦におけるレイテ沖海戦(エンガノ岬沖海戦)では、四航戦のうち航空戦艦2隻(日向、伊勢)のみ参加。米海軍機の激しい攻撃を回避、多数を撃墜して無事生還した。11月15日、第一機動艦隊および第三艦隊は解隊し、第四航空戦隊は第二艦隊に所属する。内地より東南アジアへ進出中、第二遊撃部隊(指揮官志摩清英中将/第五艦隊司令長官)に編入された。1945年(昭和20年)1月1日附で、第四航空戦隊(日向、伊勢)は南西方面艦隊に編入される。2月5日附で第十方面艦隊(司令長官福留繁中将)が編制されると、四航戦以下第二遊撃部隊の大部分も同艦隊に所属した。だが日本本土への撤退と物資輸送作戦を兼ねた北号作戦実施にあたり、2月10日附で連合艦隊に編入。また軽巡洋艦「大淀」を第四航空戦隊に編入、同隊は3隻(日向、伊勢、大淀)となった。第四航空戦隊および第二水雷戦隊(司令官古村啓蔵少将)で編制された『完部隊』(指揮官松田千秋第四航空戦隊司令官。日向、伊勢、大淀、霞、初霜、朝霜)は連合軍の攻撃を巧みに回避して内地に帰還、作戦は完全な成功を収めた。第四航空戦隊解隊後の3隻(日向、伊勢、大淀)は呉軍港に繋留され、7月の呉軍港空襲で大破着底した。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。