『センゴク』は、宮下英樹による漫画作品。講談社刊『週刊ヤングマガジン』に2004年から掲載され、第2部を『センゴク 天正記』、第3部を『センゴク 一統記』として連載。2015年50号から第4部にして最終章『センゴク権兵衛』が連載中。2007年2月より番外編として『センゴク外伝 桶狭間戦記』(全5巻)が連載され、累計発行部数は連載11年目となる2015年3月時点で累計750万部。時は戦国時代、稲葉山城の戦いで美濃・斎藤家の家臣だった仙石権兵衛秀久は織田信長に捕らえられ、その部下として織田家中に迎え入れられる。合戦に明け暮れる過酷な日々の中で権兵衛は、織田信長・羽柴秀吉ら戦国時代の英傑たちの下で失敗と挽回を繰り返しながら成長してゆく。美濃・斎藤家家臣仙石権兵衛秀久(十五)は美濃を征服した尾張国主・織田弾正忠信長に見出され、その家臣・木下藤吉郎秀吉の寄騎となる。怒涛の勢いで勢力を広げる織田家に危機感を抱いた諸大名の信長包囲網の中、権兵衛は数々の死闘を潜り抜ける。1567年の稲葉山城の戦いから金ヶ崎の退き口、姉川の戦い、比叡山焼き討ち、三方ヶ原の戦い、一乗谷城の戦いを経て、1574年の小谷城の戦いによる浅井家の滅亡までが描かれる。全15巻。小谷城攻略の功績により大名に取り立てられた秀吉と共に権兵衛(二十二)も一千石の領地を預かる領主となり、家臣団を組織する立場となった。一指揮官としての成長を迫られながら、未だ続く信長包囲網を戦い抜く。1574年の長島一向一揆から長篠の戦い、雑賀攻め、手取川の戦い、中国攻め、甲州征伐による武田家滅亡までが描かれる。全15巻。1582年、中国遠征を続ける秀吉の備中攻めより物語は始まる。天下統一を目前とした織田家は本能寺の変により衰退の一途を辿ることになる。一つの時代が終わりを迎え、新たなる時代の始まりを迎える。高松城水攻め、本能寺の変、中国大返しと山崎の戦い、清洲会議、引田の戦い、賤ヶ岳の戦い、小牧・長久手の戦いまでを描く。全15巻。1584年の九州から物語は始まる。沖田畷の戦いにより龍造寺の衰退が始まり、島津家は九州統一まであと一歩と迫っていた。一方、淡路国の大名となった権兵衛(三十四)は長宗我部の抑えとして役割を果たしていた。戸次川の戦いでの大敗などから余り好意的な評価を受けてこなかった美濃出身の武将仙石秀久を戦国史上最も失敗し挽回した男として、主人公に据えて戦国時代を描く異色の作品である。タイトルは戦国時代と主人公の姓「仙石」を引っかけたもの。仙石同様に山崎新平、鳥居景近、野々村正成、堀才介といったマイナーな武将が、展開の鍵を握る人物として描かれている点も本作の大きな特徴である。その上で丹念な歴史研究に基づいて戦国時代の通説・俗説を覆す仮説を「だがこの通説には疑問が残る」というフレーズと共に提示するのも本作の特徴である。こうした精密な時代考証と大胆な人物描写の両立による歴史描写は本作の魅力の一つであり、「全ての常識を覆す超リアル戦国合戦譚」がキャッチフレーズとされている。また作中では様々な古文書の一文が解説文と共に引用され、出典元が明確にされるなど考証に関する誠実な姿勢がとられている。考証では東京大学史料編纂所の本郷和人助教授(准教授に改称後、2012年から教授)ら識者の協力を得ており、自身も現地取材や文献調査は勿論、新しく発表された研究論文などにも目を通しているという。また実在する別時代の歴史的人物をモチーフとして反映させたり、時事的な話題を作中のアイディアにしているなど必ずしも史実のみを絶対視している訳ではない。連載が続く中で大きな話題を集めて第32回講談社漫画賞一般部門に受賞候補として選出される人気作へと成長し、様々な小説・外伝・関連書籍が展開、2011年にはコンビニで総集編も販売された。『戦国大戦』『鬼武者Soul』などゲーム作品とのタイアップ企画も多く、2014年には『信長の野望・創造』とのコラボレーションが行われた。累計発行部数は連載11年目となる2015年3月時点で累計750万部に達している。同年には公益財団法人・日本財団が主催した「これも学習マンガだ!」の百選に歴史漫画部門で選ばれた。この作品では、登場人物名は「(苗字)+(仮名or官職名)+(諱)」で表記され、名が挙がる場合(特に口語)では諱より仮名や官職名が用いられる。現代では歴史上の人物名を表記する場合、一般に「仙石 秀久」のように「(苗字)+(諱)」で表される。正しくは「(苗字)+(仮名or官職名)+(諱)」(例:仙石権兵衛秀久)であり、特に諱は朝廷の公式文書などで用いられるにすぎず、もっぱら日常会話などでは苗字か仮名、官職名が用いられるのが一般的だった(センゴクは権兵衛、秀吉は籐吉郎または筑前守、信長は上総介または弾正忠)。また、諱を避けるためでもある。詳しくは諱#諱と通称との区別の消滅 や、避諱#日本での例を参照のこと。一方で、出家し俗名(本名)とは別に仏教徒としての戒名(法名)を持っていた武田晴信(武田信玄)を武田法性院信玄、上杉輝虎(上杉謙信)を上杉不識庵謙信などのように、本名の苗字と戒名を混ぜている本作の独自表記も見られる。例えば、本作中の他の大名や武将(織田弾正忠信長など)とあわせた表記をこの二人にするならば、武田信玄は「武田大膳大夫晴信」、上杉謙信は「上杉平三輝虎」のようになる。戒名(法名)の場合は武田信玄が「徳栄軒信玄(法性院信玄は死後)」、上杉謙信が「不識庵謙信」であり、本名における氏姓名は用いられない(本名をそのまま戒名とする人物の場合はその限りではない)。他、信長の妹であるお市の方が織田家ではなく夫の浅井家の人間であることを強調するために夫の苗字を使用し「浅井市」と名乗るなど、本作での名は必ずしも史実に忠実ではない。江戸時代以前の日本では婚姻関係を結んでいる夫婦であっても源頼朝の妻・北条政子が生涯北条であったように、婿養子でもない限りは婚姻後に配偶者の氏や苗字に改めることはなかった。権兵衛と川爺以外の人物は第二部から登場。元々は美濃の豪族であったが、秀久が織田家に仕官すると数々の武功を上げ、羽柴軍の寄騎衆でも屈指の規模となったが、権兵衛の方針で武具などに銭を惜しまず、戦のためならば後先考えず、借銭なども厭わないため、万年金欠となっているのが悩みの種。本拠地は近江国野洲郡だが、美濃や播磨にも領地を有している。第三部で淡路国を平定したことで大名(淡路国・洲本城主)となり、以後は羽柴家の事実上の四国方面担当となっている。権兵衛が所属する武家。半農の者も多く織田家臣時代には「泥ネズミの如き部隊」と言われていた。金ヶ崎撤退戦などの武働き、長比城調略などの政略と次第に功を挙げ、小谷城攻略の恩賞に北近江三郡を与えられ、大名となった。第二部では本拠地を長浜城に置き明智隊と功を競い、ついには西国方面軍に抜擢。一軍団で大国・毛利家と互角以上に渡り合うなど信長ですら望外の成長を見せるが、第三部の本能寺の変に際しては毛利家との電撃和睦からの中国大返しを敢行、山崎の戦い勝利の立役者となった。信長の死後は織田傘下の諸将を取り込み、最大の政敵であった柴田家との戦いを制してついに織田家中で唯一無二の筆頭宿老としてすべての実権を牛耳ることになった。また天下人として力を誇示するため日ノ本最大の商い地・大坂に大坂城の普請を始め、小牧・長久手の戦いの後、秀吉の官位が織田信雄を上回った事を以て簒奪を完遂した。第四部からは毛利・上杉家をも事実上の傘下に組み入れ、名実共に天下人の勢力となり天下統一戦を開始する。三河の戦国大名。長年に渡り艱難辛苦の道を歩んできた家で、それ故に戦国時代には特異なほどの団結力がある。織田家とは同盟を結んでいるものの、実質傘下の勢力に近い扱いを受けている。第一部から第二部にかけて隣国の武田家に三方ヶ原で大敗を喫し領土を侵食されるなど、苦渋を味わわされたが長篠の戦いでついに武田家を打ち破ると第二部終盤で東海道を平定する。第三部では本能寺の変に伴う織田領の空白地帯(旧武田領)を巡って北条家や上杉家と戦い(天正壬午の乱)、信濃・甲斐を併合して五ヵ国を治める大大名となった。尾張の戦国大名。行軍速度は神速と評され、権兵衛が当初仕えていた美濃・斎藤家を滅ぼし、足利義昭を擁立するなど破竹の勢いで勢威を伸ばす。幾度もの織田家包囲網で一時は窮地に立たされるが、最終的にはこれすらも制して天下統一に最も近い勢力となる。第二部時点では、中部地方から近畿地方までその勢力を拡大しており、戦国大名でも屈指の領土を有していた。家中では下克上の言葉の下に苛烈な実力主義・競争主義を敷いているが、本能寺の変を境に家老・羽柴秀吉の台頭もあって衰退を始め、小牧・長久手の戦いを以て羽柴家による下克上が完遂し、羽柴家の一配下にまで落ちぶれた。秀吉を含めた柴田・丹羽・明智・滝川が織田五大将と呼べる重臣でそれぞれが司令官として各方面軍を統率している。司令官は明智光秀。本拠地は近江国坂本城。第二部から第三部にかけて畿内全域を手中に治めて織田家の筆頭部隊であったが突如、謀反。本能寺の変を起こす。司令官は柴田勝家で、本拠地は越前国北ノ庄城。第二部では手取川の戦いで上杉軍に完敗を喫したが、謙信亡き後の第三部では弱体化した上杉家を圧倒している。本能寺の変後の織田家中では羽柴家と二大勢力となるも、織田家乗っ取りを画策する秀吉と対立し、賤ヶ岳の戦いを起こす。司令官は神戸(織田)信孝、補佐に丹羽長秀。四国方面軍が結成された直後に本能寺の変が起きた為、他の方面軍に比べると功がなく、後に秀吉率いる西国方面軍に吸収された。『第一部』に登場。美濃の戦国大名。物語冒頭で織田家に滅ぼされた権兵衛の元の主家で、当主の龍興はその後も信長の首を狙った。『第一部』に登場。近江北部を治める戦国大名。織田家と同盟を組んでいたが、盟友・朝倉家が織田家に侵攻された事で裏切り、織田包囲網の一角となる。第一部終盤で織田家に滅ぼされる。『第一部』に登場。越前の一乗谷に居を構える戦国大名。名門だがそれ故に世情に疎く、さらに家中は守旧派と急進派に分かれている。織田家の侵攻を受け、盟友の浅井家らと共に織田包囲網を形成するも第一部終盤で織田家に滅ぼされる。『第一部』から『天正記』に登場。甲斐に居を構える戦国大名。一国の主にもなりうる実力を持つ猛者を数多抱える戦国最強軍団であり、独立連合体と言える。当初は織田家と結んでいたが、比叡山焼き討ちを大義名分として織田家殲滅を画策する。第二部では信玄亡き後も勝頼を「シンゲン」とし衰えるどころかさらに勢いを増し、一時は武田家最大の版図を広げるも、長篠での決戦に惨敗を喫す。その後は勝頼自ら、武田家を生まれ変わらせるべく奮闘するものの、旧制に固執した重臣らの謀反に加え織田・徳川・北条らの“多方面侵攻”甲州征伐によって滅亡した。『第一部』から『天正記』に登場。浄土真宗を旨とする日本最大の教団。膨大な財力と全国各地に広がる一向宗徒を抱える。幾度も信長包囲陣に参画し、各所で信長を窮地に追い込む。しかし対織田戦線が劣勢に陥ってくると宗主・顕如は織田家の和睦勧告を受け入れ本拠地・大坂から退去、徹底抗戦派であった息子の教如も分断工作に屈し、退去した際に石山本願寺が焼失する事となった。越後を拠点とする戦国大名家。第一部ではわずかに触れる程度の扱いで、『天正記』から正式に登場。質実剛健をモットーとしており、武田家と並び戦国最強の武力を誇る。織田家とは同盟関係にあったが、突如方針を転換し信長と敵対する。北国ということから当主謙信をはじめとする上杉家の人々はソ連・ロシアの政治関係者に酷似した風貌をしているものが多い。謙信健在時は織田家相手に優勢を保っていたが謙信が死去し、家督争いが起きると著しく国力を低下させ、第三部では柴田北陸方面軍に押し込まれていたが本能寺の変による織田家の混乱によって危機から脱する。『権兵衛』では織田を傘下に入れた羽柴と同盟を結ぶ。当初は、手取川の合戦での上杉家を描くかどうかは定かではなかったが、NHKの大河ドラマで上杉謙信を扱った天地人が放送されたことで、描かれることになったことが、『天正記』単行本15巻のあとがきで書かれている。『天正記』から登場。安芸を拠点とする戦国大名家。かつて一郡の国人に過ぎなかったが、尼子・大内の両大国を滅ぼし西国の覇者となった。織田家とは対極の国人連合体による衆中合議という体制により、強固に家臣団を統率している。織田家の西国方面軍の羽柴軍と中国地方を巡る。当初は羽柴軍に優勢であったが、秀吉がその才能を開花させると次第に劣勢となり織田信長率いる本隊出陣間近という状況で滅亡は目前にまで迫っていたが、本能寺の変が起こったことにより羽柴軍と和睦、その後、羽柴家が織田家を簒奪し、日ノ本の最大勢力になると正式に同盟を結んだ。『天正記』から登場。紀伊を拠点とする鉄砲傭兵集団。顕如の依頼により織田家と戦う。孫市の差配で人々は様々な職に就いて自由に生きているが、それ故士気の持続力が無い。信長でも降せなかった雑賀衆だが『権兵衛』では堺・大坂襲撃が秀吉の怒りを買い、「紀州征伐」を招くこととなった。十万にも及ぶ羽柴軍の侵攻を受け、緒戦の千石堀城の陥落を機に次々と制圧され、象徴であった根来寺の焼き討ちの憂き目に遭った。『一統記』から登場。淡路島を支配する海賊衆。武家の様に領地という概念を持たず海の上で生活しており、ある意味で雑賀衆以上に自由を謳歌する。陸地を支配する領主が現れても形式的にしか従わず、近海の制海権を通じて実権を掌握している。菅と権兵衛の会談で、元は陸地に住んでいた者が土地を奪われて家船となった事が起源であると語られる。『一統記』から登場。土佐を拠点とする戦国大名家。かつては土佐七雄の一角として君臨していたが没落し、土佐一乗家の庇護の元に再興した。一領具足と呼ばれる軍制を敷き、元親の代に急速に勢力を伸ばしている。自身と同じ商業を中心とした国作りと戦を行う織田家には親近感を抱いて同盟を結んでいたが、途中で信長が反長宗我部側と結んだ事で敵対関係に転じた。本能寺の変による織田家の四国遠征が中断する中、中富川の戦いで反長宗我部勢力の残余を一掃し、四国統一を目前とする。後に三好三郎(十河存保)と共に権兵衛最大の失敗に関わることになる。『一統記』から登場。かつて畿内の有力大名であった阿讃の三好家が中心となって四国を席巻する長宗我部家に対抗しているが、劣勢を強いられており共通の敵を持つ織田家(羽柴家)と共闘体制をとっている。『権兵衛』から登場。九州南端にある薩摩国を領土とする守護大名上がりの戦国大名家。作中では、「石曼子(シイマンズ)」とも呼ばれている。『天正記』に登場。七尾城を根拠地とする能登守護家。その立地故、上杉家と織田家の諍いに翻弄される。手取川の戦いの前にクローズアップされて描かれた。播磨の国人。当初は親織田であったが、羽柴秀吉率いる西国方面軍の苛烈な仕打ちを目の当たりにして謀反を起こす。別所の離反を引き金に播磨の国人が一斉に反旗を翻したため、織田家の播磨平定が振り出しに戻ることになった。『センゴク』各巻表紙は主要登場人物のイラストで、付随したオビにセリフや寸評が書かれている。『センゴク天正記』では各巻表紙は前作と同じく主要登場人物のイラストとなっているが、前作ではオビに書かれていた表紙人物のセリフや寸評は、裏表紙に書かれている。細川忠孝による漫画化作品。全6巻著者が参加した解説本。上下巻。
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