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石亀氏

石亀氏(いしがめし)は、三戸南部氏の庶族。初代は、三戸南部氏22代惣領南部政康の四男・石亀信房である。三戸地方石亀村を領有した。不来方城城代として南方の斯波氏に備えた。信房の跡は嫡男・政頼が継ぎ南部藩士として250石を知行した。政頼の嫡男・直徳の代には400石となって家老を務めた。直徳の跡は嫡男・貞次が死去していたため貞次の子・政直へ嫡孫継承されたが、政直は明暦3年(1657年)に罪を得て家名断絶処分となり本家は断絶した。政直の弟・政勝は分家しており50石(のち73石)を知行し、子孫が加増され200石となって幕末に至っている。また、貞次の弟の直方・政次・政房は分家した。直方の家は2代で断絶したが、残り2家は幕末まで続いた。また政次の娘の子・成喜は、藩主南部行信の娘・光源院付の老女となった母の名跡を継いで石亀氏を称した。信房の次子・義実は楢山氏の祖となった。子孫には幕末の楢山佐渡がいる。義実の孫・宗隆の弟で分家した隆章の家は、慶応年間に至って石亀に復している。上記の石亀氏一族との関係は不明だが、同じ石亀村を発祥とする石亀家がある。石亀政明、泉山康朝の兄弟を祖とする家である。この兄弟の出自は不明(『参考諸家系図』)。康朝の子・泉山古康の娘は南部信直室の慈照院で、南部利直の母である。その縁により南部信直・利直体制下では、古康は家老に抜擢され藩政に携わるようになっている。 石亀信房

出典:wikipedia

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