イサミは、主に武道・格闘技用品の製造・販売を行う日本の企業である。日本全国に、格闘技プロショップ「イサミ」を展開している。磯繁幸代代表取締役会長に訊く老舗の歴史戦前、戦後の激動時代を経て、武道・格闘技と共に歩んできたイサミ武道具製造・販売業として日本屈指の地位と信頼を誇るイサミ。その歴史は長く、ルーツをたどれば、戦前に起業した、たった一人の職人に辿り着く。{剣道具職人の長年の夢}磯勇蔵が剣道具の職人として、東京・渋谷の宮益坂で開業太平洋戦争にて一時閉店昭和25年に柔道が解禁 柔道衣を始める昭和28年に剣道、空手が解禁・戦後の武具解禁に呼応して、道衣の製造開始昭和38年にはトレーニングウェアの販売を開始、外国人バイヤーがよく買い付けにきていましたよ。日本製品の海外輸出が盛んになっていましたね」{社名の由来は新撰組}・なるほど。以前は磯柔剣道衣紹介という社名でした。「それをなぜ『イサミ』にしたのかというと、創業者・磯勇蔵の勇からとったのです。当初は『イサミ印』と名乗っていたりもしました。そしてイサムではなくてイサミなのは、新撰組の近藤勇にあやかって付けたのです」・会社の組織変更もありますね。「代々木八幡にある有限会社八幡武道具は、兄が経営の剣道具作りから全て受け継いでいるのです。新潟にも工場を作って、女工さんを雇って操業していました。渋谷の会社では、私はまだ子供で、女工さんと一緒に布団敷いて寝たり、お風呂に入ったり(笑)。家の中が工場みたいで、その当時を振り返ると、今は懐かしいですね。その後、時代の流れでジャージなどの衣類は大量生産されていって、競合するメーカーも増えていった。そのために武道用具に特化して、普通のスポーツ店では、あまり売っていないものを作り、さらに自前の店で販売するようになったのです。格闘技用具のメーカーとしての色が濃くなっていく一方、直接ユーザーさんと繋がるようになって、イサミのブランド、100%オリジナルなものとか、イサミの商品開発がさらに進んでいきました」・そんな理由があったのですか。歴史のある会社には、まだまだ知られていない逸話があるのですね。「私も長年やってきているので、それなりにいろいろな話を聞いてきましたよ。剣道についても、そのルーツは千葉周作という方が様々な流派を束ねて剣道を作り上げたことや、千葉氏は柔道でいえば、加納治五郎みたいな人物なのです。剣術、撃剣といっていたものを剣道にしたのです。また、空手が出来る様になったときに、いろいろな流派の人たちが集まって協議していくときに、体に油を塗ったらどうかとか、そんな案もあったりしたそうです。直に殴っても油で滑るから危険性が減るだろうと」・試行錯誤の時代だったのですね。「空手でもフルコンタクトから寸止めなど流派によってルールも違います。同様に、プロテクターや、いわゆるスーパーセイフなど用具も様々です。極真は拳で顔面は禁止、だから足技が発達していったとか、それぞれ独自に発展していますね。各競技に、うちも応えていかなければならないと思います」{大山総裁との出会い}・イサミといえば、やはり大山総裁と、いわば二人三脚で空手衣の開発に尽力した功績が大きいと思います。「きっかけは、梶原プロダクションが渋谷あって、うちの会社も渋谷にあって、マス大山空手スクールの関係で道衣を収めていたのです。当時は韓国から道衣を仕入れていたのですが、輸入していると、手に入るまでに一ヵ月、二ヵ月も待たせてしまう。じゃあ、うちで作れないかという話になって。当時、うちでは府中刑務所に工場があって、そこで作るようになったのです。その後、梶原プロダクションが倒産して、うちが直後、支部と取引するようになって、ほどなくして大山総裁にご挨拶に伺って、本格的に空手衣の開発が始まったのです。極真で使っているものは全部、うちが商品開発していったのです」・イサミの空手用具は業界随一とも言われてます。「"ガンダム"という防具も、その一つです。極真の廣重先生と、よくお話させていただくのですが、サポーター、ボディミットなど多くの用具を開発しています。ボディプロテクターも手で持っていたものを、肩に背負うデザインにしたのも、うちのアイデアです。防具一つとっても、自分を防護するのか、コーチを防護するのか、その違いで名前も違ってきます。当たり前のことですけど、コーチが付けるものは、やはり軽量で、しかも何人も相手をするから、耐久性も必要ですね。使ったときのことを考えて作らないといけない。それを何も考えずに作ると、変なものしかできない。キックミットは、両手でつかむ形になっていますが、手で持つ部分が水平になっているより、やや斜めにして、左右でハの字になるようにデザインしています。これも現場の声を聞いて、それを商品開発に活かした成果です」{1000アイテムを独自開発}・バンテージの評判も良いと聞きます。「タイ製のバンテージは硬い。まぁ、巻き方次第ですけど。拳を保護するイージーバンドも開発しました。これも商品開発するときには、なぜバンテージをやらなきゃいけないか、というところから考えるわけですよ。それをしないと、前に進まない。うちはデザイン性より必要性、そして長持ちする耐久性。バンテージは、拳に全くないほうが一番楽です。でも、ないと拳を痛める。では、どうするかと模索していくのです」・商品開発は、まさに手探りの状況で始まるのですね。「商品開発は地道な作業ですが、とても大切だと思います。こちらからアイデイアを提案して、こんな商品は必要かと聞いてみたり、逆に先生や組織などユーザー側から、こんなものを作れないかと相談されたり、両方の場合があります。まずサンプルを作って、実際使ってもらって、意見を聞いて作ったアイテムは数限りなくありますね。たぶん、うちのアイテムは全部で2000アイテムぐらい、そのうち1000アイテムぐらいが、今までに何らかの形で商品開発したもので、実績があると思います」・1000アイテムとは凄い数ですね。武道具メーカーでは群を抜いているでしょうね。「ただ、格闘技グッズは一般的に、量的に多いものはほとんどなくて、小ロット生産なのです。中には特許を取ったものもありますが、あまり意味がないですね。まぁ、他がコピーしたければ、すればいい。でも使っているユーザーは、品質や使い心地に雲泥の差があることは、すぐわかると思います。大山総裁にも言われたのですが、『真似されて、初めて本物だという証拠になるだろう』と。だから、うちのコピー品が出ていても、あまりガタガタ言わないでおこう(笑)」・コピー品は頭痛の種でしょうね。時間と労力の賜物を真似されてしまうのですから。「商品になるまで、何年もかかったり、それなりに苦労もあります。たとえば、日本憲法の防具は、完成するまでに10年近くかかりました。"掴み"もあるルールということもあって、10年かかりましたね。それまで使っていた防具も元々あったのですが、うちで作るならば、より使い勝手のいいものを作ろうと。商品開発は、やはり大変な労力ですよ」{グローバル化、新時代へ}・2009年は、初の海外直営ショップ「イサミ ソウル」がオープンしました。「世界中に格闘技というのはあって、だいたい棒や剣など武器を使う武術的なもの、殴る蹴るの打撃競技、そしてレスリングのような組み競技、の3種類。そして、それを行うための道具や着衣を製造して販売しているところが、売れる売れないは別にして、必ずあるのです。うちもその中の一業者ですけど、世界中にある業者は凄い数に上るでしょうね。うちは韓国にショップを初オープンしました。・ベトナム工場が操業し、生産面では海外進出が先行していますね。「これからは世界のイサミになれるように、グローバル化を視野に入れつつ体制を作っていこうと思います。ただ、海外は難しい。各国の事情とか、傾向が違いますから。それを言ったら、日本国内でも違います。九州、関西、関東では売れるものが違う。エンドユーザーの中で、一番購買力があるのは関西でしょうかね。品数的にも。高くても良質なら買うし、安いなりにも買うし、目が肥えている印象がありますね」・新たに進出したジャンル、例えばサンボ衣などにも力を入れていくのですか。「そうですね。あとボクシンググローブも今後、力を入れていこうと思います。マーケット自体は、実際どうなのか分かりませんが、メジャーな格闘技ですし、レスリングのコスチュームにも、もっと力を入れていきたいですね。イサミは新人事を行なったばかりですが、今後の格闘技界も、またいろいろと動きがありそうでなので、イサミとして、これまでの蓄積やノウハウを活かして、格闘技界に貢献できればと思っています」東京の他、横浜、名古屋、大阪、札幌、福岡、韓国(ソウル)にも店舗を有する。
出典:wikipedia
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