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グリュック王国

グリュック王国(グリュックおうこく)は、かつて北海道帯広市に存在したテーマパークでぜんりんレジャーランドにより運営されていた。「ぜんりんレジャーランド」は地元不動産デベロッパーのぜんりん地所建設の子会社であった。国鉄広尾線の廃止に象徴されるように従来の道内産業基盤が弱体化する中、1980年代の好況を背景に、観光による町おこしを目指して帯広空港近くに誘致された。1989年(平成元年)7月1日に開園した。園内は中世のドイツをモチーフとしたテーマパークとなっており、ベーザールネサンス様式を代表する「ウトレヒトの出窓」などドイツに古くから伝わる木組みの家には独特の装飾や古いドイツの街によく見られる「マルクト広場」を含めた街並みが再現されていた。そのため、ハーナウ市から取り寄せたグリム兄弟の銅像がハーナウ市庁舎前に置かれ、東ベルリンのフリードリヒ通りに敷かれていたものを取り寄せた舗道石が用いられ遊具もドイツ製でメルヘン調のもののみで構成されていた。1990年(平成2年)にはドイツでも人気のあった大型遊具の「ウエーブスインガー」を導入している。中世のドイツを代表する名城の一つで「街道の貴婦人」とも呼ばれる「ビュッケブルグ城」を内装や壁画も忠実に再現し、1992年(平成4年)8月2日に城の中にホテル「シュロスホテル」が開設された。ホテルを除いて冬季は休業して当地の観光の繁忙期となるゴールデンウイーク前から営業を再開するのを通例とし、開園当初の1年間で約74万人が入場したほか、1991年(平成3年)と1992年(平成4年)には年間約70万人が入場していた。しかし、その後は入場者数が減少して1997年(平成9年)には年間約30万人へ大きく落ち込み、運営する「ぜんりんレジャーランド」の1996年(平成8年)12月期は売上高が前期比約20.1%減の約6.57億円で経常損益は約4.63億円の赤字となり、約23.81億円の累積損失を抱えるに至った。1998年(平成10年)1月には当時新得町で大型映像装置の組み立て工場を建設していたベンチャー企業の「ジェイ・ウェイ」が、当園東側の約14,900m²の敷地に床面積約14,200m²の「ブルーハワイアン」という屋内プールを開設し、当園と一体的に運営する構想を立てて、「ぜんりんレジャーランド」と覚書を交わした。この「ブルーハワイアン」は、日本鋼管(現・JFEエンジニアリングとJFEスチール)が1992年(平成4年)6月に横浜市で開業した造波装置なども備えた大型の室内プール施設「ワイルドブルーヨコハマ」を参考にした大小4つの温水プールを設置する施設で、ハワイからスタッフを呼んでハワイアンダンスなどをイベントを行うものとされていた。1999年(平成11年)7月の開業予定とされていたが、実現しなかった。その後、2000年(平成12年)にはいがらしゆみこの帯広光南小学校の同期生らで組織されていた「いがらしゆみこ会」を通じて園内へのいがらしゆみこ美術館開設やテレビドラマのロケへの貸し出し等の梃入れ策を講じて収益の拡大を目指した。2003年(平成15年)にはビュッケブルグ城等の外壁や設備機器の補修が必要として例年のゴールデンウイーク前から営業を再開するのを7月1日に延期。その間に資金繰りのため、東京の投資会社と王国内のシュロスホテルの一部を貸し出して「アンチエイジング医療」(抗老化医療)を行う方向で交渉すると共に、遊具などは無料で遊具メーカーに貸し出すことで、「ぜんりんレジャーランド」はホテルの一部のみを運営する形での営業継続を模索した。しかし、これらの交渉が纏まらなかったことから同年6月24日までに7月1日の営業再開予定を断念し、同年7月18日には年内の営業再開そのものを断念した。この時点では、翌年2004年(平成16年)5月の営業再開を目指しており、再建へ向けて出資の交渉を含めた新たな事業計画の作成が進められることになっていた。しかし、その後新たなスポンサー企業が見つからずに休園した状況が続き、2007年(平成19年)2月5日に営業再開を断念して正式に閉園することになった。閉園後に土地・建物は競売されることになっていたが、そのまま放置され、2011年(平成23年)8月には「廃虚ブーム」の影響などで不法侵入や窃盗が相次いで問題となった。

出典:wikipedia

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