双ッ龍 徳義(ふたつりゅう とくよし、本名:荒木 徳義(あらき とくよし)、1930年3月3日 - 2006年2月4日)は、かつて時津風部屋に所属していた大相撲力士である。身長185cm、体重108kg。得意手は右四つ、吊り、上手投げ。北海道室蘭市出身。最高位は東前頭筆頭(1954年9月場所)。父親は、富士製鐵(現・新日本製鐵)に勤務する鉄鋼マンだった。自身も富士製鐵に勤務していたが双葉山に憧れ、4日かけて当時時津風部屋が疎開していた福岡県太宰府まで訪ねて同部屋へ入門した。1947年6月場所にて、17歳で初土俵。1952年1月場所で十両に昇進し、この地位を僅か2場所で通過、同年9月場所で入幕を果たした。以後主に幕内上位で活躍、八頭身で足が長く人懐こい風貌で人気が有り、深い懐を生かして吊るか上手投げを打つ速攻の取り口を得意とした。だが、軽量の上腰高で脇も甘いので攻められると弱かったので大成できなかった。また、淡泊な性格も出世を阻んだといえる。1960年9月場所10日目から1960年11月場所千秋楽までにかけて21連敗を記録しており、これは年6場所制定着以降の関取連敗記録1位として残っている。1961年1月場所を最後に引退し、その後は年寄・音羽山から同・粂川を襲名して1995年3月で停年を迎えるまで時津風部屋付きの親方として後進の指導に当たったほか、審判委員も長く務めた。温厚な常識人としても知られ、山田英俊こと後の大関・北葉山は、同郷でもあった双ッ龍を慕って時津風部屋へ入門した。2006年2月4日、逝去。75歳没。
出典:wikipedia
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