水野 近守(みずの ちかもり、? - 弘治2年3月20日(1556年4月29日))は、戦国時代の三河国の武将。藤九郎。『寛政重修諸家譜』では、水野忠政(徳川家康の外祖父)の長男で、信元の兄であるが、父より早く没したとされるが、忠政は天文12年(1543年)に没しており、記述が矛盾する。『士林泝洄』では、常滑水野家の水野為則の次男とされている。『刈谷市史』では、小川城主の本家を水野貞守-為則-賢勝-忠政とし、為則の次男で忠政の叔父にあたり、刈谷に分家したとする。また、子に守忠があったとし、守忠の養子に忠政の3子・信近が入ったという(『刈谷市史』)。永正14年ごろから10年間ほどは刈谷を守備していたらしい。昵懇だった連歌師宗長が、刈谷に来訪した際に近守を訪ねたりしており、連歌に通じた教養人であったようである。しかし、その他の具体的な行動については不明である。
出典:wikipedia
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