増毛町(ましけちょう)は北海道北西部の留萌振興局管内南部にある町。日本海の海岸美がみられる雄冬海岸と暑寒別天売焼尻国定公園の一部である暑寒別岳を抱える。歴史は古く、町内には北海道遺産に選定されたレトロな建物が立ち並ぶ。ボタンエビの漁獲高が日本一であるが、アマエビやタコなどの水揚げも多い。良質の水を利用して酒造も行われており、明治時代からある國稀酒造(元:丸一本間合名会社)は、日本最北にある造り酒屋である。町名の由来はアイヌ語の「マシュキニ」「マシュケ」(カモメの多いところ)から。留萌管内南部、日本海側沿岸に位置する。西部の日本海と東部の山地に挟まれた険しい地形で、ほとんどの集落は沿岸部に集中する。ただし別苅以西の海岸は急峻な断崖が続き、国道231号開通まで船以外の交通手段がほぼ存在しない「陸の孤島」であった。かつては増毛支庁が置かれ、この地域の中心であった。現在は支庁が留萌市に移転し留萌振興局となっている。雄冬(おふゆ)地区は浜益郡浜益村(現石狩市)に隣接する町内最南端の集落で、アイヌ語で燃える岬を意味する「ウフイット」をその名の由来とする。古くからニシン漁で栄えていた漁村であったが、高さ100 mの断崖が連なっているため、陸上交通は細い山道を数十 kmも歩くほかなく、この集落との連絡路は事実上増毛中心部からの定期船のみであった。そのため「陸の孤島」と呼ばれていたが、その唯一の交通機関である定期船も、海が時化ればすぐに運航が取りやめになるため、海上交通もまた容易ではなかった。1903年(明治36年)に海路を含めて国県道の「西海岸線」に指定され、1920年(大正9年)には準地方費道に指定されたが、昭和初期には廃道化が進んでいき、滅多に往来することはなかった。1953年(昭和28年)には二級国道231号として、上述の海岸線を併走する山道が認定された。1958年(昭和33年)、大別苅(おおべつかり)地区から車道開削のための工事が開始された。12.1 kmの山越え道路の建設に15年の歳月と事業費16億円を投入して、1973年(昭和48年)には歩古丹(あゆみこたん)トンネルの手前まで開通し、海上輸送によって開始していた反対側の工事も進められ、同年に歩古丹トンネルは竣工した。歩古丹トンネルより雄冬側(南側)には、岬の断崖を貫く約1,200 mの長大トンネルである天狗トンネルが計画され、1971年(昭和46年)に着工した。こちらは8年の歳月をかけて、1979年(昭和54年)に竣工し、ついに最奥部の雄冬に車道が到達した。陸の孤島であった雄冬地区に道路が開通するのは、住民の悲願であった。この時、浜益・石狩方面へ通じていなかった車道も建設され、1981年(昭和56年)に国道231号が全通した。これにより、陸の孤島は解消された。なお、開通したトンネルは急勾配や屈曲、トンネル自体に変状をきたしている箇所があり、また暫定的開通の部分があるため、現在でも各所で改良・路線付け替え工事が行われ、現在は2,890 mの長大トンネル(日方泊トンネル)があるほどになっている。漁業が盛ん。昭和30年ごろまでは千石場所が置かれニシン漁で栄えたが、資源枯渇により漁獲量が激減。太平洋戦争後は近海漁業、水産加工が中心となった。漁業のほかには商業、農業(主に果樹栽培)、工業(食品工業)があるが、特にどの産業に依存するということはなく縮小均衡している。増毛駅、雄冬岬などが映画『駅 STATION』のロケ地になった。
出典:wikipedia
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