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宮本武蔵 (1954年の映画)

『宮本武蔵』(みやもとむさし、英題:"Samurai I: Musashi Miyamoto" )は、1954年(昭和29年)9月26日公開の日本映画である。東宝製作・配給。監督は稲垣浩、主演は三船敏郎。イーストマンカラー、スタンダード、94分。これまでに何度も映像化されている吉川英治の長編小説『宮本武蔵』の戦後最初の映画化作品で、『続宮本武蔵 一乗寺の決斗』(1955年)、『宮本武蔵 完結篇 決闘巌流島』(1956年)へと続く3部作の第1作である。また、東宝初のイーストマン・カラー作品でもある。配収は1億6341万円で、1954年度の邦画配収ランキング第7位となった。第28回アカデミー賞名誉賞受賞。慶長5年(1600年)、美作国宮本村で「悪蔵」と呼ばれる乱暴者の武蔵(たけぞう)は、幼馴染の又八と共に村を抜け出し、雑兵として関ヶ原の戦いに参加した。侍としての出世を夢見る二人だったが、味方は惨敗。武蔵は負傷した又八を連れて、野武士の未亡人であるお甲と、娘の朱実が住む屋敷に転がり込んだ。野盗の襲撃を一人で防いだ武蔵に惚れ、結婚を迫るお甲。だが、武蔵に相手にされないことに腹を立てたお甲は、又八と娘を連れて京の都へと旅立った。取り残された武蔵は、又八の母であるお杉に、又八の生存だけでも伝えようと故郷を目指した。だが、途中の関所で暴れたために、関所破りとして追われる身となる。捜索の目をかい潜り、お杉の屋敷にたどり着く武蔵。だが、お杉は、一人息子を戦場に連れ出した武蔵を憎み、役人に通報する。宮本村に陣を張った役人は、武蔵を捕えるため、村人を総動員して山狩りを命じた。寺の沢庵和尚は、武蔵を説得するために、又八の許嫁であるお通を連れて山に入った。お通は、又八の母のお杉から、又八が帰らなくても嫁として家に入れと言い渡されていた。孤児であるお通は、この村にいる限り、形ばかりの嫁として生きなければならない。そんな身の上を嘆きつつ、笛を吹くお通。その笛の音に誘われて、現れる武蔵。沢庵和尚に諭され、その人徳に感銘を受けた武蔵は、おとなしく捕われて村に戻った。だが沢庵和尚は、村の大木に武蔵を吊るし、何日も放置し続けた。わめきたてる武蔵。和尚に、ひどすぎると抗議するお通。実は和尚は、武蔵の首を引き渡せという役人を追い返していたのだが、事情を知らないお通は武蔵を助け、二人で村を出奔してしまう。お通の裏切りに激怒するお杉。村の名家の誇りにかけて、お通と武蔵を切って捨てると宣言したお杉は、郎党を引き連れ、旅に出る。一方、武蔵とお通の行く末を案じた沢庵和尚は、武蔵を武人として鍛え上げる計画を立て、奇策を巡らす。以下はノンクレジット稲垣監督・三船主演による『宮本武蔵』3部作の第1作である本作は、若く未熟な武蔵(たけぞう)が侍になることを夢見て関ヶ原の戦いに参加するエピソードから、沢庵和尚の導きで武芸者として開眼し、武者修行の旅に出るまでを描いている。宿敵佐々木小次郎はまだ登場していない。本作は『サムライ』(Samurai I: Musashi Miyamoto)の名で海外公開された。稲垣浩監督によると、「世界中の映画人が夢にまでみたアメリカのオスカー外国映画賞(原文ママ)を『サムライ』がもらったのは、まったく思いもよらぬことだった」といい、「日本の映画賞をもらったことのない私の作品が、アメリカの賞をもらうとは全くわからぬことである」とこのときの驚きをのちに語っている。

出典:wikipedia

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