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ウルトラマンロビン

ウルトラマンロビン(1965年2月15日 - )は、プロレス界唯一の円谷プロダクション公認のプロレスラー。変身前の名は尾内淳。シアタープロレス花鳥風月グループ、シアタープロレスSGP名古屋花鳥風月所属。新日本プロレス、全日本プロレスから入門を断られ、ジャパン女子プロレスでスタッフをしていたが、ウルティモ・ドラゴンのデビューに刺激を受け、初代ブラックタイガーであるマーク・ロコを頼りに渡英。イギリスのプロレス団体であるオールスター・プロレスリングでデビューした。デビュー戦は1990年3月15日、ブリストルコーン・ストーンホールでのリー・トーマス戦。フリーランスとしてFMWに参戦後、円谷プロ公認の覆面レスラー「ウルトラマンロビン」として活動を始めた。インディーズプロレス団体SGP(エス・ジー・ピィ)を設立し、エース兼代表を務め、名古屋を中心に活動。試合中、なぜかガッツ星人やダダ、メフィラス星人、ゼットンなど、怪獣や宇宙人に襲われ無効試合になることが多い。その場合、その対戦相手と急きょタッグを組み、怪獣軍団と再試合を行う戦術で宇宙の平和を守ってきた。2012年、円谷プロダクションの経営体制変更により版権切れ問題が起こる。円谷プロとの話し合いの結果、版権の絡む怪獣、宇宙人の登場を封印することで「ウルトラマンロビン」の活動は継続されることに落ち着いた。これにより7月3日に行われた最終決戦「ウルトラマンロビン20周年記念プレミアムマッチ」愛知・スポルティーバアリーナ大会では、ウルトラマンロビンとメフィラス星人による歴史的な握手が交わされた。2006年以降は、みちのくプロレスの宇宙大戦争 (プロレス興行)における重要人物として登場。2014年8月、シアタープロレス花鳥風月を運営するG-TALENT傘下に入ることを発表。同年12月には、神様としてムーの太陽に加入した。2015年11月3日、DDTの愛知・名古屋国際会議場大会に高木三四郎のセコンドとして第0試合に参戦。平田GOサングラスをかけ入場し、KENSOに煙幕を投げつけた。プロレスラーとしては低い身長。はたまた唯一無二の動き、宇宙大戦争における混沌を生み出すポジションなどから、ネタ要員として扱われることも多いが、ローカルプロレスという概念が広まる以前からご当地レスラー活動をしてきたことで一目置かれている。「ウルトラマンロビン」としての活動は、円谷プロの円谷皐、円谷一夫に許可をもらっていた。円谷プロ側(円谷皐社長・当時)の名称使用の基本条件は「試合には絶対負けるな。と、言いたいが(笑)…。汚い試合、卑怯な事は、しないでほしい。」だった。このとき、怪獣の版権に関しても許可を得ていたが前述の理由で2012年以降は封印。ロビンの名称はプロデビューがイギリスであったため、ロビン・フッドのイメージから命名。まれに尾内淳隊員の状態で試合を行うこともある。興行の締めは「1・2・3・ディスティニー!」2009年に都内に住んでいた女性と結婚したが、2016年までに離婚している。2015年7月にはデビュー25周年記念試合として、ビル・ロビンソンの弟子、鈴木秀樹と対戦するが、この時政宗のツイートにより、ロビン自身も同じくイギリス・マンチェスター出身の名レスラー、マーク・ロコの弟子であることが明らかになった。

出典:wikipedia

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