フリオーソは日本の船橋競馬場に所属した元競走馬である。2006年の全日本2歳優駿、2007年のジャパンダートダービー、2008年・2010年の帝王賞、2011年の川崎記念、かしわ記念を制した。2007年NARグランプリサラブレッド3歳最優秀馬、2008年・2009年・2010年・2011年NARグランプリ4歳以上最優秀馬、2007年・2008年・2010年・2011年NARグランプリ年度代表馬。2006年7月に石崎隆之を背にデビュー。初戦を危なげなく勝ち、続くオープン特別のナドアルシバ競馬場カップでは5馬身差をつけて快勝する。続いては初の重賞挑戦となった南関東G3の平和賞。1番人気に推されるが、ハナ差で惜しくも敗れ初めて土がつく。そして地方競馬2歳戦の総決算である全日本2歳優駿に出走する。5番人気に甘んじていたが、テン乗りとなった内田博幸を背に後続に2馬身差をつけて勝利。NARグランプリサラブレッド2歳最優秀馬にも選出された。調教師の川島正行は全日本2歳優駿のレース後に「中央の芝に挑戦してみたい」と語っており、その言葉通り3歳初戦には初めての中央遠征となる共同通信杯が選ばれた。このレースでは無敗で重賞連勝中のフサイチホウオーと、こちらも無敗でディープインパクトの異父弟であるニュービギニングとの激突が注目される中4番人気に推される。しかし最後の直線では初めての芝コースが影響したのか伸びきれず、7着に敗れてしまう。続いて皐月賞トライアル競走のスプリングステークスに出走するが、11頭立ての11着と大敗する。ここで中央の芝レースへの挑戦を諦め、南関東のクラシック路線を歩むことになった。南関東三冠競走の初戦・羽田盃では、1番人気に推される。しかし勝ったトップサバトンにアタマ、クビ差だけわずかに及ばず3着に敗れた。続く東京ダービーでも再度1番人気の支持を得たが勝ったアンパサンドにクビ差及ばず、2着に終わった。続くジャパンダートダービーではアンパサンドに雪辱を果たし優勝、レースレコードで快勝した。8月11日に発表されたJPNサラブレッドランキングの2007年度上半期において111ポンドの評価を得た。その後、第7回JBCクラシックに出走。初の古馬との対戦ながら、2着に粘った。しかし続く第8回ジャパンカップダートでは、10着に敗れた。その後、第53回東京大賞典に出走するがJBCクラシックに続いてヴァーミリアンに今度は4馬身差をつけられ2着だった。2008年の初戦は川崎記念。スタートから先頭に立ち逃げる展開となったが、4コーナーでフィールドルージュに並ばれ粘りきれず最後の直線では差を広げられ、2着に敗れた。しかし続くダイオライト記念では1番人気に支持され、3番手から抜け出し勝利を収めた。次走には、地方競馬の上半期を締め括る大一番帝王賞に出走。好スタートからハナを切ると、終始先頭を譲らずそのままゴールまで押し切り、JpnI (GI) 競走3勝目を達成した。秋緒戦の日本テレビ盃では前2走で騎乗していた戸崎がレース6日前に落馬負傷し騎乗不可能となった為、急遽川島正太郎を鞍上に据えて出走。先行勢がかなりのハイペースで飛ばす中を3番手で追走し、4コーナーで先頭に立って押し切りを図るも、ダイオライト記念・帝王賞で2着に下してきたボンネビルレコードに差し切られて2着に敗れた。続く大一番、第8回JBCクラシックでは道中2番手を追走するも、直線でヴァーミリアン、サクセスブロッケンらに突き放され、4着に敗れた。その後、ジャパンカップダートに出走するが、7着に終わった。続く第54回東京大賞典では5着だった。2009年の初戦は川崎記念。スタートから先頭に立ち逃げる展開となったが、最後の直線でカネヒキリに捕らえられたものの、2着に粘った。その後、3月11日のダイオライト記念に出走。単勝1.1倍と圧倒的1番人気に推され、好スタートからハナを奪うとマイネルアワグラスに4馬身差をつけて圧勝し、連覇を飾った。続く5月5日のかしわ記念では5着だったが地方勢最先着を果たした。その後、連覇を懸けて6月24日の帝王賞に出走、レースでは最後の直線でヴァーミリアンを追い詰めるも届かず2着に敗れ、連覇はならなかった。その後、ブリーダーズゴールドカップに出走するが、スマートファルコンの4着に終わった。秋は日本テレビ盃に出走する予定だったが回避、軌道修正してJBCクラシックに出走する予定だったが脚部不安のため回避した。そして、年末の大一番である東京大賞典に出走したが、サクセスブロッケンの7着に敗れた。2010年の初戦も川崎記念から。鞍上にミルコ・デムーロを迎え、ヴァーミリアンに次ぐ2番人気に推される。終始2頭のマッチレースの様相となり、ヴァーミリアンに首差交わされ2着に終わる。ちなみにタイムはコースレコードだった。その後、3連覇のかかったダイオライト記念に1番人気で出走、果敢に逃げるも直線で後続馬に捕まり5着に敗れた。5月5日のかしわ記念では道中2番手につけ、最後の直線で先頭に立ち押し切りを図るが、ゴール前でエスポワールシチーにかわされ2着に敗れた。その後6月30日の帝王賞に出走、2番手追走から直線で早め先頭に立ち、そのまま押し切ってカネヒキリ以下を退け見事に勝利、GI (JpnI) 通算4勝目をあげた。同レースは2008年以来の2勝目であり、チヤンピオンスター(1988年・1991年優勝)以来の帝王賞2勝馬となった。9月23日の日本テレビ盃では2番手追走から4コーナーで逃げるトランセンドに並びかけ、残り200mでかわし2馬身差をつけて勝利した。JBCクラシックでは1番人気に推され、逃げるスマートファルコンを見るかたちで2番手追走も直線で大きく差を広げられ2着に敗れた。東京大賞典では逃げるスマートファルコンをピッタリと2番手で追走したが、直線で突き放され2着に敗れた。2011年の初戦は4年連続川崎記念となった。スマートファルコンやエスポワールシチー、トランセンドといった中央の有力馬が相次いで回避し、出走を予定していたテスタマッタも出走取消となって単勝1.0倍の1番人気に推される。レースでは早めに先頭に立ち、直線で他馬を突き放して2着に5馬身差をつけて圧勝し、4度目の挑戦で川崎記念初制覇となった。その後2年2か月ぶりの中央競馬のレースとなるフェブラリーステークスに挑戦し、後方につけて直線で鋭い差し脚を見せたが、1着馬トランセンドに1馬身半届かず2着に敗れた。かしわ記念では3番手で追走すると直線で先頭に立ち、2着のラヴェリータに3/4馬身差をつけて優勝。厩舎の先輩にあたるアジュディミツオーの記録を上回る、地方所属馬によるGI・JpnI競走6勝目を挙げた。その後は連覇を目指し帝王賞への参戦を予定されていたが、脚元に疲れが見られた為、回避となった。秋は日本テレビ盃に出走する予定だったが疾病のため、競走除外となった。2012年の初戦は5年連続で川崎記念、2番手で追走したが直線で脚色を失い3着となった。ダイオライト記念では好スタートを決めて先頭に立ち逃げたが直線伸びを欠き5着。その後、連覇を懸けて5月2日のかしわ記念に1番人気で出走、好スタートからハナに立ち軽快に逃げるが4コーナーでエスポワールシチーに捕らえられたものの、2着に粘った。そして約7ヶ月半の休養明けとなり引退レースとなった東京大賞典は逃げたものの6着に敗れた。レース後に同じく引退するボンネビルレコードとともに引退式を行った。引退後は種牡馬となり、ダーレー・ジャパン・スタリオン・コンプレックスで供用されている。※競走成績は2012年12月29日現在この他、Triptychやジェネラスの活躍を受け、一族の外国産馬、繁殖牝馬が多数日本に輸入されている。
出典:wikipedia
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