魁聖 一郎(かいせい いちろう、1986年12月18日 - )は、ブラジル・サンパウロ出身で友綱部屋所属の現役大相撲力士。祖父母が日本人の日系3世で2014年に日本に帰化。本名は菅野 リカルド。旧名リカルド(ヒカルド)・スガノ。身長195cm、体重198kg、血液型はO型。得意手は右四つ、寄り。最高位は東関脇(2016年7月場所)。好物はコーラで、毎日3本飲んでいるという。趣味はゲームで「幕内一のゲーム好き」を公言する人物である。師匠の影響で喫煙者となっている(詳細は魁輝薫秀の項を参照)。日系ブラジル人3世である。ブラジル出身であるが幼少期からサッカーは好きでなく中継も見なかった。幼少期には父に無理やりサッカーをやらされて練習が終わると泣きながら家に帰ることがあったという。後年、地元開催となった2014 FIFAワールドカップの大会中に母国が準決勝に進出したにもかかわらず「結果くらいは気になるけど、あまり関心がない」と話したことが話題になったこともある。16歳の頃に父親の知り合いで、子息が相撲をやっていた人に「体が大きいからやらないか」と誘われたのが直接のきっかけであり魁皇に憧れて相撲を始め、全ブラジル相撲選手権大会・無差別級で優勝した経験を持つ、アマチュア時代は本人曰く、「相撲は力だけで勝てた。今は間違ってもそんなこと思わないですけど、ブラジルのアマチュア時代はそうだった」こともあり、相撲にのめり込んでいったという。2006年7月に来日し、元十両・若東の黒田吉信から紹介された友綱部屋に入門した。ブラジル在住時代より祖母が日本食を振る舞っていたこともあって入門時には既に納豆以外ならば部屋のちゃんこを全て問題なく食すことができたという。反面、敬語や先輩への接し方などの礼儀については、相当に苦労したという。それでも、訪日前に不安だった差別などはなく、「実際は皆優しく接してくれました。日本人は冷たくてあまりしゃべらないと聞いていましたが、それは違うとすぐに気付きました」と後年振り返っている。新弟子時代にはホームシックになったこともあったが、友綱部屋では携帯電話やスマートフォンを新弟子が持つことは許されず、少ない小遣いでテレホンカードを買い、テレホンカードの度数を気にしながらブラジルに連絡していた。実家へ番付表や日本の土産物を送るだけでも1万円かかり、送った荷物が現地で盗まれて届かなかったりと、親孝行したいという思いとは裏腹に苦労した。身長194cmの大柄な体を武器に、序ノ口と序二段でそれぞれ6勝1敗の好成績を挙げていずれも1場所で通過し、2007年3月場所に三段目へと昇進する。三段目では最初の2場所は好成績を挙げたものの、その後3場所連続して負け越してしまった。しかし、2008年1月場所では6勝1敗、翌3月場所では5勝2敗と連続して好成績を挙げ、同年5月場所において幕下へ昇進した。来日間もないころから旭天鵬を尊敬しており、取的時代に「綺麗な力士だ」と思って一緒に写真を撮ってもらって以来交友を持つようになった(大島部屋閉鎖に伴って旭天鵬は友綱へ移籍し、魁聖と同部屋になった)。幕下昇進後は2場所連続して勝ち越したものの、2008年9月場所から3場所連続して負け越してしまい、2009年3月場所では再び三段目へ陥落してしまった。1場所で幕下へ復帰した後、西幕下46枚目の位置で迎えた同年9月場所では7戦全勝の成績を挙げて優勝決定戦に進出した。優勝決定戦では臥牙丸に敗れて幕下優勝はならなかったものの、その後は幕下上位に顔を出すようになり、2010年5月場所において東幕下2枚目の位置で5勝2敗と勝ち越しを決め、翌7月場所に新十両へ昇進した。2010年11月場所では11勝4敗の成績を挙げて優勝決定戦に進出し、4人による優勝決定戦を制して初の十両優勝を果たした。続く2011年1月場所でも東十両筆頭で8勝7敗と勝ち越しを決め、翌5月技量審査場所において新入幕を果たした。その5月技量審査場所では、1980年11月場所の佐田の海以来31年ぶりとなる新入幕での初日からの9連勝を記録して、最終的には10勝5敗の好成績を挙げて、自身初となる敢闘賞を受賞した。この場所を優勝した白鵬の優勝パレードでは旗手を務めた。その後は幕内で4場所連続して負け越してしまい、2012年3月場所には十両へ陥落したものの、その3月場所で10勝5敗の好成績を挙げて、翌5月場所において再入幕を果たした。同年7月場所では10日目まで1敗を守り、西前頭8枚目の位置ながら急遽大関との対戦が組まれたこともあり終盤に失速したものの、11勝4敗の好成績を挙げて2回目の敢闘賞を受賞した。翌9月場所では最高位の西前頭筆頭へ昇進し、三役昇進も見えたが、4場所連続に負け越して幕内下位まで落ちた。東前頭12枚目で迎えた2013年7月場所では初日から5連勝。10日目まで1敗を守り、一時に優勝争いにも参加したが、11日目からやや失速し、11勝4敗の成績を残しながらも敢闘賞受賞にはならなかった。続く9月場所、その次の11月場所は連続して7勝8敗の負け越しを喫したものの、2014年1月場所は12日目に7敗となって後がない状況から千秋楽まで3連勝して3場所ぶりの勝ち越しを果たす。翌3月場所は3枚半増となる東前頭3枚目の地位を与えられ、9日目に負け越しが確定したものの千秋楽まで食い下がって6勝9敗とした。2015年5月場所は12日目終了時点まで白鵬とトップを並走して優勝争いを盛り上げ、10勝5敗と好調を示すも三賞獲得はならなかった。2011年7月3日にはフジテレビ系列で『ザ・ノンフィクション・魁聖の初心〜大相撲へのメッセージ〜』という、魁聖を来日から5年間取材して制作されたドキュメント番組が放送された。2014年6月8日にはテレビ東京系列『日曜ビッグバラエティ・ニッポンだよおっかさん』という番組で、母親と妹がブラジルから来日して魁聖と再会し、東京ディズニーランドを案内したり、本場所を観戦する場面が放送された。西前頭7枚目で迎えた2016年3月場所は、11日目に勝ち越しを決めた後も白星を伸ばし、11勝4敗の好成績で終えた。千秋楽後、新三役の可能性について「三役なれるんかな。そんなに期待したら、上がれなかった時にショックが大きい」と一抹の不安を口にしていたが、翌5月場所で無事新三役(東小結)に昇進。友綱部屋としては、現師匠が1989年5月に部屋を継承してからは1994年夏場所の魁皇以来2人目となる新三役で、ブラジル出身力士としては初の三役となった。初土俵から10年近く掛かっての三役について、昇進の記者会見に同席した師匠は「入門当時(の期待度)からすれば三役に上がるペースとしては遅いかな。相撲に取り組む姿勢でスローな部分があるから仕方ないけど、とにかくノンビリしているのが、スローになった」と歯がゆさを口にする一方で、「まだまだ上を狙える」と奮起を促していた。新三役となった5月場所は、大関以上の相手には照ノ富士にしか勝てず1勝6敗だったが、関脇以下では逸ノ城以外全勝と強さを発揮して千秋楽の栃煌山戦で勝ち越しを決めた。翌7月場所は東関脇に番付を更新。2場所連続の昇進会見となった魁聖は「入門したときはブラジル人の最高は十両。俺もとりあえず十両になることが目標だった。それが幕内の、三役に上がれるとは思わなかった」と語った。更に大関を期待する声がある事に関しては、会見に同席した師匠は番付がここまで上がって既に満足しているようで、「この上は…。もういいです。師匠と(最高位で)肩を並べたくらいで、それ以上になるとテングになる。本人のためにもその方がいい」と語り、居合わせた報道陣の笑いを誘っていた。本場所では初日に大砂嵐の休場、7日目に琴奨菊の休場で2014年の初場所琴奨菊以来となる1場所二つの不戦勝を記録し「いつもいい子にしているから運がいい。明日から頑張らないといけない」とコメントした。7勝7敗で迎えた千秋楽は同じく7勝7敗の大関照ノ富士に敗れ7勝8敗(これにより、照ノ富士は辛うじてカド番を脱出)で場所を終え、千秋楽後に「不戦勝が2度もあったのにもったいない。取組より、これより三役で緊張した」と述べていた。2016年9月場所終了現在
出典:wikipedia
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