貞顕王后尹氏(ていけんおうごう いんし/チョンヒョンワンフ ユンシ 天順6年6月26日(1462年7月23日) - 嘉靖9年8月22日(1530年9月13日))は、李氏朝鮮国王成宗の3番目の王妃で、中宗の生母。鈴原府院君 平靖公 尹壕と延安府夫人 田氏の娘。本貫は坡平。諡号は慈順和恵昭懿欽淑貞顕王后。1474年、揀擇によって側室として選ばれ入宮。淑儀(スグィ、従二品相当)の位に封じられる。なお、この時成宗の最初の王妃 恭恵王后に子供が中々できないことを受けたことによるものであった。1479年に成宗の2番目の王妃である尹氏(第10代国王燕山君の生母)が廃位されると、翌1480年11月に王后となった。なお、継子の燕山君を実子として育てた。しかし燕山君は彼女にあまり懐かなかったという。1497年、慈順大妃(じじゅんだいひ/チャスンテビ)の号を受ける。また、1504年には和恵の号を受けた。1506年に中宗反正が起き、燕山君が廃位となり、息子が王位に就いた。1530年9月13日(陰暦8月22日)に死去。享年69歳。なお陵はソウル特別市江南区三城洞にある宣陵。なお、この他にも夭逝した二人の王女がいるという。成人した実子は、中宗のみである。
出典:wikipedia
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