神保 光太郎(じんぼ こうたろう、1905年11月29日 - 1990年10月24日 )は、昭和期の詩人・ドイツ文学者。『サインはV』『花の子ルンルン』の原作者である神保史郎は息子。山形県山形市生まれ。本名はみつたろう(姓の読みを「じんぼう」とする文献もある)。山形県立山形中学校から山形高校を経て、京都帝大独文科を卒業。在学中から同人誌に詩や短歌を発表して、新散文詩運動の一翼を担った。29歳の時、埼玉県浦和市(現:さいたま市)の別所沼のほとりに家を新築し、生涯にわたって活動の拠点とした。この別所沼の家に、神保を兄と慕う立原道造の来訪をしばしば受けている。またこの時期、保田與重郎、亀井勝一郎らと『日本浪曼派』の創刊に携わり、国粋主義への傾斜を強めてゆく。太平洋戦争中は、占領したシンガポール(昭南市)の昭南日本学園の校長を務めた。戦後は日本大学芸術学部の教授となった。山形県内の学校の校歌には、神保の作詞になるものが多い。山形の名勝(蔵王山、最上川、鳥海山など)が学校の所在地にあわせて書かれている。それら校歌の中で、日本大学山形高等学校の校歌は、「ボーイズ・ビー・アンビシャス」の歌い出しでよく知られている。山形県以外では、神奈川大学、日本工業大学、日本大学豊山中学校・高等学校、神奈川県立鎌倉高等学校、さいたま市立与野南中学校や埼玉県立与野高等学校、さいたま市立木崎中学校、埼玉県立浦和工業高等学校、さいたま市立東大成小学校、越谷市立武蔵野中学校(監修)、群馬県立富岡高等学校(昭和26年作)東京都足立区立東島根中学校、さいたま市立針ヶ谷小学校、朝霞市立朝霞第二中学校、埼玉大学教育学部附属中学校、福島県立小名浜高等学校、埼玉県深谷市立幡羅小学校の例がある。
出典:wikipedia
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