ロッキード PV-2(Lockheed PV-2)は、第二次世界大戦中にアメリカのロッキード社で製造された哨戒/爆撃機である。愛称は“ハープーン(Harpoon:捕鯨用銛の意)”イギリス空軍向けに開発作されたPV-1 ヴェンチュラの性能向上型として開発され、1943年11月に初飛行した。PV-1との大きな相違点は翼の形状と爆弾等の搭載量で、機体重量の増加により最大速度が約50km/h低下している。燃料タンクや主翼の構造の改修に手間取ったため部隊への本格的な配備は1944年春からになり、主に南太平洋や千島方面で対日本軍攻撃に使用したが、この頃には日本軍は既に弱体化しており目立った活躍もなく終戦となった。戦後は米海軍の主力対潜哨戒機となったが、程なく後継のロッキード P2V ネプチューンの配備により予備役に回された。余剰となった機体はブラジル、フランス、イタリア、ポルトガル、オランダ等のアメリカ同盟諸国へ1940年代末から供与された。海上自衛隊の前身である警備隊は、その発足にあたり独自の航空力を保有することとなり、1954年3月8日に日米間でMSA(相互安全保障)協定が結ばれ、米軍から航空機の供与を受けることとなり、警備隊から改編された海上自衛隊に対して1955年1月17日に17機が供与された。鹿屋基地に配備されて運用が開始されたが、居住性が悪く長時間飛行に向かないこと、着陸が難しいこと、機体の老朽化が進んでいた上に旧式機のため予備部品が不足しがちで、整備に支障が生じ稼働率が低い等の問題が発生し、運用部隊での評価は低いものであった。そのため、主に鹿屋基地において操縦や哨戒作業の訓練用に使用された。1956年には新型哨戒機として最新のグラマン S-2-F トラッカーとロッキード P2V-7 ネプチューンが導入されることが決定し、本機はそれらと交代して1960年には哨戒機としては全機が退役、その後は6機が計器飛行訓練機、2機がPV-2改の名称で機上作業練習機として運用された。訓練/練習機としての運用期間も短く、1961年から1962年にかけて全機が用途廃止となっている。その後は地上教育機材として用いられ、機体は消火訓練や救助・脱出訓練用の機材として使用された後、1970年代の末には全機が処分されている。
出典:wikipedia
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