フォルクスワーゲン グループ ジャパン 株式会社(略称VGJ)は、ドイツに本社を置くフォルクスワーゲンAGの100%出資による日本法人である。日本においてフォルクスワーゲンの自動車を輸入販売しているほか、フォルクスワーゲングループに属するブランド車の輸入業務も行っている。本社は愛知県豊橋市明海町にある。1983年7月に、ドイツに本社を置くフォルクスワーゲン製造AG(現フォルクスワーゲンAG)の日本における輸入販売強化、組み付け用部品、材料などの調達、技術提携、情報収集、企業広報を目的として日本法人「フォルクスワーゲン株式会社 (英文名 Volkswagen Asia Ltd.)」を東京都港区南青山に設立。1989年8月に社名変更し「フォルクスワーゲン アウディ 日本 株式会社(VAN)」となる。1990年より系列の販売店をオープンし直接的な販売にも乗り出す。1992年に、愛知県豊橋市明海地区(三河港)に国内最大級の専用埠頭を有し、陸揚げ、輸入整備施設を独自に投資し建設、東京都港区西新橋から本社も同地に移転。1996年9月に再び社名変更し「フォルクスワーゲン グループ ジャパン 株式会社(VGJ)」となる。フォルクスワーゲンAGの他社ブランド買収により、ロールス・ロイスやベントレーの日本での輸入販売業務も日本国内他社インポーターから引き継いだ。ベントレーは現在も継続している。2000年から2011年まで11年連続で日本における輸入車シェア(乗用車の国内新車登録台数)第1位となっている。日本では、ヤナセによるフォルクスワーゲン(ビートル)の輸入から始まった。VANが設立されたことで、一時期ヤナセとVANの2社が輸入権を持っていたが、のちヤナセが権利を放棄しVANに一本化された。ヤナセは2005年よりフォルクスワーゲン グループ ジャパンのディーラーとしてフォルクスワーゲンの販売を再開している。(1990年から1992年の間はヤナセと“フォルクスワーゲン アウディ 日本”の両社が輸入権を保持していた)アウディもフォルクスワーゲン同様、ヤナセにより輸入販売されていたが、フォルクスワーゲン アウディ 日本設立により併売後一本化された。しかし、フォルクスワーゲン車との併売であったため価格的に売りやすいフォルクスワーゲン車販売が優先されアウディ車拡販の戦略がなかったため、1998年に、フォルクスワーゲン販売チャネルとアウディ販売チャネルの見直しがなされ、アウディ車はアウディ ジャパンとしてアウディAGが管理する体制となった。そして、全国ディーラー網の契約を一旦白紙にして新契約を結び直し2001年からはアウディ販売網は全て専売制に移行した(フォルクスワーゲンAG傘下の8ブランドがフォルクスワーゲンブランドとアウディブランドとに大きく2分割された管理体系とされるのはのちの2002年からとなる)。(1990年から1992年の間はヤナセと“フォルクスワーゲン アウディ 日本”の両社が輸入権を保持していた)アウディ車の日本での輸入元および販売がアウディ・ジャパンとなって以降も、実質的な輸入業務は引き続きフォルクスワーゲングループジャパン(VGJ)でおこなわれており、VGJの埠頭から陸揚げされ、VGJの整備工場で整備、出荷されている。1998年、フォルクスワーゲンAGとBMWがロールスロイス(自動車会社)の買収で競い合い、フォルクスワーゲンが獲得した。これによりフォルクスワーゲンAGはロールスロイスブランドとベントレーブランドを獲得したはずだった。しかし、ロールスロイス(自動車会社)の売却元であり、別にロールスロイス(航空機)を保有していた親会社ヴィッカーズの意向によりロールスロイスブランドの使用権はのちにBMWに決定される。フォルクスワーゲンは、最終的にベントレーだけを残し、ロールスロイスの権利はBMWに売却する。フォルクスワーゲン グループ ジャパンは、事業部としてロールスロイス&ベントレーモーターカーズジャパン(代表ティム・マッキンレイ)を設け、ロールスロイスとベントレーを販売していた。ベントレーのみとなって以降のフォルクスワーゲン グループ ジャパンの事業部はベントレーモーターズ ジャパン(代表ティム・マッキンレイ)となった。現在、コーンズ & カンパニーリミテッドはベントレーモーターズ ジャパンの正規ディーラーとなっている。ベントレー車の発表はコーンズ & カンパニーリミテッドのベントレー青山ショールームが使われることが多い。輸入元は、ポルシェ ジャパンであるが、ポルシェ車の陸揚げ、整備、出荷業務はVGJ内で行われている。1999年にアウディ傘下となり、フォルクスワーゲングループに属したことから、輸入元は2001年に設立されたアウディ ジャパンの事業部の、ランボルギーニ ジャパンである。アウディ車と同様、VGJ内にて陸揚げ、整備、出荷業務が行われている。愛知県豊橋市に本社機構を置き、東京にオフィスを持つ。日本における自動車輸入業者としては国内最大規模である。以下は年代別の販売車種の一覧で店頭発売日順。日本のみで企画された販売促進のための特別仕様車についてはその名称と限定台数も記している。フォルクスワーゲンが日本に資本投入する以前はヤナセが長年にわたりフォルクスワーゲンを浸透させてきた。以下には日本におけるフォルクスワーゲン販売の代表的車種のみ掲載している。(全世界ブランドスローガン「」も併用)フォルクスワーゲン フェスト「フォルクスワーゲン」をより身近に感じてもらうためにVGJが主催するフォルクスワーゲン車所有者のためのイベント。その他のユーザーイベントモーターショー出品レース運営組織、フォルクスワーゲン・トロフィー・アソシエィション(VTA)が主催するレース2003年には、ソニー・コンピュータエンタテインメント制作子会社のポリフォニー・デジタルが、当時開発中だったPlayStation 2用ゲームソフト『グランツーリスモ4』をベースとしたドライビングスキル トレーニングソフト『グランツーリスモ ルポカップ トレーニングバージョン』を制作。ルポGTIカップ参加者全員にソフトが配布され、PlayStation 2本体とステアリングコントローラが貸与された。なお同ソフトは車種はルポGTIカップカーのみに限定され、コースも筑波サーキットのみ収録されている。ヤナセの強固な販売網に対抗すべく、「ファーレン」(Fahren)と「デュウオ」(DUO)の2つの販売網が作られた。VANが直接販売に乗り出す際、「ファーレン」という名称をつけ日本各地の既存の自動車販売会社をベースにVW・アウディのディーラー網を構築した。関東地区ではジヤクス(JAX)を傘下にし、ヤナセ撤退後の関東地区を補充し「ファーレン東京」とした。1992年(平成4年)5月からはトヨタ自動車と販売提携を結んだ。トヨタは全国のトヨタ販売会社を募り「DUO」の名前で販売網を構築。ファーレン販売網と同じくVW・アウディを販売した。1998年(平成10年)12月アウディ ジャパンの設立によりVW・アウディの販売は分離されたが、ディーラーの中には、新たにアウディ ジャパンと契約し、アウディのディーラーを別途設立することで、企業体としてはVW・アウディの販売を継続したところもある。時期は不明だが、愛知県小牧市に日本初のフォルクスワーゲン専売ディーラーとして「フォルクスワーゲン小牧」が設立され、これが後に後述のファーレンの名称がフォルクスワーゲンに変更されるきっかけとなった。2001年(平成13年)1月からの新CI導入と同時に、ファーレンの名称がフォルクスワーゲンに変更された。2002年(平成14年)時点ではファーレンが99拠点、DUOは143拠点だった。1999年(平成11年)4月、リクルートのイサイズ経由で顧客をファーレンとDUOのディーラー網へ誘導することにより5年後には販売の25%をインターネット経由からとしたいと考えたが、これは実現しなかった。2005年(平成17年)、ヤナセが「ヤナセヴィークルワールド株式会社」でディーラーとして復帰。2009年(平成21年)、トヨタ自動車との販売提携を解消する。これにより2010年12月31日をもってDUO販売網が事実上消滅した。DUO店を運営するトヨタ販売会社はVGJと個別に販売契約を結ぶことになり、店舗名称もフォルクスワーゲンに統一された。一部のDUO店は販売提携解消とともに閉店した。
出典:wikipedia
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