アレクセイ・パヴロヴィチ・パンフィーロフ(;1898年5月5日 - 1966年5月)は、ソ連の軍人。中将。ソ連邦英雄。カザン出身。1918年4月、赤軍に入隊し、同年、全連邦共産党(ボリシェヴィキ党)に入党した。東部戦線でロシア内戦に従軍。戦後は、郡、連隊、独立旅団の軍事委員を歴任。1926年、上級指揮要員完全化課程を修了。1928年~1931年、第18狙撃軍団検事補、レニングラード軍管区軍事検察庁課長。1937年、I.V.スターリン名称機械化・自動車化軍事アカデミーを卒業。1938年4月から労農赤軍自動車装甲戦車局長補佐官。第39歩兵軍団隷下の第2機械化旅団長として張鼓峰事件、ノモンハン事件に参加。戦後の1940年4月、旅団指揮官(Комбриг、少将相当)。6月、同階級廃止に伴い装甲兵少将。1940年~1941年、労農赤軍参謀本部情報局副局長、1941年11月から情報局長。ヴワディスワフ・アンデルス将軍のポーランド軍編成の際に全権代表を務めたが、1942年8月にアンデルスが赤軍で戦うことを拒否してソ連を離れた時、パンフィーロフは情報局長を解任された。1942年~1944年、第3、第5戦車軍の副司令官。戦後、各職を経て、装甲戦車兵アカデミーと参謀本部軍事アカデミーの講師を務めた。
出典:wikipedia
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