


増田 俊也(ますだ としなり、1965年11月8日 - )は日本の小説家。2006年に『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞でデビュー。小説だけではなく、ノンフィクションや随筆、評論の分野でも活動し、大宅賞も受賞している。大宅賞受賞作『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社)はトルーマン・カポーティの『冷血』を意識して作家も作中に出る手法をとっており、「私は血の通った文章を書く小説家であり続けたい」と『群像』誌上で記している。2013年には純文学的色彩の濃い自伝的小説『七帝柔道記』(角川書店)も発表するなど、作風は幅広い。ガルシア=マルケス、ミラン・クンデラに傾倒し、塩野七生、筒井康隆、ロバート・B・パーカー、カート・ヴォネガット、トルーマン・カポーティ、ヘミングウェイ、ドストエフスキーらを好きな作家として挙げている。実父の従兄弟に詩人の安西均がいる。愛知県出身。愛知県立旭丘高等学校卒業。2浪して北海道大学へ入学し、大学時代は柔道部で高専柔道の流れを汲む寝技中心の七帝柔道を経験する。北大柔道部の先輩には旭山動物園園長だった小菅正夫がいる。ホッキョクグマの生態研究者を志していたため、柔道部の他に北大ヒグマ研究グループにも入りたかったが、柔道部と両立できずに断念した。4年生の最後の七帝戦が終わって柔道部を引退後に大学を中退する。1989年に北海タイムスに入社して新聞記者になる。1992年、中日新聞社へ転職し、中日新聞社中日スポーツ総局報道部記者になる。2006年、『シャトゥーン ヒグマの森』で第5回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞して作家となる。同作の原点は、大学時代に自然保護運動、環境保護運動に取り組んでいたときの知床原生林強行伐採の時の怒りであるという。2012年、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』で第43回大宅壮一ノンフィクション賞、第11回新潮ドキュメント賞をダブル受賞した。2013年、『七帝柔道記』で第4回山田風太郎賞最終候補にノミネートされた。2013年、『土星人襲来』収録のNOVA 書き下ろし日本SFコレクション (河出書房新社)が第44回星雲賞自由部門を受賞。2014年には同作が第31回日本SF大賞特別賞を受賞。2016年4月末日で25年間勤めた中日新聞社を早期退職し、作家生活に入った。。デビュー作の小説『シャトゥーン ヒグマの森』はスティーヴン・スピルバーグの影響を受けたエンターテイメント性の強い作品で、その破壊力あるストーリーは空知英秋や岩明均など他ジャンルのクリエイターたちからも注目された。また、創元SF短編賞最終候補に残り、『NOVA 書き下ろし日本SFコレクション 7』に収録された『土星人襲来』ではスラップスティックな作風も見せた。一方、自伝的小説『七帝柔道記』は実在の人をモデルにした人物と架空の人物を織り交ぜて書かれた私小説的な作品で、北大柔道部の後輩が夭折したときにメモ書きから書き始めたものである。他にも夭折した人をモデルにした人物が多く登場し、増田は「これは彼らへの鎮魂歌です」とインタビューで答えている。ノンフィクションの『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』では、緻密な取材力と膨大な資料収集能力を見せている。そして増田自身が強く物語の中に入っていく特殊な手法で、原稿用紙1600枚の長大な大河作品に仕上げている。この作品で見せた木村政彦への強い敬慕と思い入れを、夢枕獏、平野啓一郎、五木寛之、恩田陸、櫻井よしこら作家たちが高く評価している。視覚に訴えてくる映像的な作品が多いのも特徴で、『シャトゥーン ヒグマの森』は『ビジネスジャンプ』誌上で漫画化され(単行本全3巻)、前述のように『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』は『週刊大衆』誌で『KIMURA』の題名で、また『七帝柔道記』も『ビッグコミックオリジナル』誌で漫画連載されている。
出典:wikipedia
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