オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴル(オーギュスト・ペレによってさいけんされたとしル・アーヴル)は、北フランスの港湾都市ル・アーヴルの中心街を指す、ユネスコ世界遺産としての登録名。第二次世界大戦後に行われた大規模な都市再建が、20世紀における都市計画の優れた例証として評価された。第二次世界大戦が始まると、ル・アーヴル港はイギリス軍の補給基地として利用されたが、1940年6月から始まったドイツ軍による侵攻によって、イギリス軍は撤退した。そしてフランス降伏ののち、街は対英攻撃(アシカ作戦)を準備していたドイツ軍に占領された。1944年9月5日から6日にかけて、戦時中の最も苛烈な爆撃がイギリス空軍によって遂行された。これは占領中のドイツ軍を弱体化させ、3ヶ月前にノルマンディに上陸していた連合国軍の補給を容易にすることが目的で、中心市街と港を攻撃の対象としていた(タブラ・ラサ作戦)。都市は1944年9月まで休みなく続いた爆撃にさらされ、死者5000人、家屋の破壊12500戸、家を失った者80000人の被害を出した。中心市街は廃墟となり、連合国軍によって解放されたときには、ル・アーヴルはヨーロッパの都市のなかで最大級の惨状を呈した都市のひとつであった。今日、連合軍のこの作戦の軍事的な利点は、再び問い直されている。ル・アーヴルにとっての解放は非常に苦いものであり、住民たちの記憶に強く刻印されることとなった。1945年春に、都市再建省 (le Ministère de la Reconstruction de l'Urbanisme) は、ル・アーヴル中心市街の再建を、オーギュスト・ペレの工房に委託した。ペレは、古い建物が何もないまっさらな状態を作り、そこに新都市建造のための古典主義的諸理論を適用したいと考えていたところだった。この再建の資材として考慮されていたものは、コンクリートだった。1945年から1964年にかけての再建は、その再建範囲の広さ、ペレ工房の理論的統一性、一連の都市計画、プレハブ工法の適用などによって、再建された都市の中でも特異な歴史を体現するものであった。同時に、建築史と都市史において、20世紀の最も顕著な例証といえるのである。中心街の計画は直交を基軸とするものである。横に走る街路は幾何学的に配置され、街は碁盤目状になっている。こうした規則性は、古代エジプトのアレクサンドリアやポンペイ、条坊制都市など、古代の都市の多くで見られたものである。日本の北海道や北アメリカの都市にも、マンハッタンやサン・フランシスコのCBDなどに見ることが出来る。しかし、碁盤目状の地形図は、いくつかの理由からこの都市の街区に厳格には適用されなかった。中心街の西を斜めに走り三角形を形成しているフランソワ1世大通り (le boulevard François I) もその一例である。また、戦火をまぬかれた歴史的建造物類も、碁盤目状の区画を妨げる一因となった。そうした例外はあるものの、都市計画の観点では、ル・アーヴルの碁盤目状計画は、都市空間を厳格に組織し、風通しのよい直線的な街路に、整然と住宅のファサードを並べることを可能にした。碁盤目の横の長さは6.24mを基準としてその整数倍とされており、これは当時のコンクリートの梁の長さにとって最適な範囲が企図されたものである。こうした抜本的な都市計画の実現は、度重なる爆撃によって中心市街の多くが更地と化したことで可能になった。中心街のかつての姿は今日では見る影もない。現在の主要幹線道路は次の3つである。オーギュスト・ペレは均質化した住居もデザインした。ル・アーヴルの世界遺産への登録は平坦なものではなかった。オーギュスト・ペレの作品は評価の一方で批判にもさらされており、またユネスコは現代の景観を登録することがほとんどないという点がネックと考えられた。しかし、いくつかの点から登録基準は満たしていると判断され、まずはフランスの暫定リストに加えられ、他のリスト登録物件(セヴェンヌ国立公園、ジロンド河岸、ニューカレドニアの礁湖)などとともに審議対象となった。ユネスコは、ル・アーヴルの再建された中心街がもつコンクリート建築としての革新性や可能性を示したことを評価し、2005年7月15日に中心街の133ヘクタールを戦後都市計画の優れた例証として、世界遺産に登録した。産業遺産、文化的景観、20世紀建築などの登録を推進していくとするグローバルストラテジーの採択以降、現代建築の登録もしばしば見られるようになったが、20世紀都市景観が世界遺産に登録されたのは、ヨーロッパではあまりないことである。登録直後の2005年7月18日には、市庁舎広場で登録を祝う大規模な集会が開かれた。また、それ以降ペレの建築のオリジナルの姿が尊重されるようになり、当時の色使いや材質で維持されねばならないことになった。また、市庁舎は隣接する1950年代当時を再現する博物館を建てた。ル・アーヴル市では、この登録によって観光客(特に外国人)の増加を見込んで、海水浴場やカジノを新設するなど、観光業に力が入れられている。この記事の初版はフランス語版ウィキペディアの記事が元になっている。以下の4件の参考文献は、オリジナルの記事に掲げられていたものである。
出典:wikipedia
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