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コローニ

コローニ(Coloni Motorsport s.p.a.)は、イタリアに本拠地を置くレーシングチームで、一時期F1に参戦していた。創設者はエンツォ・コローニ。コローニは、地元イタリアF3の強豪チームとして活躍していたが、1987年イタリアGPでF1に初参戦した。しかし同グランプリでは予選通過を果たせず、決勝に進出したのは2戦後のスペインGPだったが、完走は成らなかった。この年はイタリアGPとスペインGPの2戦のみに参戦した。1988年よりフル参戦を行い、新型車のFC188Bを投入した。F1の決勝初完走は同年第4戦メキシコGP(14位)だった。その後、1989年を除いて1台体制で戦うものの、当時参加台数が40台近くに達したために予備予選に回され、その結果、決勝に進出したのは13回のみであった。スポンサーにも恵まれることはなく、資金不足に悩まされたままの戦いを強いられ、1989年スペインGPでのロベルト・モレノがコローニにとって最後の決勝進出だった。1990年に向けて、1989年末に富士重工業(スバル)が1億円でチームの株の半分を買い取り、スバル・コローニとしてエントリーを行った。スバルとモトーリ・モデルニが共同開発した水平対向12気筒エンジンを搭載して飛躍しようとしたが、予備予選すら通過できない惨憺たる結果が続いた。結局イギリスグランプリを以ってスバルと決別し、フォード・コスワースDFRエンジンに切り替えるものの、決勝進出はならなかった。1991年は前年のマシンを改正レギュレーションにあわせただけのもので戦うが、予備予選でも最下位の常連になるほどの結果しか表せなかった。(ドライバーはポルトガル人ドライバーのペドロ・チャベス。)シーズン終盤には、日本の若手有望株の一人であった服部尚貴を擁し、さらに日本GPでは一口2万円での個人スポンサーを募った。鈴鹿に現れたマシンには、サイドポンツーン上部に細かく個人スポンサーの名前が並び『耳なし芳一』と揶揄されたが、予備予選すら通過できなかった。コローニは、F1チームをイタリアの製靴メーカ社長のアンドレア・サセッティに売却し、F1から撤退した。ちなみに売却されたチームはアンドレア・モーダとして翌1992年のF1にエントリーするが、結局同年のベルギーGPを最後にF1から追放処分を受けている。F1を撤退したコローニは、下位フォーミュラで活動を行う。地元イタリアF3(後のユーロF3)のほか、国際F3000(現在のGP2)にも参戦している。またイタリアを中心にヨーロッパを転戦するユーロ3000選手権では、自らシリーズ運営にも携わっている。2006年からは、ジャンカルロ・フィジケラがオーナーのFMSとパートナーを組んで参戦(チーム名はFMS)、途中から参戦した元F1ドライバーであるジョルジオ・パンターノによって3勝をあげている。*斜体になっているドライバーはスポット参戦などF1F3F3000(GP2)

出典:wikipedia

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