三島暦(みしまごよみ)とは、応仁・文明(室町時代)頃から1872年(明治5年)まで伊豆の有力者である河合家が作成して、三嶋大社より一般に頒布された暦である。仮名暦(仮名書きの暦、漢字書きの暦が本格派で男性の読むものとされた時代、女性・子供向けのものとして造られたもの。)であり、主に伊豆国・相模国の2カ国で流通した。尚、三島暦は、仮名文字で印刷された暦としては、日本最古と言われている。軍記物である『小田原北条記』巻六には、戦国期の伊豆国で三島暦が採用された経緯を次のように記している。関東の暦は伊豆国三島大社と武蔵国氷川神社の二か所で制作されていたが、天正10年の閏月の計算に関して見解の相違が生じた。そこで両方の陰陽師を呼び、評議させたが、争論になり、決めがたかった。北条氏政は安藤良整に相談したところ、算木の由来を説明し、三島に新羅国の老人が来て、算木でもって暦を制作し、日本に広めた伝説を紹介し、調べたところ、三島暦の方が算木の制作にかなったものであり、小田原では三島暦を用いることになったと記述される。
出典:wikipedia
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