栃ノ心 剛(とちのしん つよし、1987年10月13日 - )は、ジョージア・ムツヘタ出身で春日野部屋所属の現役大相撲力士。本名はレヴァニ・ゴルガゼ(グルジア語表記:)。愛称はレヴァニ、角界のニコラス・ケイジ。身長191cm、体重171kg。得意技は右四つ、寄り、上手投げ。最高位は西関脇(2016年7月場所)。相撲を始める前は柔道とサンボを経験し、サンボではヨーロッパ王者になったこともある。小学生に入るころに柔道とチオダバと呼ばれるジョージアの伝統格闘技を始めた。自身も柔道と相撲の強豪選手であった弟のラシャ・ゴルカゼが「兄は真面目で、いつも練習ばかりしていた。私は真似できなかったなあ」と振り返るのを筆頭に、複数の証言者がレヴァニの練習熱心さを語っている。2004年の世界ジュニア相撲選手権大会に全く相撲の稽古をしないまま出場したのが初めての相撲経験であり、この時に3位入賞を果たした。世界ジュニア大会ではほかにも重量級準優勝などの実績を残している。柔道が好きであったので各界入りについては迷っていたが、同郷の黒海に話を聞いたり家族に相談したりした末に入門。本人は後年「相撲に入っていなかったら多分、柔道でオリンピックに出ていたでしょうね。ジョージア代表で出ていた選手には一度も負けたことがなかったからね」と話している。レスリング出身者が多い欧州勢の中で、相撲エリートとしての実績や恵まれた体躯、優れた身体能力から、入門時より将来の角界を担う力士として期待された。木村山とは十両昇進後も設備上の理由で同じ個室で生活していた時期があり、木村山が結婚して夫人とともにマンション暮らしをするようになるまで相部屋生活は続いた。平成18年(2006年)3月場所に初土俵を踏んで以降順調に出世し、平成19年(2007年)11月場所では東幕下筆頭で勝ち越しを決め、ジョージア出身力士では黒海以来2人目の関取となった。翌2008年1月場所では、十両西12枚目で12勝3敗の成績を収め新十両で優勝、翌3月場所では9勝6敗の成績を残し、十両を2場所で通過。5月場所で初土俵から13場所と史上10位タイのスピード記録で新入幕を果たした。西前頭8枚目で迎えた2009年11月場所には12勝3敗の成績を挙げ、初の三賞となる敢闘賞を受賞した。この時は新三役の可能性もあったが、翌場所は西前頭筆頭に据え置かれ新三役は果たせなかった。入幕からしばらく勢いが衰えたことに関しては本人が後に「あのとき、もっと真面目にやっていれば、もうちょっと上に行けたかもしれない(笑い)。分からないけどね。若かったから遊びたい気持ちも大きかったんじゃないですか」と振り返っている。2010年5月場所は西前頭2枚目で迎えた。初日は把瑠都に敗れたものの翌日以降4大関(日馬富士・琴欧洲・琴光喜・魁皇)を次々になぎ倒し、順調な滑り出しをしたが、その後は失速し千秋楽に8勝7敗とぎりぎり勝ち越した。それでも4大関撃破の星が認められて2回目の敢闘賞を受賞した。翌7月場所は新三役となり西小結に昇進したものの、琴欧洲を除く横綱・大関陣に全て敗れるなど上位の壁に阻まれ6勝9敗で負け越した。2011年5月技量審査場所は西前頭6枚目で迎えた。この場所は好調で千秋楽まで優勝争いトップの白鵬を追って白星を重ねていった。千秋楽に日馬富士に破れて12勝3敗となり優勝は逃したが、敢闘賞を受賞した。7月場所は最高位である西小結に番付を戻したが、6勝9敗と負け越してしまった。10月18日、同月14日に門限や服装規定を破った栃ノ心ら弟子3人が師匠である春日野親方に腹や背中を素手やゴルフクラブのアイアンで殴られるなどした暴行容疑が浮上し、師匠と栃ノ心らは警視庁本所警察署で事情聴取を受けた。栃ノ心は14日に暴行を受けてから部屋を出て行き16日まで部屋に戻らなかったが、その後春日野親方に土下座して謝罪し自分の非を認め、被害届を提出しない意向である。「自分が悪いことをした。これからはこういうことがないように頑張る」とコメントした。関係者によると、栃ノ心は門限破りと服装違反の常習犯であり、当面は土俵内での申し合いと外出が禁止され、事実上謹慎状態にあり、栃ノ心は「(申し合い)稽古はしたいけど仕方ない」と反省している。ちなみに、同月5日に開かれた研修会で集まった力士に対し、放駒理事長は外出時の服装など日常の行動について注意した矢先の出来事だった。師匠は「関取たる者、相撲だけじゃなく、態度や言動も伴っていないといけない。栃ノ心は、もうちょっと『心』をしっかりしてほしい」と語った。27日、師匠は九州場所入りしても反省の色が見えない限り、当面は土俵内の稽古を禁止すると記者に答えた。「反省か何かがないと。嫌なら辞めてもらうしかない」とも語っている。その後謹慎は解かれたが、土俵上では精彩を欠く相撲内容がしばらく続いていた。しかし次第に調子を取り戻し、2012年9月場所は東京場所で初めての三役となったが、6勝9敗と負け越してしまった。2013年7月場所は5日目の徳勝龍戦(栃ノ心が勝利)で右膝前十字靱帯断裂、右膝内側側副靱帯断裂の大怪我を負い、6日目から休場した。その後も回復が遅れて、9月場所初日の前に『右膝前十字靱帯断裂及び右膝内側側副靱帯断裂で更に安静2ヶ月が必要』という診断書を日本相撲協会に提出して休場することになった。11月場所は西十両14枚目の地位まで下がったが、10月10日付で日本相撲協会に「右膝前十字靱帯損傷、右膝内側側副靱帯損傷で、12月末までの安静加療を要す見込み」との診断書を提出した。これで栃ノ心は2014年1月場所を以って35場所維持した関取の座から幕下へ陥落し、その1月場所も全休した。休場中は引退も考えいていたが、春日野から「まさかやめること考えているんじゃないだろうな。バカじゃないか。あと10年相撲を取らないとダメなんだよ」とハッパを掛けられ続投を選ぶ。2ヶ月の入院で体重は177kgまで増えてしまい、さらに退院して部屋に戻るとちゃんこがおいしくて食べ過ぎてしまったので前年11月場所からダイエットに取り組み、体重が減るまでキャベツの千切りとレタスとリンゴだけしか食べなかった。復帰に向けた稽古については、朝、四股やスクワットで汗をかき、午後はすぐ近くの海に行って砂浜を歩き回った。退院前より27kg落ちた体重を徐々に稽古をやりながら、160kg台にまで仕上げた。3月場所は西幕下55枚目まで番付を落としてしまったが、4場所ぶりに土俵に復帰して7戦全勝で復活の優勝を決めた。続く5月場所も西幕下6枚目で7戦全勝の連続優勝となり、7月場所で十両に復帰した。この7月場所千秋楽に1敗でトップに立つ逸ノ城に黒星を付け、さらに13勝2敗同士で行う優勝決定戦で逸ノ城と再度対戦し、これにも勝利して見事十両優勝を果たす。直後のインタビューでは本割と決定戦の2番をこなしても右膝に痛みが現れないと復調を主張し、さらに「やめなくて良かった。次は幕内に戻るように頑張る」と語った。続く9月場所は西十両5枚目の地位で大相撲史上5人目となる15戦全勝での十両優勝を果たした。再入幕を果たした11月場所は11勝4敗と好成績を残し、この場所では自身4度目となる敢闘賞を受賞。2015年1月場所は自己最高位に近い西前頭筆頭まで番付を戻すも場所直前に部屋内でインフルエンザが流行したこと(後述)もあって振るわず、12日目には負け越しが確定し、場所を6勝9敗で終えたが、5日目に大関・豪栄道を破った。なお、大関戦での白星は、2013年3月場所4日目の琴欧洲戦以来。翌3月場所は、8日目に横綱・日馬富士を破り自身初の金星獲得。12日目には大関・稀勢の里を破った。千秋楽に同郷の臥牙丸を破り、勝ち越しが決定。5月場所では西前頭筆頭で9勝6敗の成績を挙げたが、翌7月場所で三役から陥落する力士が1人も居らず、東筆頭の宝富士(こちらも9勝6敗)は小結に昇進したが栃ノ心は東前頭筆頭止まりで、三役に復帰できなかった。西筆頭で9勝を挙げながら三役に上がれなかったのは41年ぶり史上3例目だったが、その7月場所も8勝7敗の勝ち越しで終えると、翌9月場所で5度目の小結昇進を果たした。幕下55枚目まで陥落した後の三役復帰は、低地位からのカムバック記録としては戦後1位であり、また、5度目にして初の東となった(過去4場所は全て西)。その場所は10勝5敗と三役では初となる勝ち越しを果たし、敢闘賞を受賞した。しかし11月場所、2016年1月場所と連続で負け越し、三役から落ちた3月場所も負け越した。西前頭4枚目とした5月場所は10勝を挙げ、右四つの形と場所中に決めた吊り出しが評価されて自身初の技能賞を受賞。西関脇に昇進した7月場所の番付では「新小結を経験した力士が一旦幕下まで落ち、その後新関脇になったのは昭和以降では初めて」という記録を作った。非常に力が強く足腰も強い。握力は左右ともに90kgを超える。右四つの相撲が得意で左上手を取ると力を発揮する。その状態から豪快な吊り出しを見せることがあり、土俵際でのうっちゃりも足腰の強さゆえによく決まる。決まり手は主に寄り切りが多いが、投げ技も力強く地力のある相撲を身につけてきている。2013年7月場所に負った大怪我から復帰して以降はそれ以前より強くなったとされており、2014年11月場所前の座談会では元文化放送アナウンサーの坂信一郎が「廻しの取り方も下から取るようになった」と差し身が向上した様子を述べていた。同じ座談会では元テレビ朝日アナウンサーの銅谷志朗が「十両であっても左上手を取ったら、絶対取りこぼしが無かった」と安定感の向上を評価していた。しかし2016年3月場所前の座談会では振分が「パワー一辺倒だからもう少し器用さがないと」「大ケガをしたからさらにパワーをつけたんだなという感じがして、だからまたケガをしかねない」と指摘しており、浦風も「自分も力任せの相撲という印象なんだよな」と同調している。高崎はこれに関して「右四つ左上手という型はあるんだけど、十分になるまでの工夫がもうちょっとほしいね」と注文を付けている。いずれも2016年9月場所終了現在2016年9月場所終了現在
出典:wikipedia
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