フレディ・ローチ(Freddie Roach、1960年3月5日 - )は、アメリカ合衆国のボクシングトレーナーであり元プロボクサー。マサチューセッツ州デダム出身。アイルランドとフランス系カナダのアメリカ人。マニー・パッキャオのチーフ・トレーナーを務め、数々のビッグマッチを勝利に導いた。他にもミゲール・コットやホセ・ベナビデスや総合格闘技の元UFCウェルター級王者のジョルジュ・サンピエールのトレーナーを務めており、ボクサーだけでなく総合格闘家にも積極的に指導を行なっている。過去には2階級制覇をした女子ボクシング元世界王者のルシア・ライカのトレーナーも務めていた。幼少の頃から兄のペッパー・ローチ、弟のジョーイ・ローチと共に元プロボクサーであった父親ポール・ローチの指導の下トレーニングを積んでいた。家庭は貧しく、父親からのつらい虐待を幾度となく経験して育った。アマチュアでは150試合程度を経験。プロデビューは1978年8月24日18歳の時で、デビュー戦から4戦を戦ったあと、名トレーナーのエディ・ファッチに師事をした。1982年6月11日と1983年8月25日の2度、兄弟3人が揃って出場した興行が開催されている。兄のペッパー・ローチは酒店で盗みを働き、53ヵ月間刑務所で刑に服したあと、7勝2敗1分の戦績でプロボクシングを引退した。フレディ・ローチも40戦ほど消化した頃にパーキンソン病の初期症状を発症、エディ・ファッチは引退を勧めたがローチは現役を続けた、ローチの体を心配したファッチはトレーナーから身を引き、父親のポール・ローチが跡を引き継いだ。その後、負ける事が多くなったローチは1986年10月に26歳で引退、通算成績は53戦39勝13敗(15KO)で、プロボクサー時代の最高給は7500ドルであった。弟のジョーイ・ローチも1986年11月26日に負けを喫したあと、プロ戦績8勝3敗3分で引退した。引退後、テレフォンアポインターなど様々なアルバイトを経験、最終的にローチはほぼ無給でエディ・ファッチのアシスタント・トレーナーを5年間務めることになり、自費でビラを作って配り、空手のクラスや重量挙げ選手など様々なジムで指導した。1991年、俳優ミッキー・ロークとトレーナー契約を結び、ようやく生活していける職を得ることに成功した。4年後、ロークがボクシングからの引退を決めたときにロークが使用していたトーレーニング機器を譲り受け、そのトレーニング機器を使ってカリフォルニア州に自身のボクシングジムである「ワイルドカードジム」を設立した。兄のペッパーもワイルドカードジムにトレーナーとして所属している。ローチが教えた選手で初の世界王者となったのは、エディ・フィッチから引き継いだヴァージル・ヒルである。現在トレーナーを務めているマニー・パキャオの他、過去には、メイウェザーと対戦した時のオスカー・デ・ラ・ホーヤやアミール・カーンなど27人の世界チャンピオンのトレーナーを務めてきた。総合格闘技の選手ではUFC元ヘビー級王者のアンドレイ・アルロフスキー、ダン・ハーディー、ティト・オーティズ、アンデウソン・シウバ、BJ・ペンを教えてきた。2010年以来、UFCウェルター級王者のジョルジュ・サンピエールとトレーナー契約を結んでいる。他にも著名な総合格闘家のトレーナーを務めている。また2010年3月には元PRIDEヘビー級王者のエメリヤーエンコ・ヒョードルのトレーナーを務めることに興味があると述べた。
出典:wikipedia
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