ルイ・フェルディナン・ド・フランス(Louis Ferdinand de France, 1729年9月4日 - 1765年12月20日)は、フランス王ルイ15世と王妃マリー・レクザンスカの長男。誕生とともに王太子(ドーファン)に立てられた。1745年にスペイン王フェリペ5世の娘で父の従妹に当たるマリー=テレーズと結婚したが、妃は翌1746年に病死し、残された一人娘マリー・テレーズも夭逝した。1747年にポーランド王アウグスト3世(兼ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト2世)の娘マリー=ジョゼフ・ド・サクスと再婚し、三男ベリー公ルイ・オーギュスト(ルイ16世)、四男プロヴァンス伯ルイ・スタニスラス(ルイ18世)、五男アルトワ伯シャルル・フィリップ(シャルル10世)ら5男3女をもうけた。父ルイ15世とは異なり、敬虔で厳格な人物だった。ローマ教皇クレメンス13世とともにイエズス会の保護を行った。1765年、父ルイ15世に先立って36歳で死去した。長男ブルゴーニュ公ルイ・ジョゼフ・グザヴィエと次男アキテーヌ公グザヴィエ・マリー・ジョゼフが既に夭逝していたため、三男ベリー公が代わって王太子に建てられ、1774年に王位を継承した。フランスとオーストリアの和平のための政略結婚である三男ルイ・オーギュストの妃にマリア・テレジアの末娘マリア・アントーニアを迎えることに反対して縁談を妨げていたが、自身と妃マリー=ジョゼフの死により縁談は進められることになる。最初の妃マリー=テレーズ=ラファエル・ド・ブルボンとの間には夭逝した1女をもうけた。2番目の妃マリー=ジョゼフ・ド・サクスとの間には5男3女をもうけた。
出典:wikipedia
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