7代目春風亭 柳枝(しゅんぷうてい りゅうし、1893年(明治26年)9月 - 1941年(昭和16年)1月14日)は、東京の落語家。本名は渡辺金太郎。本所を裏沢町の裏長屋に住んでいた。東京の生まれ、前身は茶番師とも太神楽師ともドサ廻りの役者ともいわれる。1909年(明治43年)4月、5代目柳亭左楽に入門し左太郎、1916~17年(大正5~6年)頃に福楽、1918年(大正7年)に楓枝を経て、1920年(大正9年)12月、真打に昇進し2代目柳亭痴楽となる。1927年(昭和2年)11月、5代目柳亭芝楽を襲名し、更に1934年(昭和9年)11月、7代目春風亭柳枝を襲名。丸顔で出っ歯の愛敬ある落語家らしい顔立ちで、噺の間に「エヘヘ」と言うので「エヘヘの柳枝」と呼ばれた。歌い調子のリズミカルな口調で滑稽噺を得意としており、将来を嘱望されていたが病気により49歳の若さで死去した。レコード吹き込みも多く、当時の人気の程がうかがわれる。4代目柳亭痴楽は落語家人生をこの柳枝の門下でスタートさせている。妻は常盤津の岸沢式多女といい女道楽の岸沢式多津と組んで高座を仲良く勤めていた。墓所は四谷西応寺。戒名は「東膠院釈柳枝居士」。
出典:wikipedia
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