香焼町(こうやぎちょう)は、長崎県西彼杵郡にあった町。明治31年7月1日、深堀村より分村し、平成17年1月4日、市町村合併に伴い長崎市に編入され、自治体としては消滅した。編入後は、全域が長崎市香焼町(こうやぎまち)となっている。造船所が多く立地する。現在の、長崎市の地区としての香焼についても記述する。香焼地区(長崎市役所香焼行政センター管内)の人口は3,976人(2013年6月末日現在)。元来は香焼島と陰ノ尾島からなる離島であったが、戦前戦後の造船・石炭産業の活動等により海面埋め立てが進み、1960年代後半に県の臨海工業用地埋立により長崎市と陸続きとなり長崎半島につながる半島化した。もとの香焼島の南西に、明治時代の一時期炭鉱採掘で栄えたが閉山後沈下が進み岩礁化している横島がある。戦前、川南工業(造船業)や安保炭坑によって栄えた島で、戦時中は日本軍に対して輸送船を大量生産していた。戦後川南工業の経営悪化に伴い町(当時は村)の税収は緊迫しており、町と川南の間で長らく確執があった。その後、革新系(日本共産党単独推薦)の町長(坂井孟一郎)が長く支持された革新自治体として全国的にも注目された。1969年、海面埋立てに財政的支出を行った長崎県によって、陸続きとなった長崎市との合併勧奨がなされているが、町民ら自ら合併の是非について調査し、合併の賛否を検討し住民らの判断でこの時は合併は見送られている。しかし、平成の大合併においては周辺の町とともに長崎市と合併協議に入り、合併を推進した当時の町長のリコールによる解職等の紆余曲折を経て、2005年1月4日に同じ西彼杵郡の伊王島町、高島町、野母崎町、三和町、外海町と共に長崎市に編入された。
出典:wikipedia
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