Hs 123 はドイツの航空機メーカー ヘンシェルが製造した複葉、固定脚の急降下爆撃機である。ドイツ空軍初の急降下爆撃機として1936年に部隊配備が開始され、1938年10月まで生産された。ドイツ航空運輸委員会技術局は、1933年に急降下爆撃機の開発指示を出したが、これに応じてヘンシェルが開発したのがHs123であった。この開発指示では、取り敢えず第1段階で単座複葉である程度の急降下が出来る機体を開発し、並行して第2段階として本格的な急降下爆撃機を開発することになっていた。本機は、この第1段階にあたる機体であった。Hs123は翼間の支柱を板状にして翼間の張り線を最小限に抑えており、胴体も空力的に洗練された機体であった。しかし、原型機であるHs123-Vは飛行試験中に急降下を行った際に空中分解事故を起こし墜落してしまった。これは主翼の構造の欠陥が主な原因だったため、主翼の構造を強化した原型4号機を作成し適切な降下高度や角度を試験することにより空軍からの採用にこぎつけることができた。生産は1936年から開始されたが、1937年には後継機であるJu 87A-1の配備が開始されたため本機の生産ラインは大幅に縮小され、1938年10月に生産は終了した。この間に、エンジンを強化した型や密閉式のコックピットを有する武装強化型が試作されたが、いずれも量産されずに終わった。最初の量産型のA-1は、1936年のスペイン内戦においてコンドル軍団で5機使用された。ダイブブレーキを持たない本機は、急降下爆撃任務よりも地上部隊への近接支援任務において活躍した。その後本格的な急降下爆撃機であるJu 87が開発されると本機は次第に後方に回され、1939年のポーランド侵攻後は主に訓練に使用されていたが、戦線の拡大により有用な対地攻撃や地上支援が出来る機体を欲していた東部戦線では頑丈で扱いやすい本機は重宝されソ連の戦車隊攻撃に出動し、実戦部隊からは本機の生産再開要求が出された程であった(これは生産ラインが完全に閉じてしまった後だった為実現しなかった)。東部戦線では、結局1944年春まで使用された。
出典:wikipedia
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