多摩線(たません)は、神奈川県川崎市麻生区の新百合ヶ丘駅から東京都多摩市の唐木田駅までを結ぶ、小田急電鉄の鉄道路線である。駅ナンバリングで使われる路線記号はOT。多摩線は1974年開通で、小田急電鉄で一番新しい路線であり、京王相模原線と並ぶ多摩ニュータウンの都心へのアクセス路線である。開通から30年近くは新百合ヶ丘駅での小田原線との乗り換えが不便などの理由で、多摩ニュータウンから都心へのアクセスには併走する京王相模原線を利用する乗客が多く、京王電鉄に大きな差をつけられていた。2000年以降から、新百合ヶ丘駅での乗り換え不要で都心とを直通で結ぶ「特急ロマンスカー」や「多摩急行」の運行開始や、沿線の住宅地開発など、グループ全体で沿線の開拓に乗り出し、年々利用客が増えている。※ 全線立体交差、踏切は存在せず。3面6線の新百合ヶ丘駅を発車すると、多摩線は高架を登り右カーブで北西を向き小田原線から分岐する。その先で麻生川と東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線(津久井道)を跨ぎ、切通しに入り五月台駅へ。その先は住宅街を築堤で抜け2面2線の栗平駅に到着。この先から徐々に本来の多摩丘陵の様相が見えてきて山が増えてくるようになり、次の黒川駅を発車すると東京都道・神奈川県道19号町田調布線(鶴川街道)を跨ぎトンネルを抜ける。トンネルを抜けると新興住宅街はるひ野を左手に見て小田急で最も新しいはるひ野駅へ。この付近から北側に京王相模原線が見えてくるようになり、この先でトンネルを抜けて同線と合流して東京都(多摩市)に入る。しばらく多摩ニュータウンを両側に見ながら再びトンネルを抜けると2面2線の小田急永山駅に到着する。小田急永山駅を発車すると京王相模原線と並走し、東京都道18号府中町田線(鎌倉街道など)を跨ぎ、左カーブで西を向く。切通しであった線路は間もなく高架に変わり、多摩ニュータウンの中心街に入ると2面2線の小田急多摩センター駅に到着する。小田急多摩センター駅を発車するとすぐに多摩都市モノレール線が跨ぎ、京王相模原線と別れる。その先は右側は多摩丘陵の山を、左側は多摩ニュータウンを見ながら東京都道158号小山乞田線と並走。右手に府中カントリークラブゴルフ場が見えると間もなく2面3線の唐木田駅へ。唐木田駅の先は喜多見電車区唐木田出張所が広がり、また将来の延伸に備えて町田市方面に線路が延びている。1963年7月11日に新住宅市街地開発法が公布され、それに基づき東京都は多摩ニュータウンを建設する計画を立てた。そして、ニュータウンの多くの居住者が都心へ通勤することを考慮し、小田急電鉄と京王帝都電鉄(現:京王電鉄)の2社にニュータウン鉄道として新線の建設を要請した(計画段階では西武鉄道多摩川線の延長案もあった)。これに先立つ1962年には運輸省都市交通審議会の答申第6号で「喜多見方面より原宿、永田町、日比谷、池ノ端および日暮里の各方面を経て松戸方面へ向かう路線」として「東京8号線」の整備が提案されており、1964年には同区間が「東京9号線」として確定した上で、1972年の同審議会第15号答申では「橋本 - 喜多見」間が追加されて、多摩ニュータウン地区から都心部へのルート整備が進められる事になった。小田急は当初、喜多見駅から分岐してよみうりランド付近および稲城市内を経由して多摩中央(現在の「多摩センター駅」のことを指す)に至るルートを検討したが、新たに多摩川に架橋する必要が生じるうえ京王相模原線と同じルートとなることからその後百合ヶ丘駅付近から分岐することに計画を変更した。百合ヶ丘付近にはS字カーブがあり、輸送のネックが生ずることが予想されたことから、路線の付け替えを行い、その途中に分岐駅となる新百合ヶ丘駅を設置することとした。また新百合ヶ丘 - 小田急多摩センター間のみ建設される予定だったため、小田急多摩センター駅の開業当時、「小田急多摩線全通」という記述が書籍などで見られた。さらに多摩センターから京王線の北側を通り、橋本を経て津久井郡城山町(現在は相模原市緑区の一部)の「城山中央駅」(仮称)まで建設される計画だったが中止となった。1974年6月1日に新百合ヶ丘 - 小田急永山間が開業した。しかし、小田原線の線路容量が逼迫していることもあって、多摩線のほとんどの列車は線内折り返しで運転せざるを得ず、朝ラッシュ時のわずかの各停を除き、新宿方面へは新百合ヶ丘駅で乗り換えが必要となった。また、多摩ニュータウンに並行して乗り入れている京王相模原線が開業当初から都心(新宿駅・都営新宿線)直通の列車を運転していたことと、さらに2005年3月20日の小田急線運賃改定まで小田急多摩センター - 小田急永山間の運賃と京王多摩センター - 京王永山間の運賃に差異もある(大人初乗り運賃で京王が130円に対して小田急は140円であった)ことから、小田急多摩線は京王相模原線に相当数の乗客を奪われていた。さらに多摩ニュータウン地区から外れる川崎市内での沿線開発も進まず、五月台駅と黒川駅は長年無人駅(駅員無配置駅)となっていたほどだった。そのため、日中はあたかも地方ローカル線のような線内列車(2両編成が主だった1980年代には15分間隔で4両編成が運転された)のみが行き来する閑散路線と化していた。小田急で最後に開業した路線にもかかわらず、車両は1980年代まで18 m級の2400形などが主力で、それで十分の輸送量しかなかったのである。その中、小田急は1987年に城山まで所持していた路線免許を失効させ、多摩センター - 橋本間では京王相模原線と重複するこの区間への延伸は正式に断念された。一方、多摩ニュータウン南西部の唐木田地区で清掃工場の建設を受け入れた周辺住民からの要望に応える形で、同年に多摩センターから唐木田駅までの1駅間が着工され、1990年に開業した。新百合ヶ丘方から見て唐木田駅のさらに先、清掃工場の隣接地には車両基地が開設され、小田急線の車両運用上でも重要な役割を果たすようになった。また、車両基地内の配線はさらに南西の町田市西部・相模原市方面への延長が可能なように設定された。その後、小田原線の複々線化などで改良が進んだ2000年12月2日に小田原線直通の急行運転を開始し、2002年3月23日には 営団地下鉄(現:東京地下鉄)千代田線への相互乗り入れを行う多摩急行が設定され、当初の「東京9号線」構想が実現した。新宿直通列車についても、2000年12月2日には夕方ラッシュ時の新宿発の特急ロマンスカー「ホームウェイ」、2004年12月11日には新宿発着の区間準急がそれぞれ設定され、京王との競争力を増した。さらに2008年3月15日には平日夕方ラッシュ時の北千住発の特急ロマンスカー「メトロホームウェイ」も運行されて、利便性の改善が図られた。また、先述した運賃についても加算運賃の廃止や旅客運賃の値下げから大人初乗り運賃が京王より安い120円となった。一方で沿線の川崎市内では、小田急が主導する土地区画整理事業などにより、沿線人口と駅利用者は急増した。栗平駅は2002年の設定当初から多摩急行の停車駅となり、2004年12月11日に黒川駅と小田急永山駅の間に新駅としてはるひ野駅が開業した。同駅は開業時から太陽光発電と風力発電の両システムを搭載している。続いて2006年1月31日には五月台・栗平・黒川・小田急永山・小田急多摩センターの各駅のホームの屋根に「発電パネル」を設置し、太陽光発電を開始している。これらによって発電された電力は、自動券売機や自動改札機などの電力に利用されている。2011年3月11日に発生した東日本大震災による福島第一原子力発電所などの停止にともない実施された輪番停電(計画停電)では、小田急電鉄のほか多くの鉄道路線でも運休などの対応が取られたが、多摩線では小田原線と比べ利用者が少ないことなどから、初日の3月14日は終日運休(小田原線の新宿-経堂以外も終日運休)。2日目の3月15日は11:30 - 22:30の間運休(他路線は19:30には運転開始)となった。他の運休路線と異なり都心通勤通学圏内である多摩線の利用客を軽視したと取られる対応に対して多くの質問(クレーム)がよせられたようで、3日目の3月16日からは多摩線を終日運行(他路線は3月18日まで運休あり)とし、同日に小田急電鉄のホームページに、他の運休区間などもあわせ理解を求める文章を掲載した。唐木田から横浜線・相模線方面への延伸が、2000年の運輸政策審議会答申第18号(現・交通政策審議会)で今後整備を検討すべき路線として位置づけられている。2006年8月に神奈川県相模原市にある在日米軍相模総合補給廠の一部返還が決まったことにより、相模原、町田の両市で共同調査が行われ、唐木田駅から町田市小山田地区・相模原市中心部への延伸案が両市より提案された。相模原、町田の両市が提案しているルートは次のとおりである。唐木田駅から東京都道158号小山乞田線(尾根幹線道路)と交差し、町田市に入る。そして小山田・常盤地区を抜け、東京都道47号八王子町田線(町田街道)と交差、相模総合補給廠(ルート上は返還される予定)を縦断し、相模原駅で横浜線と交差、その先は相模原市の中心部を抜け、相模線上溝駅へ向かう。そのうち、相模原駅と上溝駅に駅を増設、さらに町田市内に新駅が一つ設置されることになっており、費用の観点から小山田地区に設置されると見られている。この計画自体は事業費用を950億円と試算しており、開業後30年以内の黒字化が達成できる見通しで事業実現化は可能であるとしている。事業実現化にあたっては、都市鉄道利便増進事業の適用(小田急電鉄自らは整備費を負担しない「公設民営方式」)を前提としている。2006年11月より、相模原市、町田市、小田急電鉄とで多摩線延伸についての検討が始まったが、2011年6月に早期事業化に向けて、関係機関や地域での合意形成ができるよう、更なる検討の深度化に取り組んでいくことが両市で確認された。ほかにも、上溝から先、水郷田名・半原・三ヶ木方面や、原当麻へ向かうルートなども構想されている。また、神奈川県鉄道輸送力増強促進会議では2007年度小田急電鉄向け要望書にて、横浜線相模原駅、相模線上溝駅方面への延伸の早期実現化を求めるとともに、相模原市から愛川町を経由して厚木市に至る路線の建設も要望している。町田市と相模原市は2014年5月26日、多摩線延伸推進に関する覚書を取り交わし、中央新幹線開業が予定される2027年までの実現を目指すとしている。運輸政策審議会答申第18号にて「目標年次(2015年)までに開業することが適当である路線」(A1) に位置付けられている川崎縦貫高速鉄道が、新百合ヶ丘から乗り入れし、相互直通運転するという構想が川崎市から提示されたことがある。実現後は、川崎市の広域拠点都市と位置付けられている武蔵小杉駅や、宮前区にもダイレクトにアクセスすることが可能となるため、かわさきマイコンシティなどを有する沿線市域の一体化および発展に重要な役割を果たす構想であった。同鉄道は京急大師線とも相互直通運転が予定されていたが、武蔵小杉駅以南の整備計画が決定していないことや、京急大師線は軌間が異なる(小田急多摩線の軌間は1067mm、京急大師線の軌間は1435mm)こと、またフリーゲージトレインや蓄電池・燃料電池を活用した鉄道車両など実用化されていない技術の導入を前提に置いたことなどから、実現の可能性には当初から疑問が持たれていた。さらに直通運転にあたっては川崎市側は車庫を保有せず、喜多見検車区唐木田出張所の利用を計画していたが、同所は現行ダイヤでは終電後満線あるいはそれに近い状態であるにもかかわらずその代替となる施設の計画について川崎市側は一切触れず、これらを含めた計画全般に対しての小田急側と合意も全くないという致命的な欠陥を抱えていた。2013年1月28日に川崎市の阿部孝夫市長が、この計画に対して設けられていた高速鉄道事業会計を2013年度末で閉鎖することを明らかにしたことにより、計画は事実上消滅した。直通運転を含めて、新百合ヶ丘 - 武蔵小杉の開業予定年度は2018年(平成30年)度となっていた。2016年3月26日のダイヤ改正時点で、急行・多摩急行・準急・各駅停車の4種類の列車種別が存在する。途中駅に待避・折り返しの設備がないため、線内で先行列車を追い越す列車、途中駅で折り返す列車は設定されていない。2000年12月2日のダイヤ改正から多摩線での定期運行が始まった。平日朝ラッシュ時に東京メトロ千代田線直通の綾瀬行き1本、千代田線およびJR東日本常磐緩行線直通の松戸行き2本、我孫子行きが2本運行されている。日中時間帯および土休日夜は我孫子発着の列車が毎時3本設定されており、綾瀬・柏・取手発着の列車も一部設定されている。千代田線直通以外では、新百合ヶ丘駅 - 唐木田駅間の線内のみ運転の列車が平日朝に下り1本・上り3本設定されており、上りのうちの1本は小田急線全体で唯一の8両編成で運転されている。また土休日早朝に唐木田発新宿行きが1本運転されている。なお多摩線発着での新宿への乗り入れは2016年3月26日のダイヤ改正で初めて設定された。2016年3月26日のダイヤ改正以前は、平日朝ラッシュ時のみの運転だった(同時間帯の運転内容は現在とほぼ同じである)。なお平日朝ラッシュ時のみ小田原線内の経堂駅を通過する。2002年3月23日に登場した種別である。唐木田駅から小田原線を経由して、東京メトロ千代田線に直通し、千代田線綾瀬駅発着とJR東日本常磐線松戸駅・柏駅・我孫子駅発着及び取手発の列車がある。多摩線内の停車駅は急行と同一であるが、小田原線内の通過駅は異なり、向ヶ丘遊園駅を通過し、終日経堂駅に停車する。2016年3月26日のダイヤ改正で、日中時間帯の設定が無くなり、朝夕に限られた。なお日中については急行の運転に変更された(これにより日中は全列車が向ヶ丘遊園駅停車となった)ため大幅に本数が減り、平日は下り17本・上り12本、土休日は下り12本・上り10本となった。2016年3月26日のダイヤ改正までは日中は唯一の速達列車であり、平日は上り26本・下り32本、土曜・休日は上り24本・下り26本が運転されていた。平日の朝ラッシュ時の上りは運転せず、急行を運転していた(これは現在も継続)。2014年3月15日ダイヤ改正により、平日朝下り1本の新宿発の準急が設定された。多摩線内はすべての駅に停車する。線内折り返しの列車が基本だが、平日の早朝から正午前にかけて上り6本・下り4本と夕方から深夜帯にかけて上り1本・下り5本にそれぞれ新宿駅発着列車がある。なお、平日朝に成城学園前発の下り各駅停車が1本ある。日中の1時間ごとの運行本数をまとめると、以下の通りになる(2016年3月26日改正時点)。2000年12月2日より定期列車として特急ロマンスカーが多摩線で運行を開始した。当初は1日1本のみであったが、2002年3月23日のダイヤ改正で1日2本となった。2003年3月29日のダイヤ改正から平日1日3本と土曜・休日1日2本に新宿発の「ホームウェイ」が乗り入れるようになった。さらに2008年3月15日からは平日のみ東京メトロ千代田線北千住駅始発の「メトロホームウェイ」が1本運転され、新宿発を置き換えた(3本→2本)。その後、2012年3月17日のダイヤ改正で、多摩線方面のホームウェイ・メトロホームウェイは、平日のみの運行となり、さらに2016年3月26日のダイヤ改正で、多摩線内を運行する特急ロマンスカーはすべて廃止された。なお、唐木田発の特急ロマンスカーは定期列車では設定されていなかった。また、線内では登場時点での急行と同じ停車駅であったが、2003年に急行が栗平駅に停車するようになっても登場当時のまま停車駅が変わらなかったため、定期列車で栗平駅を通過した最後の種別である。2004年12月11日に従来の各駅停車の一部を置き換えて登場した種別で、多摩線内はすべての駅に停車し新宿駅まで運行された。平日は上り14本・下り13本、土曜・休日は上り17本・下り18本が運転されていた。8両編成での運転が基本だが、下り3本、上り1本は6両編成で運転された。2016年3月26日のダイヤ改正をもって廃止された。江の島・鎌倉エクスプレス湘南マリンエクスプレス湘南マリン多摩大山もみじ号初詣&初日の出号ドラゴン号全て通勤型である。平日朝7:10 - 9:30に代々木上原駅に到着する上り東京メトロ千代田線直通急行の進行方向最後尾車両(実施区間は唐木田 - 東京メトロ綾瀬駅間)に設定。千代田線内は9:30を過ぎた時点で女性専用車の扱いは取りやめとなる。1970年に多摩線の建設が始められたが、多摩ニュータウンではごく一部ながら入居が始められており、周辺には既に開発が終わっていた百合ヶ丘、鶴川、平尾などの大規模開発があったことから、多摩線の建設にともない多摩丘陵地帯での市街化が急速に進むことは必至であった。したがって、このまま放置すれば無秩序な宅地造成によりスプロール化してしまうことから、小田急電鉄は地元と一体で組合施行の土地区画整理事業を実施して、広範囲にわたり公共施設の整備改善と宅地の利用促進をはかり、理想的な街づくりをすることが計画された。計画地域は現在の新百合ヶ丘駅周辺からはるひ野駅周辺にかけての川崎市内の多摩線沿線で、計画人口は3万5000人であり、地勢は山林・原野が6割、田畑が4割を占める農村地帯であった。この地域を黒川第一、栗木第一、柿生第一、柿生第二、西百合ヶ丘、黒川第二、真光寺、栗木第二の8ブロックに分け、それぞれのブロックで区画整理組合を設立することになった。鉄道事業者による区画整理事業方式での開発は、代表的なもので既に東京急行電鉄による田園都市線沿線の「多摩田園都市」があったが、小田急がこの方式で開発を行うのはこれが初めてであった。なお、新百合ヶ丘駅周辺の西百合ヶ丘地区では、川崎市の「新都心」という位置づけのもと川崎市が組合を設立することになり、現在のはるひ野駅周辺にあたる黒川第二地区および真光寺地区では、多摩ニュータウンの住宅・都市整備公団(現:UR都市機構)施行区域に隣接していたことから、同公団が施行することになった。こうして、この地域では以下の7つの土地区画整理事業が施行された。
出典:wikipedia
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