滝川 一積(たきがわ かずあつ)は、江戸時代前期の武将。徳川氏の家臣。滝川一忠の嫡男。通称は三九郎。子に滝川一明。正室は真田昌幸の五女である趙州院。天正11年(1583年)誕生。滝川一益の孫にあたる。父・一忠は豊臣秀吉により追放されて浪人であったため、一積もまた関ヶ原の戦い以前の行動は定かではない。旧知であった真田氏の元にいたともいわれ、関ヶ原の戦いの際に石田三成の父石田正継の猶子であった宇多頼次と離縁していた真田昌幸の娘を託されたという。その後、織田長益の推挙によって伯耆米子藩主・中村一忠に仕えた。その直後の慶長8年(1603年)に徳川家康の下で2,000石を拝領して家臣となっていた叔父・滝川一時が若くして死去し、子の滝川一乗が幼少ということもあって、一乗が15歳になるまでの名代に任じられて家康に仕えた(ほぼ同時期に米子藩では横田騒動が起こったことも理由の一つとしてある)。大坂の陣では、徳川方使番として活躍した。ところが元和2年(1616年)、一乗が15歳となっても所領を譲ろうとしなかったため一乗に訴えられ、その結果、一乗に750石を分与することとなり、一積は1,000石の旗本となる(なお、その後この問題については結局うやむやとなった)。また昌幸の五女を妻にしていた縁から、討死にした真田信繁の娘を養女に迎え、片倉重長に嫁がせた。しかし寛永9年(1632年)に幕府使番の職を解かれて除封される。ただし嫡子の一明は、寛文3年(1663年)に再び幕府に300俵で召しだされ、幕臣となっている。万治3年(1660年)に死去。
出典:wikipedia
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