下関市立豊浦小学校(しものせきしりつ とよらしょうがっこう)は、山口県下関市長府亀の甲二丁目にある公立小学校。山口県立長府高等学校と下関市立豊浦幼稚園と隣接し、周辺には下関市立長府中学校や山口県立豊浦高等学校があり、長府の教育の中心地といえる場所に位置する。広い敷地と、140年以上の歴史を持っている。同長府地区にある、下関市立長府小学校は、本校が分離したものである。なお、学校名は、長府の古名が豊浦(とよら)であることに由来する。従って読み方は「とよら」であり、「とようら」(旧豊浦郡・旧豊浦町など)ではない。そもそも豊浦郡の郡名も郡の中心地が長府にあったことによるため、豊浦小学校と旧豊浦郡はまったく無関係な名称というわけではない。現在、長府の中でも住居表示が実施されていない地域では、「下関市大字豊浦村(とよらむら)」のような大字名として豊浦の地名が残っている。(一方、旧豊浦郡4町のうちのひとつであった旧豊浦町という町名は、町成立の際につけられたもので、比較的歴史は浅い。)豊浦小学校と同様に、豊浦高校も読み方は「とよら」である。開校の起源は、1792年(寛政4年)に長府藩によって開校した「敬業館」と、1864年(元治元年)長府藩士によって開校した「集童場」が起源と言われている。(敬業館は別に、県立豊浦中学校となり、現在の山口県立豊浦高等学校にもなっている)現在でも生徒数が市内でも多く、図書室と音楽室は2教室ずつあり、図書室、普通教室にはインターネット接続されたパソコンがあり、児童が自由に使えるようになっている。そのほか、本校独特なものは下記のとおり。校地内にあり、学校に関する資料などが保存されている。普段は育友会が使用し、児童が立ち入る事はない。本館2階にある、教育や生活に関する資料が保存されている。磁石式電話機や、田上菊舎の頭陀袋が保存されていたりと、貴重な品がある。こちらは児童が自由に出入りでき、郷土委員会という児童委員会もあり、児童と教員が保存活動をしている。本館2階にある、全面カーペット床の多目的教室。グランドとは別に、児童が自由に遊べるアスレチック広場である。様々な遊具があり、中央に2つの人口山があり、吊り橋で繋がっている。奥には長府の歴史を物語る数多くの石碑や、相撲の土俵、工芸の授業で使用する焼窯がある。毎年1月下旬に行われる、児童にとっての最大行事。本校では、6年生が学年全員でマーチングバンドを結成し、活動する。大半の児童は鍵盤ハーモニカを受け持つが、金管クラブに所属している児童は金管楽器を、また、マーチングバンドのために結成される鼓笛隊に参加した児童は、各楽器を受け持ち演奏する。演奏する曲目は、校歌・紅葉の錦(長府毛利家)が手がけた行幸記念歌)が恒例曲で、もう1曲ほどポップス曲が毎年違う曲で選ばれ演奏する。この移杖式では、6年生が引退し、5年生に指揮棒や楽器(金管楽器と打楽器)を受け渡す。6年生は最後の演奏をし、5年生はこの時初めて全校の前で演奏する。毎年、11月中旬に開校記念日を設け、育友会が主催するバザー。児童は学習発表会(学芸会)を開催する。この日には学校を開放し、多くの来客で賑わう。毎年夏休み前に行われる、3年生から6年生までがクラスごとにお化け屋敷、ミニオリエンテーリングなどを開く。なお、1・2年はクラスごとに店は開かないが、遊びに回る事が出来る。本校には、有志で活動する合唱クラブが存在する。NHK全国学校音楽コンクール 小学校の部において、山口県大会、中国ブロック大会での金賞受賞や、全国大会出場の経験もある。ちなみに、獲得したトロフィーや賞状は職員室前に飾られている。
出典:wikipedia
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