『ミックスパイください』は、1990年3月26日から1999年3月26日まで中部日本放送で放送されていた情報バラエティ番組。CBC会館1階フロントスタジオからの生放送、放送末期にはCBC放送センターからの生放送。当時としては珍しいローカル局自社製作の夕方ワイド番組で、9年間にわたって放送された長寿番組である。放送時間は、第1回放送から約8年半にわたって17:00 - 18:00 (日本標準時、以下同)だったが、1998年9月28日放送分からは16:50 - 18:00に拡大された。司会は、放送開始から終了まで一貫して小堀勝啓(CBCアナウンサー)が務めていた。CBCでは1980年代前半の平日17時台に、若者向けのバラエティ番組『ぱろぱろエブリデイ』とその後番組である情報番組『夕焼けワイド510』を放送していたが、『夕焼けワイド510』が1983年に終了してからは、同時間帯はしばらくテレビドラマの再放送枠としていた。その後1989年10月2日より、同時間帯と平日18時台前半に放送していた『CBCニュースワイド』を合わせた計1時間半の枠を『CBCニュース通り』と銘打ち、このうち17時台に新番組『小堀勝啓の時代塾』と『ひとみ・ゆかりのSHINSEN通信』をスタートさせる。小堀が司会を務めていた『小堀勝啓の時代塾』は、『CBCニュース通り』のトップバッターとして17時台前半に放送。同局放送エリア内で活躍する有名無名の人々を生中継で紹介。対する17時台後半の『ひとみ・ゆかりのSHINSEN通信』は多田仁美と平野裕加里(いずれも当時CBCアナウンサー)の司会で、CBCのスタジオから生活情報やタウン情報を伝えていた。しかし、1990年春の改編で、18時半からのJNN系列全国ニュース枠と18時からのローカルニュース枠が交換されることになり、『CBCニュース通り』は半年足らずで枠が解体された。それに伴い、17時台には、『小堀勝啓の時代塾』と『ひとみ・ゆかりのSHINSEN通信』を統合する形でこの『ミックスパイください』が誕生した。番組は主に東海3県各地のタウン情報を伝える取材VTRコーナーと現場からの中継コーナー、ゲストに招いた芸能人たちとのトークコーナー、翌日と週間の気象情報を伝えるコーナーによって構成されていた。また、視聴者からのハガキやFAXの投稿を受け付けていた。新譜・新刊などの発表に伴う全国プロモーションや、東海三県下で開催される公演やその告知などで来名した芸能人や文化人、有名制作者などが、ほぼ毎回ゲストとして出演していた。番組内には、小堀によるゲストとのトークコーナー「小堀勝啓的世界(コボリックワールド)」があり、ゲストの顔ぶれには、、SMAP、Mr.Children、小堀と親交の深いTHE ALFEEなどのミュージシャン、アーティストも出演しているほか、当時の地方ローカル番組としては珍しく、萩本欽一 、淀川長治、宮崎駿、ジャッキー・チェンなどもプロモーションの一環として生出演している。この番組は、当時本社機能を擁していたCBC会館1階の広小路通に面したガラス張りのスタジオ、通称「フロントスタジオ」から放送されていた。通行人は出演者たちを後方から眺めるという形ながら、通りから番組の生放送が行われる様子を観覧することができた。その後、新たに建設されたCBC放送センター(CBC本社の南側)が1998年11月に稼働を開始したことにより、この番組のスタジオも新社屋へと移転した。フロントスタジオの跡地は現在、「CBCスタジオギャラリー」として絵画等の展示スペースに使われている。小堀は地方局の一アナウンサーではあるが、その当時から培ってきた芸能界(特に音楽界)の人脈が広く、特にTHE ALFEE、などのフォーク・ニューミュージック系のアーティストたちとの親交は深い。小堀は報道記者経験があったため、番組の生放送中に入ってきた緊急ニュースに対してもしっかりと対応していた。いじめによる若者の自殺が社会問題になった時期には司会につボイノリオを加え、放送時間の1時間全てを討論会にしたりと、硬軟両方を兼ね備えた番組作りだった。その他のレギュラー陣には、前期は全国区で活躍する女性タレントや東海3県では馴染みの深いローカルタレントを多く起用していた。しかし、後期に入ると雨上がり決死隊やペナルティ、海原やすよ・ともこやDonDokoDonといった吉本興業所属のお笑い芸人たちを多く起用するようになり、次第に番組は吉本色・関西色が強くなっていった。『小堀勝啓の時代塾』と『SHINSEN通信』を統合する形でスタートした番組であるため、放送開始当初は月曜から金曜まで全て小堀と平野裕加里が司会を担当していた。それから半年後の1990年10月に河野夏紀(当時CBCアナウンサー)と伊藤智恵理がアシスタントに加わり、彼女たちを曜日ごとに交替出演させる方式へ移行。さらに平野が中継コーナー担当に移ってからは、様々なタレントたちをアシスタントに迎え、曜日ごとに交替出演させる方式へと移行した。ごく稀に、アシスタントがロケコーナーを担当することもあった。以下は、番組の序盤に行われていたレギュラーロケコーナーの担当者である。出演期間途中に担当曜日が変わる者も多かった。以下は、番組の中盤ないしは終盤に行われていた特集コーナー(単発ロケコーナー)の担当者である。以下は、番組の中盤ないしは終盤に行われていた中継コーナーの担当者である。以下は、エンディング前のパートで毎回行われていた気象情報コーナーの担当者である。初代担当者の今泉圭子と最終担当者の多森成子を除き、全て一般からの応募者の中から選ばれていた。また、番組内でもお天気お姉さん募集の告知が行われていた。多森の前任者がいわゆるできちゃった結婚で突然番組を引退することになり、再度一般からの応募者を募る余裕が無かったため、急遽プロのナレーターの卵である多森に決まったという。エンディングテーマに関してはいくつかの例のみを挙げている。頻繁に変更されており、記載した以外にも多数ある。最終回のラストのパートでは、まず井上陽水奥田民生の曲「ありがとう」に乗せながら視聴者から寄せられたレギュラー陣の似顔絵を20枚あまり映した。そして、小堀とレギュラー陣が待機するスタジオの映像に切り替えられた後、彼らが一言ずつコメントを述べた。その後、小堀がレギュラー陣に「ラジオデイズ(ミックスパイの終了後にスタートすることが決まっていた同局のラジオ番組)に参加する人!」と問いかけ、挙手することを促した。小堀が視聴者への最後の挨拶をした後、画面に提供スーパーが表示される中でレギュラー陣が小堀を胴上げしながら番組は終了した。
出典:wikipedia
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