樺太鉄道局(からふとてつどうきょく)は、1943年4月1日に樺太の内地編入に伴い、樺太庁から鉄道部門(樺太庁鉄道)が鉄道省(国鉄)に移管されて発足した組織である。局所在地は豊原市(現在のユジノサハリンスク)であった。終戦時の鉄道局長は1945年8月28日の札幌鉄道局への電話連絡が原因でソ連軍に逮捕され、抑留中に死亡している。鉄道職員の中には、1956年の日ソ共同宣言まで、ソ連に抑留されていた者が多数いた。樺太庁鉄道の客車は、初期には北海道炭礦鉄道引継ぎの小型ボギー車が鉄道省から移管された。そのため最初期から自動連結器が使用されたが、連結器の高さは低いまま使用され、これが標準となった。また空気制動機を装備したものもあったが、入線時に真空式制動機に改められた。等級は三等級制であった内地の鉄道と異なり、特等・並等の二等級制であった。"北海道炭礦鉄道の客車も参照のこと。"樺太庁鉄道が発注したものであるが、落成時には鉄道省に編入されており、2652以外は樺太には送られず内地で樺太庁鉄道の番号のまま使用された。1949年、正式に日本国有鉄道に車籍編入され、スハ32形 (869 - 873) となった。ただ1両樺太に渡った2652はソ連に接収された後も引き続き使用され、サハリンの外国人解放後も職用車として残っていた。
出典:wikipedia
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