桂 文都(かつら ぶんと)は、上方落語の名跡。当代は7代目であり、月亭文都(つきてい ぶんと)を名乗る。東京では、4代目襲名以降と推測されるが、1928年3月に9代目土橋亭里う馬が桂文都を名乗ったと記録にある(上方の文都との関係は不明)。なお近年、文都を名乗る者として7代目立川談志一門(落語立川流家元)の立川文都(1998年真打昇進と共に襲名 - 2009年死去、大阪府大阪市出身)がおり、6代目文都を自称していた(9代目里う馬の名乗った文都を5代目としていることから。ちなみに6代目文都の兄弟子には10代目里う馬がいる)。2013年3月19日に月亭八方門下の月亭八天が7代目「月亭文都」を襲名した。初代 桂文都(生没年不詳)は、本名、享年とも不詳。月亭文都が2代目として名乗っている事から初代がいるはずだが、その存在自体が確認されておらず、詳細については不明である。文都の師匠・桂文東を初代として勘定しているのかもしれない。ただし文東の名は数代確認されている。2代目 桂文都 (1843年 - 1900年4月25日)は、本名: 岡田龜吉。享年57。初代桂文枝の門下で2代目文都を名乗る。同門の初代桂文三(後の2代目桂文枝、桂文左衛門)と文枝襲名を争い敗れたため、2代目月亭文都に改名。3代目 桂文都(幕末期 - 1918年12月19日)は、本名: 梅川五兵衛(五平とも)。享年不詳。2代目の弟弟子である3代目桂文吾や初代桂文團治の門下を渡り歩く。『立ち切れ線香』や『三枚起請』を得意とし、名人として称えられたが、晩年に発狂。4代目 桂文都(明治中期 - 1945年5月25日)は、本名: 梅川正三郎。生年不詳。3代目文都の実子で、大正初期に父の門下となる。都司男の名で反対派に所属、1916年?に2代目玉輔と改名。この頃、父の属していた三友派に移籍し、若手の勉強会「つぼみ会」等に出演していた。1922年に大八会に移籍。この頃から上方落語が凋落期に入り、動向が分からなくなるが、昭和初期に大阪を離れて各地を廻っていた頃、4代目文都を襲名した模様である。後に東京で活動。『落語系圖』には「文鈐」(「文鈴」の誤植か?)の名で記されているが、その襲名順は不明。父と同じく大酒飲みとして知られた。SPレコードに『動物園』を玉輔時代に吹き込んだものが残されている。その他にも『味噌蔵』や、父親譲りの『子別れ』『立ち切れ線香』も高座に掛けていた。桂文都‐後の9代目 土橋亭里う馬(1892年3月3日~1968年12月5日)8代目 桂文治門下にいた時に「桂文兎」から「桂文都」に改名。上方の「桂文都」とのつながりは不明であり正式に5代目として襲名していないが、6代目以降はこれを5代目として数えている。6代目 立川文都(1960年1月31日 - 2009年10月29日)は、本名: 国府秀剛。大阪府出身。江戸落語家7代目立川談志門下で落語立川流所属。前名は「立川関西」→「立川談坊」を名乗る。江戸落語の立川流の中では、弟弟子の立川雲水と共に関西弁で落語を演じた珍しい存在であった。7代目 月亭文都(1960年9月12日 - )は、本名: 宮田健司。大阪府出身で月亭八方門下。上方落語協会所属。前名は「月亭八天」を名乗る。
出典:wikipedia
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