宮地佑紀生の聞いてみや〜ち(みやちゆきおのきいてみや〜ち)は、かつて東海ラジオ放送で放送されていた午後のラジオ番組。1997年3月、18年半にわたって放送された午後のワイド番組の「ぶっつけワイド」が終了し、それに伴う改編で「かにタク言ったもん勝ち」に続く、夕方のワイド番組としてスタート。パーソナリティーは、宮地佑紀生と、「ぶっつけワイド」のパーソナリティーであった神野三枝を起用。後述の打ち切りまで、パートナーの変遷は無かった。その後、1998年8月からは、「かにタク」が午前中の枠に異動したことに伴い、実質的な「ぶっつけワイド」の後番組となり、1999年4月改編での放送時間の短縮を経て、平日13時から16時の午後ワイド枠として、放送開始から19年2か月にわたり放送された。特に愛・地球博が開催されたころには、よく雑誌の名古屋特集等の企画で宮地の取材を受けた際、この番組にも取材が来た。他にも関西テレビ放送が名古屋の企画特集を組んだ際、有名なラジオ番組として、テレビカメラ等の取材スタッフが来たこともあるなど、名古屋を代表するラジオ番組となっていた。2000年から開始された中京地区ラジオ聴取率調査では常に平日午後の同時間帯首位をキープし、さらに全局全番組首位も何度も獲得している人気番組であった。2005年冬の調査では数年ぶりに全局全番組1位をCBCラジオの「つボイノリオの聞けば聞くほど」から奪い返した。しかし、2015年6月以降は裏番組であるCBCラジオ「北野誠のズバリ」が単独首位を維持することが多くなった。2016年春の改編で、平日週5日から週4日(月 - 木)となり、打ち切りまでの放送内容は、ほぼ全編で毎日日替わりで出されるテーマについて、聴取者からエピソードや意見などを募集し、2人がそれを番組内で紹介しつつ繰り広げるフリートークであった。2002年(平成14年)には、日本民間放送連盟賞・ラジオ生ワイド部門・優秀賞を受賞した(「(2人の)トークがすでに話芸の域に達している」などの評価を受けた)。しかし、放送20年目に突入した2016年6月27日の放送中に宮地が神野を暴行したとして警察に逮捕されたことに伴い、東海ラジオは同番組を6月限りで打ち切り、19年3ヶ月で番組は終了した。「みや〜ち」放送内では、宮地は神野を「神野さん」、神野は宮地を「先輩」と呼んでいた。しかし、宮地のトークが暴走した際には「ゆきちゃん」と呼んでたしなめることがあった。宮地・神野の一方がとるのではなく、宮地・神野と2人そろって休暇をとるのが掟であった(1週間程度を年に2回)。なおその際、「ピンチヒッターウィーク」として、東海ラジオのアナウンサー(タレントを起用することもある)が、男女1名ずつ日替わりで登場している。これは番組開始以来続いていたことでもあった。休暇復帰後の1週間の番組内では、小出しにして2人の休暇中の話を紹介することが主であった(休暇期間中の2人は主に旅行に行くため、その話題が中心を占めていた)。そうしたこともあり、めったなことがない限り片方が休むことはなかった。以下は、ピンチヒッターの出演者。2011年10月13日から14日まで宮地が盲腸のため休養。原光隆が代理を務めた。かつてはピンチヒッター登場時の番組名を「聞いてみや〜て」としていた。また、松原敬生が代役の時「松原敬生の聞いてマッタカ」、天野良春・タクマのアマタクコンビが代役の時「天タクききいっぱつ」というタイトルで放送したこともある。その際ジングルも普段とは別のものを用意したが、コーナーは通常通りに行った。2016年6月27日 14時55分頃、宮地が放送中に神野の左膝を蹴った上に、マイクで唇を殴り、全治10日間の怪我を負わせた。事件が発生したのは、リスナーからのメッセージを紹介していた時間で、神野が、メッセージを紹介している最中に「痛い痛い。何? 何ですか?」と言った上で、「プレゼントを頂いた方のご紹介じゃないんですか?」と問い掛けると、宮地は「だから、(プレゼントを)頂いた人のやつ、頂きゃええがね」と受け答えをし、その後、神野に対し、宮地がマイクをぶつける音が放送された。結局、その日は16時まで放送されたが、その後、神野は警察署へ出向き、被害届を提出した。事件発生翌日の6月28日からは宮地と神野は出演せず、『聞いてみや〜ち』として、安蒜豊三、青山紀子(6月28日)、前野沙織(6月29日)(いずれも、東海ラジオ アナウンサー)がパーソナリティを務めたが、6月30日に、宮地が愛知県警千種警察署に逮捕されたことを受け、東海ラジオは同日、番組の打ち切りを決定。6月29日で番組終了した。また、同年4月から毎週土曜13時00分 - 13時30分に放送されていた『ショップジャパン プレゼンツ 宮地佑紀生・河原龍夫・神野三枝 もっと ためして みや〜ち』や二人が出演するスポットCMも同様に打ち切られた。なお、6月30日の放送は新聞各紙の番組表では『聞いてみや〜ち』と掲載していたが、特に番組名は付けずに放送した。オープニングでは、この日のパーソナリティを務める安蒜から、宮地が逮捕された旨の説明と番組の打ち切りに対する謝罪が行われた。また、各コーナーについては「○○みや〜ち」と付く物は提供スポンサー名とコーナー趣旨の読み上げで、付かない物はこれまで通りの進行で放送した。7月1日には千種署が、東海ラジオのスタジオで現場検証を行い、番組スタッフからも事情聴取を行った。担当者は警察に対して「どこが気に入らなかったのかは分からない。何らかの行き違いがあった」としている。事件当日の放送を聴取していた女性リスナーは「途中、『痛い痛い』という声や『ガタガタ』と物音が聞こえたことがあった。その前後、普段のオンエアに比べ、間合いや会話がかみ合っていないことがあり、違和感はあった」と話している。また、宮地自身が警察の聴取に対して「番組の進行に不満があった」と話していた。宮地と神野は10年以上前(2006年 以前)から、番組の生放送中に宮地が取った態度で、神野とトラブルになっていたとのことである。7月1日夕方の時点で、東海ラジオにはおよそ170件の問い合わせが寄せられた。ラジオの生放送中、パーソナリティがパートナーを暴行するという前代未聞の事件は全国のニュースで大々的に報じられ、競合局のCBCラジオは元より、日本全国のラジオ局のワイド番組、テレビのワイドショーでも取り上げられた。宮地は7月1日に送検後、釈放されたが以降、釈明・謝罪の記者会見は行っていない。神野も事件発生以降、ラジオ番組に一切、出演していない状態である。6月30日の番組打ち切り後、東海ラジオは7月下旬まで、レギュラーの月 - 木曜 13:00 - 16:00の昼ワイド枠の扱いは以下の通り、日替わりで、暫定的な番組を放送し続けていた。2016年6月30日 - 7月7日までは「特別番組」と称して、放送。以下のパーソナリティが担当することとなった。扱う投稿テーマが打ち切り前から既に設定されていたため、それに基づいた投稿を募集しつつ進行した。(☆は東海ラジオ アナウンサー)2016年7月11日 - 7月28日まで、かつての平日帯 昼ワイド番組であった『ぶっつけワイド』が「期間限定」の名目で復活した。パーソナリティはかつて同番組を担当していた松原敬生(期間中、全日出演)、蟹江篤子(7月21日を除く期間中、月、水、木出演)、佐田玲子(期間中、毎週火曜、7月21日に出演)が担当することとなった。2016年7月20日、東海ラジオより『聞いてみや〜ち』の後継番組として、平日帯 昼ワイド番組『FINE DAYS!』の放送を、8月1日より開始することが発表された。本番組は月曜 - 金曜まで、各曜日パーソナリティとアシスタントによって進行されることとなり、同年4月改編より金曜に放送している『きくち教児の楽気!DAY』についても、同枠内に組み込まれた。打ち切り時点でのタイムテーブルである。音楽をかけるコーナーが無い代わりに、二人のトークが番組の大半を占めていた。なお、掲載されている各コーナーの放送時間は番組の進行等により若干の変更がある。また、カッコ内はそのコーナーのスポンサー。この番組の公開生放送が、基本的に年2回、最低1回を目安として行われる。その1回というのが、毎年4月に国営木曽三川公園内で特設ステージを組んで行われる(この時期に同公園内では、チューリップ祭りを開催されている。そのため公開生放送はその祭りのイベントの一環として扱われる)。また番組内で行われた公開放送でリスナーが撮影した写真を募集し、パーソナリティー・スタッフが選び抜いた中から大賞を決定する、みや〜ちフォトコンテストを開催する。なお受賞作品は公式サイトでも閲覧できる。なお公開生放送が行われる際は、普段の番組の進行と変わるほか、宮地・神野の二人が放送するのも14時45分ぐらいまでとなる(公開生放送終了後も話によると、ステージ上では2人の放送では聞けない話を聞くこともできるとか)。なおその後は、本社スタジオから男女2名のアナウンサーコンビが担当する(番組上でのジングルも、『宮地佑紀生』の部分を、そのときのスタジオ担当者の名字に差し替えたバージョンを流す)。東海ラジオゴールデンウィークフェスタ(旧・名古屋わんぱく祭)が開催されていた頃は、もちろん当番組も他の番組と同じく、会場内から公開生放送を行っていた。2000年代後半からは体育の日に愛知県犬山市から公開生放送が行われている。毎年交互に明治村とリトルワールドで会場を変えることが慣例となっていた。放送体制は4月の木曽三川公園センターでの公開生放送と同じである。2011年3月11日は番組放送中の14時46分に東日本大震災が発生。急遽以降のレギュラーコーナーをほとんど中止し(ドラゴンズ情報とラジオショッピングは通常通り。CMも通常通り流れた)、直後の番組(「安蒜豊三 夕焼けナビ」)を担当する安蒜豊三もスタジオに入り、3人で地震関連情報を伝えた。番組中にも余震が度々発生し、宮地は「今まで生きてきてこんなに揺れを感じたのは初めて。『落ち着かなければ』と自分に言い聞かせつつも、正直少し動揺している」とコメントした。なお、レギュラーコーナーの代替として東京支社からの電話レポート、偶然観光で浅草付近にいた川島葵(当時:東海ラジオアナウンサー)からの現地レポートを放送した。3月14日から4月1日まではテーマメッセージに加え地震に関するメッセージを募集した。また、「てれるぜみや〜ち」「ダジャレでみや〜ち」の内容をリスナーのメッセージ紹介に変更した(提供枠は変更無し)他、時報前の「おめでとうのコーナー」を「お誕生日のコーナー」と名称を変更して放送した。14日には15時52分に緊急地震速報が発令されたため放送が一時中断。しかし、実際は東海地方で強い揺れを感じることはなく、56分から通常通り交通情報、また簡単にエンディングを届けた。3月15日分のテーマは「うるさい」だったが「そこまで」(本来は17日分のテーマ)に差し替えてメッセージを募集した。
出典:wikipedia
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