前田 利興(まえだ としおき)は、越中富山藩の第3代藩主。延宝6年(1678年)5月27日、第2代藩主・前田正甫の次男として富山で生まれる。宝永3年(1706年)に父が死去したため、家督を継承して第3代藩主となる。藩主となってから財政再建を主とした藩政改革に着手し、60名の藩士のリストラ、年貢連帯責任制の強化、奢侈禁止令の実施、タバコ・醤油などの流通統制などを行なったが、正徳3年(1713年)の増上寺の手伝い普請をはじめ、正徳4年(1714年)の富山城本丸の焼失、享保8年(1723年)の富山城石垣普請などの出費で1万7000石の借財を作るなどしたことから、効果は無かった。享保9年(1724年)に、土蔵に籠居するなどの行動をとったため藩内が動揺し、隠居の上で家督を実弟で養子の利隆に譲ることとなった。享保18年(1733年)5月19日に死去した。享年56。富山の名産として知られる鱒寿司は、利興が家臣の吉村新八から献上されたものを、第8代将軍・徳川吉宗に献上したのが起源であると伝承されている。また、利興は将棋を愛好したようであり、『将棊図彙考鑑』に初段として掲載されている。
出典:wikipedia
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