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柳生一族の陰謀

『柳生一族の陰謀』(やぎゅういちぞくのいんぼう、"Shogun's Samurai" )は、1978年の日本映画。主演 : 萬屋錦之介・千葉真一。監督 : 深作欣二。製作 : 東映。カラー・ワイド・シネマスコープ。上映時間 : 130分。第2回日本アカデミー賞では萬屋が優秀主演男優賞、千葉が優秀助演男優賞、野上龍雄・松田寛夫・深作が優秀脚本賞を受賞した。映画・演劇・テレビ界の豪華スター陣を結集したオールスターキャスト作品で、東映が威信を賭けて時代劇復興を目指して12年ぶりに製作した巨篇。徳川幕府で発生した兄弟による三代将軍位争奪戦を基に、実在した歴史上の人物と史実をフィクションで織り交ぜ、“権力”に生きる柳生一族の存続を賭けた壮大なドラマは30億円の興行収入を上げ大ヒットした。製作総原価(製作費+P&A費)が9億7000万円、配給収入では16億2100〜5000万円で同年の邦画配給収入3位になった。同年に連続テレビドラマ化され、小説・漫画など#派生作品も発表。2008年には30年ぶりに2時間のスペシャルドラマ、2012年には演劇でリメイクされた。元和九年五月十一日、二代将軍徳川秀忠が江戸城大奥で突然死去した。発病後わずか二時間という文字どおりの急死で、不自然な異変の匂いを嗅ぐ者もいたが、大奥御典医は食あたりによる中毒死として発表。盛大な葬儀が執り行われるなか、本来なら三代将軍は長男の家光が継ぐべきはずだが、不幸な容貌とどもりという性癖であることから秀忠に疎まれて、対照的に次男の駿河大納言忠長は幼少より資質英明で家中の期待を集めていた。未亡人の崇源院於江与も次期将軍には忠長を切望し、これを支持するのが尾張・紀伊・水戸の御三家と土井大炊頭ら老臣一派であった。これに対し若手老中の松平伊豆守信綱と家光の乳母で大奥に威勢を張る春日局の一派は、あくまでも家光を推してゆずらずにいた。大坂夏の陣以来十余年の安定に馴れた天下は、再び動乱の兆を見せ始めていた。葬儀後の雷雨が吹き荒れる深夜、秀忠の眠る霊廟に忍び込み、遺体から胃袋を取り出す忍者たち。秀忠の死を不審に思う大炊頭配下の渡辺半蔵らであった。事を終え、その場から立ち去ろうとすると、その行く手を三人の侍に塞がれ、胃袋を奪われてしまう。柳生但馬守宗矩の子息である左門友矩、又十郎宗冬、茜であった。柳生屋敷に戻った彼らから胃袋を受け取った宗矩はこれを解剖し、秀忠が毒殺されていたことを突き止める。宗矩は伊豆守と春日局の仕業と考え、これから先に起こる不測の事態に備え、武者修行で全国を旅する長男の十兵衛三厳を呼び戻すよう茜に命じ、根来衆にも加勢を依頼する密書を送る。翌朝登城した宗矩は伊豆守と春日局を問い詰め、「秀忠が嫡男家光を廃嫡とし、忠長を将軍に据えようとしたので、家光を守るため先手を打って毒殺した」と聞き出す。将軍は長男の世襲にするのが筋目と二人は考えていた。剣法指南役として家光に剣の教授をしていた宗矩は、彼らの悲壮なまでの決意と家光への思いからこの陰謀に加わる。死の真相を打ち明けられた家光は、廃嫡の言葉と側近による父の殺害に動揺して将軍位には就けないと拒むが、宗矩は将軍の権威と宿命を説き、善悪を超越した不退転の決意を促す。この説得に家光も変心し、父の意に反して将軍になる覚悟を決め、宗矩らと一蓮托生となる。一方、忠長は大炊頭の具申により、秀忠の遺体を検めるべきだと家光に詰め寄る。家光は「嫡男として取るに足らない噂で、御遺体を検めるのはもってのほか」と認めない。忠長は家光の頑な態度から、秀忠謀殺を確信し両者の対立は決定的となった。忠長は大炊頭と共に家光と対決することを決め、於江与と共に自分が治める駿府藩へ帰国。十兵衛は親友の根来左源太と根来衆三十余名人を引き連れ、江戸へ戻る。宗矩は家光が根来衆の事成就の暁には根来の里復帰の件、叶うべしと約束されたことを伝えると根来衆は歓喜に溢れかえる。十兵衛は根来衆と十余年を共に過ごし、根来の里が自分の故郷であり、根来忍法を会得していたので、彼にとっても喜ばしいことであった。忠長のために自由の身となって尽くすべく大炊頭は病気保養という名目で老中職を退き、新陰流の達人である小笠原玄信斎を雇い、家光と柳生抹殺を命じる。宗矩は茜と根来衆を忠長のいる駿府城下にもぐらせ、大炊頭の近辺を見張らせるのだった。一方、家光側では対抗策として伊豆守を筆頭老中に、宗矩を大目付に据えて陣営の強化をはかった。伊豆守は十兵衛と左門を護衛につけて京へ上り、将軍宣下を朝廷へ促すが、密かに徳川幕府権威失墜を狙う九条関白道房・三条大納言実条・烏丸少将文麿ら倒幕一派があれやこれやと理由をつけ、のらりくらりと遅らせていた。三人の公卿は兄弟の不仲を利用して対立を煽り、どちらの陣営にもつかず離れずの関係を装い、混乱に乗じて王政復古を目論んでいたのである。左門は駿府で茜と根来衆に合流し、伊達家や前田家などの外様大名を味方に引き込もうと出発したばかりの大炊頭一行を襲う。しかしその行列にいた宮中一の切れ者で剣の達人でもある烏丸少将が行く手を遮り、左門は斬殺されてしまう。江戸へ戻っていた十兵衛は茜ひとりに担わせるのはあぶないと察し、家光の警護を宗矩と又十郎に任せて、茜と根来衆の救援へ行くことを決意。玄信斎は柳生屋敷に忍びこみ、左門の遺髪を持ち独りでいた宗矩と対決しようとするが、代わりに十兵衛と剣を交え、相打ちで互いに傷を負う。玄信斎は左腕に重傷を負い、戦えなくなったので義理の息子である雪之丞を使い、家光暗殺を企む。雪之丞は侍女に化け、江戸城西の丸大奥へ侵入し家光を襲うが、根来衆のマンが阻み、宗矩は雪之丞を討ち取る。一方の十兵衛は左目を失明しながらも茜と根来衆に合流し、加賀の前田を味方に引き入れようと身延道を進軍する大炊頭一行を襲う。大炊頭を討ち取るが、茜の刺し違えによるもので、左源太や数多くの根来衆が戦死した上による犠牲を払ったものであった。宗矩は朝廷を揺さぶることがこの戦いに勝利すると見定め、十兵衛に烏丸少将の抹殺を命じる。徳川幕府体制に不満を抱く西国大名へ勅命を抱き、山陽道へ下向する烏丸少将を十兵衛は待ち伏せる。一対一の決闘で討ち取り、左門の仇討ちも果たした。その死に戦慄した朝廷は直ちに三条大納言を江戸に下らせ弁明と慰撫に努めるが、宗矩は逆手に取り家光の上洛を取り付けてしまう。忠長は重臣と策を練り、家光より先に京へ向かい、朝廷の前で家光と決着を図ろうとする。しかし家光の行列が駿府城下の浪人軍に襲われ、実条が殺された。この襲撃は忠長の仕業と見せかける宗矩の卑劣な罠で、又十郎と根来衆を暗躍させ、浪人軍はそれに踊らされて起きた事件だった。家光は「公家を斬殺した忠長との一戦も辞さず」と諸大名に檄をとばす。駿府城に立てこもり籠城する忠長に支援者でもある尾張大納言義直が密かに会いに来た。濡れ衣と訴える忠長に義直は前田や伊達なども忠長支持から離れたので、事の真偽を明らかにするよう自分が調べるから、まずは開城するよう強く諭す。義直に従い開城した忠長だが、宗矩の動きは素早く上州高崎へ配流して罪人としての印象を世間に植え付けた。この間に浪人軍に加わっていた名護屋山三郎が、家光襲撃は忠長を陥れる罠であったと義直に訴える。義直はこれに怒り宗矩を問いただすものの強く否定される。この間に家光は忠長を切腹させるよう指示し、その使者を宗矩が行い、見届けた。そこへ玄信斎が現れ、再び対決を挑まれる。一対一の決闘で宗矩が玄信斎を倒した。義直が御三家の面目にかけて調べると下知していたので宗矩は又十郎に命じ、朝廷一行を襲ったからくりを知る根来衆を容赦なく殲滅した。一方、十兵衛は家光側の勝利後、宮仕えを拒み、武者修行と称して全国を旅していたが、生き残った根来衆から又十郎たちに襲われた顛末を泣きながら訴えられる。根来衆と家族同様に接してきた十兵衛にとって、宗矩がやらせた行為は許せぬものだった。怒りと復讐の念に燃える十兵衛は単身で江戸城へ向かい、三代将軍に就任したばかりの家光が家来と離れ、独りでいる間へ潜入。その後、城内の道場へ向かい、宗矩と会う。十兵衛は「こんなもののために左門や茜、根来衆は死なねばならなかったのか!?」とその所業を詰問。そして「おれもあなたの、いや父上の、大事なものをぶち壊した!」と言い放つやいなや編笠に隠していた家光の首を放り投げる。「おのれー!」と怒り心頭に発した宗矩は、十兵衛を叩き斬ろうと刀を掴む。が、いち早く十兵衛は宗矩の右手首を一刀両断。何事もなかったかのように去っていく十兵衛。宗矩はまだ信じられず、錯乱しながら家光の首に「三代将軍様〜」と声をかけ続ける。ほどなく家光を探しに来た伊豆守や春日局ら家臣らは、残った左手で御首を抱きかかえる宗矩をみて、驚愕し泣き叫びだす。ふらふらと歩き出した宗矩は「お騒がせあるな。こんなことがあってなるものか。これは夢でござる。かかる悪夢に惑わされてはならん。今日こんにち、この日、只今、徳川の天下てんがは大盤石の重きについた。斯様なことがあり得ようはずがない。これは夢だ、夢だ、夢だ〜、夢でござ〜る!」と叫び、一同を静まらせようとしていた。それは悪夢だったのだろうか?宗矩の言葉通り、徳川の天下は以後三百年の安泰を誇り、数々の歴史にも家光の首が落ちたという記録はない。しかしこうした支配者への反逆は、もともと歴史には記録されないのが多いのである。事実、これに似た悪夢はその後もしばしば現れて、支配者たちの心胆を寒からしめたのであった。第2回日本アカデミー賞東映京都撮影所で久しぶりに時代劇を復活させたいと目論んでいた高岩淡は、『浪人街』の製作に頓挫。別の時代劇を検討している矢先、千葉真一は「時代劇をやりたい」と柳生十兵衛三厳を演じ、本作のベースとなる企画『裏柳生』を、深作欣二へ提出していた。深作はこれまで手掛けていない時代劇を撮りたいと希望し、日下部五朗と共に新しい時代劇映画を模索していた。そんな折、1960年代半ばに時代劇製作を中止させた岡田茂が、高岩・日下部・深作に「久々に時代劇をやろう。ヤクザ映画も行き詰ったしな。山本薩夫の『忍びの者』みたいな忍者映画を考えたらどうや?」と話す。3人は渡りに舟と喜んで飛びつき、松平乗道を加えて企画会議が開かれた。彼らは岡田の言う忍者映画を今更やるのはおもしろくないと考え、日下部から時代劇で『仁義なき戦い』のような陰謀と裏切りが錯綜する抗争を繰り広げる、松平からは徳川三代将軍の兄弟争いとそれぞれ提案された。家光を将軍にするために暗躍する柳生但馬守宗矩を悪の主人公に、父の下で働きながらその非情さに怒って最後には裏切る十兵衛を善の主人公にしながら、その頃の有名人が入り乱れる構成にしようと決定。ラストをどうするかで紛糾したが、日下部は「悪い奴には死んでもらうしかない」、「父に怒った十兵衛が、将軍となった家光の首を飛ばす」とアイデアを出した。こうして前代未聞の大どんでん返しの結末が出来上がり、本作の骨格が固まる。『ゴッドファーザー』の「マフィアが言うことを聞かない相手の愛馬の首を斬り、彼が起床するとベッドにその首が血まみれで包まれてる」というシーンが日下部は大好きで、『日本の首領』で既に採用していたが、物足りなく思っていた。「(宗矩にとって)最も大切なもの(家光)の首が飛ぶからおもしろい」と日下部は考え、深作にも「これくらいのことをやらないと今の客は驚かないぞ」と言い、「あれだけ魑魅魍魎が出てくると、それぐらいのエンディングでないと収まりがつかない」と深作も述べている。脚本の第一稿を岡田から深作は承認され、映画のタイトルは『柳生一族の陰謀』と岡田が命名した。柳生十兵衛三厳を千葉真一に配役することは早々に決まったが、千葉にとって十兵衛は十八番の一つになり、同作の#連続ドラマやテレビドラマ『柳生あばれ旅シリーズ』、映画『魔界転生』、演劇『柳生十兵衛 魔界転生』と演じていく。深作欣二はリアリティを追求した作品を撮ろうとし、新感覚の時代劇とするため、千葉・金子信雄・高橋悦史・芦田伸介・西郷輝彦ら、現代劇を中心に活躍する俳優が多く選ばれた。もう一人の主人公である柳生但馬守宗矩は「時代劇を復活させるためにも、(東映時代劇)黄金期のスターである萬屋錦之介にしたい」と日下部五朗は望んでいた。高岩淡も久々の時代劇であることから萬屋の出演を切望。岡田茂も後援会がしっかりしている萬屋を起用するよう、深作欣二へ命じていた。萬屋はこの頃テレビ時代劇を中心に活動していたが、日下部は萬屋と面識がなかったので、萬屋の『一心太助』から付き合いのある高岩が交渉。東映時代に絶対的なヒーローばかり演じてきた萬屋が、ダーティーな役を引き受けてくれるか不安だった日下部は、断られた時の代役に仲代達矢、仲代がダメなら鶴田浩二を想定していた。しかし萬屋は東映を離れてから他の重役が冷たかったのに対し、高岩の以前と変わらず暖かく接してきた態度に感謝し、高岩のオファーなら喜んで受けると快諾。12年ぶりに戻ってきた。萬屋が宗矩を演じるのは1971年の大河ドラマ『春の坂道』に続く二度目で、1982年のテレビドラマ『柳生新陰流』でも演じた。萬屋錦之介と千葉真一が上記主演した作品以外でも、彼らは宗矩と十兵衛で出演している( ⇒ #関連項目)。かつて「時代劇の東映」と云われた、黄金期の東映京都撮影所さながらに豪華なセットがしつらわれて、衣裳なども取って置きの物が用意された。膨大な製作費の捻出のため東映太秦映画村との共同で製作された。京都の時代劇を残していきたい、復興させたいという活動屋たちの情熱の全てが、この作品に注がれていた。殺陣を担当する東映剣会は12年ぶりの時代劇ということもあり、上野隆三・三好郁夫・土井淳之祐・菅原俊夫で場面場面の殺陣を競い合うことを提案。深作欣二も賛成したが予算の兼ね合いで、菅原が柳生十兵衛の殺陣を、上野が大掛かりな乱闘シーンを担当することになった。千葉真一と空手映画から付き合いが深かった菅原は千葉の身体能力を活かしながらも、政治抗争劇の主軸から外れぬ範囲の殺陣を基本とした。十兵衛はオリンピック選手を超越したような忍者の動きや戦いをするものの、剣の鋭さをあくまでも主とし、これらはワイヤーアクションやトランポリンを使って作り上げていく。千葉は本作で20mの崖から川へ飛び込むスタントをしているが、アクション監督として参画した1989年の映画『将軍家光の乱心 激突』ではこのスタントをアレンジして再現している。一方の上野は『仁義なき戦い』以来続いてきた深作とのコンビで、集団の戦闘である戦(いくさ)を激しい絵で仕上げていった。脚本に面白みを感じて出演した萬屋錦之介はいっそう気合の入った演技をしたが、入念に演出する深作欣二は「萬屋がひとりで廊下を歩くだけのシーン」を7回リテイクし萬屋と衝突。歌舞伎さながらの時代がかかった萬屋の台詞回しは、松平伊豆守の高橋悦史が肩の力を抜く現代的なセリフ回しと対照的に、萬屋の作り込み具合は浮いていた。録音技師の満口正義が深作に「これでいいんですか?」と耳打ちをし、「もっと現代劇に近づけるやり方はないでしょうか」と萬屋に伝えたが、「他の方は知りませんが、私はこれでやらせていただきます」と返答される。日下部五朗に「萬屋を降ろしたい」と相談するが、「これまで巨匠と云われた田坂具隆・内田吐夢・伊藤大輔が萬屋を使いこなしてきた。現在の巨匠である深作欣二にもできる」と説得されていた。これ以降深作は萬屋の演技を言及することはなく、どう活かすか切り換えていく。しかし萬屋の演技はラストの「夢でござ〜る!」への逆算で、このシーンだけ歌舞伎さながらの台詞は観客の心を動かさないと考えての布石だった。その狂気の熱演に深作も「OK!」と叫び、返す刀で日下部に謝意を示していた。この台詞は当時流行語になったが、2007年現在では萬屋の台詞回しはさほど違和感を感じない。サミュエル・L・ジャクソンは2012年『アベンジャーズ』で扮した片目にアイパッチの役柄について、「キャラクターの名前は忘れてしまったんだけれど、ソニー千葉(千葉真一)が昔演じたアイパッチのサムライは少し参考にしたね。彼は親しい友人だし、タフガイを演じる時にはいつも彼の演技を参考にさせてもらっているんだ。カリスマ的な存在感のある、最高にクールな俳優だと思うよ」、「千葉の柳生十兵衛を意識したのだろうか?」には「言われるまで気が付かなかったよ。でも演じる上で、無意識にイメージが働いていたのかもね。チバさんとは彼の娘さんともども家族ぐるみの付き合いをしていて、ロスに来るたび一緒に食事するほどの仲良しなんだ!」、などと答えている。プロ野球選手・プロ野球監督だった秋山幸二は「あなたにとってサムライとは?」という問いに「千葉真一の柳生十兵衛だな。生きるか死ぬか究極の真剣勝負というイメージがいいな」と話した。深作欣二が初めて手掛けた時代劇で、本作の成功により深作は大作映画の監督を次々任されて、ヤクザ映画の監督のイメージを薄め、巨匠としての道を歩むことになった。アン・ホイは大きな影響を受けた映画に『ワイルドバンチ』、『七人の侍』とともに本作を挙げている。深作健太は「僕が初めて太秦の東映京都撮影所に行ったのは5歳ぐらいのときで、柳生十兵衛の格好をした千葉真一さんや大部屋の俳優さんたちにお会いした。撮影所はなんて楽しいところなんだと子ども心に感じ、大人になったらこの世界で仕事をしたいと初めて思った。完成した『柳生一族の陰謀』は初めて観た親父の映画で、撮影所で遊んでくれていた千葉さんや真田広之さんたちがスクリーンの中で輝いていることに感動した。親父にとっても初めての本格的な時代劇映画で、ものすごい意気込みで臨んでいたと思う。今、観ても俳優さんの層が信じられないほど厚い」と振り返っている。時代劇初体験の深作欣二と時代劇大御所の萬屋錦之介がまっこうからぶつかり合い、新しい時代にふさわしい作品が生まれた。大々的なキャンペーンがくりひろげられ、日本公開の初日は銀座で雪が降っていたものの、東映会館を囲む観客の列は三回りに達していた。打ち上げの宴席では萬屋が廊下で岡田茂と抱き合い、泣きながら自分の母へ電話していた。萬屋と岡田はかつて組合闘争で敵味方となり、袂を分かった関係だったが、映画の大成功により二人は恩讐の彼方であった。本作の大ヒットで岡田は深作 = 錦之介コンビの第二弾『赤穂城断絶』の製作を指示した。映画を公開した1978年10月3日から1979年6月26日までの毎週火曜日22:00 - 22:54に全39話が放映され、英語タイトルは『"The Yagyu Conspiracy" 』。映画と同じく主演 : 千葉真一で再び柳生十兵衛三厳に扮し、千葉にとってテレビドラマの時代劇初出演作品となった。制作 : 関西テレビ放送・東映、放映 : FNS。関西テレビの開局20周年記念番組で、当初の予定話数だった全26話の総製作費は8億円。劇場版と同様に深作欣二監督を起用した第1話では3000万円以上の巨費を投じており、関西広域圏では20%前後の視聴率でトップクラスの人気を誇る裏番組『プロポーズ大作戦』を一気に追い抜いて、25.6%の視聴率を稼ぐ人気番組に躍り出た。関西テレビの岩崎義プロデューサーは「関西好みの泥臭いドラマを避けて、東京向きの洗練されたアクションで魅せる」番組を目指していたが、第1話が25.6%だった関西の視聴率に対し関東では15.1%(いずれもニールセン調べ)という、西高東低の人気にも驚く結果となる。志穂美悦子・成田三樹夫・高橋悦史らが同じ役柄で引き続き出演。それ以外のキャスティングは大幅に入れ換え、矢吹二朗・真田広之・萬屋錦之介・梅津栄・金子信雄・丹波哲郎・工藤堅太郎らは異なる役柄で出演した。映画の大筋は第3話で終えるが、に盛り込まれている。登場人物の設定・役割はなどが変更された。第4話以降、出雲阿国・家光・柳生左門友矩・柳生茜・根来衆・烏丸少将文麿らも引き続き登場し、「裏柳生」の十兵衛・根来衆と「表柳生」の父・宗矩、次男・左門、三男・又十郎宗冬、長女・茜らが反幕府勢力を倒していく物語は千葉真一の企画が反映されている。脚本家の一人である山田隆之は十兵衛を深く研究して執筆しており、原則一話完結だが、次に繋がる展開や反幕府勢力の正義も描かれた。初見良昭の武芸考証による柳生一族と根来衆ら集団戦闘を、千葉真一とジャパンアクションクラブ ("JAC" ) がダイナミックかつアクロバティックに演じ、主人公が大勢の敵を斬る勧善懲悪のみの従来時代劇とは一線を画した作品になっており、千葉が演じた第11話「幻の混血美女」で竹をしならせての飛び降りや第27話「美女と野獣」で馬の脇腹に隠れての乗馬は、アクション監督として参画した1989年の映画『将軍家光の乱心 激突』でアレンジして再現されている。オープニングでは十兵衛が裏柳生の生き様を語る『裏柳生口伝』が流れる。2003年のアメリカ映画『キルビル』ではこの口伝が使われている。二代将軍徳川秀忠の死後、息子たち・徳川家光(兄)と徳川忠長(弟)は跡継ぎを巡って血肉の争いをし始める。家光の剣法指南をしていた柳生但馬守宗矩は長男・柳生十兵衛三厳を呼び寄せ、江戸の柳生一族は家光側に加勢。彼らの体を張った奮闘もあり、家光は三代将軍に就任した。その功労者である十兵衛や宗矩らの力を恐れた松平伊豆守信綱は保身のため、あくまでも剣法指南役のみに留めて幕閣へ参政させない。一方、家光・忠長の争いで徳川幕府の分断を図った烏丸少将文麿は、今だ幕府を倒すことをあきらめておらず、暗躍し続ける。烏丸少将以外にも幕府転覆を画策する豊臣の遺臣や、取り潰しされた大名の家臣から反幕府勢力となった浪人衆など次々と現れ、幕府に戦いを挑んできた。伊豆守は閑職に追いやっていた十兵衛や宗矩を再び利用し、反幕府勢力の殲滅を目論む。十兵衛とその配下である裏柳生衆たちは、命ぜられるままに立ちはだかる敵を次々と倒していくが、十兵衛は徐々に幕府のまつりごとに疑問を抱いていた。これはそれまで強い信頼で結ばれていた十兵衛と宗矩の関係にも歪が生じていくこととなり、やがて事件により十兵衛と宗矩は対立するようになる。一人娘の茜はその関係に悩み、板ばさみになるが、同時に茜は十兵衛に恋心が芽生え始めていた。荒木又右衛門の一件以降、十兵衛は柳生家を出て行ってしまう。それでも宗矩は十兵衛の心情を理解し、放任していた。しかし伊豆守が、幕府の闇の仕事を一手に引き受けていた十兵衛を危険人物とみなし、「抹殺しろ」と宗矩に命じたことから、柳生一族の存亡を懸けて十兵衛と宗矩は望まぬ対決に向かっていくこととなる。柳生家根来衆裏柳生徳川幕府京都公家ナレーター2008年9月28日に30年ぶりに2時間のスペシャルドラマとしてリメークされ、ANN『日曜洋画劇場』で放送された(視聴率は11.1%)。『裏YAGYU〜奇説・柳生一族の陰謀〜』のタイトルで2012年4月11日 - 4月15日にで開催された。千葉真一 Presents 裏YAGYU。本作は映画にオマージュを捧げ、世の中にある真実と虚構、表と裏、光と影に焦点を当て、人間の持つ心の強さを描いている。千葉真一 Presents 『新 柳生一族の陰謀』、2013年9月11日 - 9月16日。

出典:wikipedia

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