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春風亭柳枝 (3代目)

3代目春風亭 柳枝(しゅんぷうてい りゅうし、嘉永5年9月23日(1852年11月4日) - 明治33年(1900年)11月14日)は、落語家。本名:鈴木 文吉。俗に当時の住まいと大酒飲みだったことから「蔵前の柳枝」「蔵前の大虎」。一時期妻は4代目都々逸坊扇歌(志沢たけ)。出身は東京、父は幼いころに亡くなっている。1871年5月、柳亭燕枝(後の初代談洲楼燕枝)の門下で燕花、明治5年ころに2代目柳亭燕寿ととなりその後1873年に真打で初代柳亭燕路となり1878年に3代目柳枝の看板を挙げた。長年柳派の頭取を務めたが4代目麗々亭柳橋に譲ったがまもなく柳橋が没したので仕方なくまた頭取戻ったがその直後に自身も死去した。「大変まずかったという話です。」と6代目三遊亭圓生は『寄席育ち』の中で酷評しているが、講談の初代伊藤痴遊は『痴遊随筆』に「話は巧かったが、客受けはしなかった。自分も、身を泌みて、高座を勤めるようなことはせず、楽屋で酒を呑んで、そのまま帰ることもあった。」と記している。人望があり、師の燕枝が晩年弟子を取らなかったので、柳枝が全部引き受け多くの俊才を擁した。日清戦争の時期に、神田の寄席「白梅」で出演者が少なくて困っていたら、泥酔した柳枝が「柳枝が今日はするから、聞いてください。」と申し出、そのまま人情噺の『文七元結』をたっぷりと演じて客を感動させたが、当の柳枝はそのまま高座で寝てしまった。痴遊は「平生は拙いが、今夜はどうして巧かったろう、というのが、聞いた人の皆いう所であった。・・・不思議の一つとして、当分のうちは其噂ばかりであった。」と記している。柳派の統率に力を注いだ。など3代目柳家小さんは弟子ではなかったがよく可愛がり柳亭燕花の名を与えている。

出典:wikipedia

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