笠間 雄二(かさま ゆうじ、1953年3月22日 - )は、石川県金沢市出身の元プロ野球選手(捕手)。金沢高校在学時は甲子園とは無縁に終わり、卒業後は、電電北陸硬式野球部で活躍した。高校、社会人野球の1年先輩に堂上照がいた。1973年11月、太平洋クラブライオンズにドラフト会議で5位指名されるも、入団拒否。翌年には阪急ブレーブスからドラフト3位指名を受けるが、再度入団を拒否した。そして1976年暮れ、読売ジャイアンツのドラフト6位指名を快諾し、プロ入り。巨人では、1年目から36試合に出場し飛躍を期されるも、山倉和博の加入により出場機会は徐々に減少。1979年オフの長嶋茂雄監督による「地獄の伊東キャンプ」に参加する。その後、1980年1月に柳田真宏外野手と共に永本裕章投手との交換トレードで阪急ブレーブスへ移籍。同年11月、片岡新之介捕手との交換トレードで阪神タイガースへ移籍。1982年には66試合に先発マスクを被り、若菜嘉晴と正捕手を争う。翌1983年はレギュラーの座を得て127試合に出場、規定打席(27位、打率.271)に到達し、12本塁打を放った。同年のオールスター戦のメンバーにも選出され、野村収の全球団勝利の際には祝砲も打っている。しかし1984年には木戸克彦、山川猛の台頭により、出場機会が大幅に減少。この年限りで引退し、その後はバッテリーコーチ、ブルペンコーチを歴任。コーチ時代は、阪神球団が発行する雑誌『月刊タイガース』で、ファンからの質問に答えるコーナーの担当もしていた。1992年からはフロント入りし、スコアラーと広報部を担当。2001年、1年だけ二軍バッテリーコーチを務める。翌2002年からは営業部に入ったが、オフを以ってチームを退団。その後は、2003年から2006年までマスターズリーグの大阪ロマンズに所属し、選手として活躍した。現在はスポーツDEPOサンシャインワーフ神戸店で、アドバイザリースタッフを務めている。
出典:wikipedia
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