鷲宮町(わしみやまち)とは、かつて埼玉県の北東に存在していた人口約3万6千人の町である。東京都特別区部への通勤率は20.4%(平成17年国勢調査)。2010年(平成22年)3月23日、同県久喜市、南埼玉郡菖蒲町、北葛飾郡栗橋町と新設合併して消滅。関東最古の大社「鷲宮神社」の鳥居前町である。現在でも旧鷲宮町域を総称して鷲宮地区という。関東平野のほぼ中央部に位置し、低地が中心の地形である。東武伊勢崎線が南東部から北西部へと縦断し、JR東北本線(宇都宮線)が南北を縦断する。また、東北新幹線が東部を通過する。町の面積は埼玉県内で3番目に狭かった。注意:ここに記した旧鷲宮町は1955年(昭和30年)1月1日合併以前の町域を対象としており、桜田地区に関しては桜田村の項を参照されたい。以下は各大字に対する小字地である。大字鷲宮は明治合併以前、鷲宮村(わしのみやむら)であった。大字上内は明治合併以前、上内村(うえうちむら)であった。大字葛梅は明治合併以前、葛梅村(くずめむら)であった。大字中妻は明治合併以前、中妻村(なかづまむら)であった。大字久本寺は明治合併以前、久本寺村(くほんじむら・きゅうほんじむら)であった。古墳時代の土師部の居住地の宮「土師宮」の転訛である「鷲宮」(わしのみや)を合併(桜田村との昭和時の合併)の為、地方公共団体の名称として読みを「わしみや」としたもの。こういった事情から駅名や神社名などは現在でも「わしのみや」の読みが使われている。なお、町内の地名「鷲宮」については住居表示が実施されている鷲宮一丁目から鷲宮六丁目では「わしみや」、未実施の大字鷲宮では「わしのみや」が正式な読みとなっており錯綜していたが、久喜市ほか2町との合併後は全て「わしのみや」に統一された。久喜市・幸手市と合併協議を行い、2005年に「桜宮市」となる予定であったが2004年9月11日の住民投票で久喜市において反対票が上回り、合併は白紙になった。その後、町長は市町村の合併の特例等に関する法律(新・合併特例法)の効力を失う前に久喜市を中心として合併したい旨2007年9月、定例会で表明した。2008年8月、第4回1市3町合併協議会で2010年3月までに久喜市、南埼玉郡菖蒲町、北葛飾郡栗橋町、当町の1市3町での合併を目指すこととし、新しい市名は「久喜市」とすることと決定した。2009年5月28日に1市3町の首長が合併協定書に調印。2010年3月23日、新たに「久喜市」の発足により鷲宮町は消滅した。保守系の新成会が絶対過半数を握り、議会の実権を握っていた。市外局番は町内全域が「0480」。同一市外局番の地域との通話は、市内通話料金で利用可能(久喜MA)。収容局は鷲宮局、久喜局(大字西大輪の一部のみ)。郵便番号は町内全域が「340-02xx」(郵便事業久喜支店)である。タクシーの営業区域は県南東部交通圏で、春日部市・草加市・越谷市・久喜市・八潮市などと同じエリアとなっている。
出典:wikipedia
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