竹﨑 博允(たけさき ひろのぶ、1944年(昭和19年)7月8日 - )は、日本の裁判官。最高裁判所長官(第17代)を務めた。 岡山県岡山市北区出身。小学校(岡山市立弘西小学校(現・岡山市立岡山中央小学校))、中学校(岡山市立旭中学校(現岡山市立岡山中央中学校))、高校(県立岡山朝日高校)とも法務大臣江田五月と同じである。東京大学法学部にも江田に3年遅れて入学したものの、江田が一旦退学した後に再入学したため、江田より1年遅れての卒業となった。主に刑事裁判畑を歩む。最高裁判所事務総局勤務も長く、司法行政経験が豊富である。第二小法廷所属。1988年、陪審制度研究のため、当時の最高裁長官矢口洪一の命を受けて特別研究員としてアメリカ合衆国へ派遣された。帰国後の報告書は陪審制を徹底的に批判するものだったが、裁判員法成立後は裁判員制度を利用することで司法に国民の信頼を繋ぎとめようと考えるようになった。2008年11月17日、前任の最高裁長官である島田仁郎は、自身の退任記者会見において竹﨑を評して「彼を思うと坂本龍馬が浮かぶ。先を見通す力が抜群に優れている。」と述べた。最高裁判所判事を経験せずに就任した最高裁長官は横田喜三郎以来48年ぶりである。2008年11月25日の就任記者会見で、最高裁判事を経ずに長官に就任したことから小法廷での審理にも関与したいと述べ、2009年3月9日、福島県青少年保護育成条例違反被告事件で裁判長として上告棄却判決を言い渡した。香川県選挙管理委員会委員長で百十四銀行会長の竹﨑克彦は兄。2009年の第45回衆議院議員総選挙の「一票の格差」訴訟における2010年9月の最高裁審理では、克彦が被告である選挙管理委員会の代表者であることから回避を行った。最高裁判所長官としての任期は70歳の誕生日を迎える前日の2014年7月7日までであったが、同年2月26日、健康上の理由で同年3月末で退官となることが公表され、退官した。任期途中で最高裁長官が退官するのは異例であり、過去には草場良八が任期の8日前に依願退官したケースしかない。最高裁判所長官在任中、個別意見(補足意見・意見・反対意見)を一つも書かなかった。最高裁判所長官に就任した人物が長官在任中に一度も個別意見を残さなかったのは、初代長官の三淵忠彦以来である。ただし、最高裁判所判事→最高裁判所長官と任命された者で、最高裁判所判事時代に個別意見を書き、長官時代には書かなかった者は存在する。趣味は園芸と音楽鑑賞。以前は渓流釣りも趣味としていた。
出典:wikipedia
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