李 歆(り きん)は、五胡十六国時代の西涼の第2代公。太祖武昭王李暠の次男。諡号・廟号はないため、後主(こうしゅ)と呼ばれる。建初13年(417年)、父の薨去により公位に即く。父の政策を継承して東晋に臣従し、嘉興2年(418年)には東晋から都督七郡諸軍事・鎮西大将軍・酒泉公に封じられた。しかし父と違って暗愚であり、家臣をむやみに処罰したり、刑罰を厳しくしたり、城の増築・改築を繰り返して民に重税を強いて財政難を招くなどして、国力の衰退を招いた。嘉興4年(420年)には北涼への遠征を計画する。家臣はこれに猛反対したが、後主はこれを聞き入れることなく遠征を強行して、逆に北涼の太祖武宣王(沮渠蒙遜)に大敗し、捕らえられて処刑された。後主の死により、西涼は実質的に滅亡したとされている。
出典:wikipedia
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